■意外な化学変化

さて、ではマーリンムスタングの冷却器系トラブルその1(実際の発生順では最後なんだけど)、
アルミ製ラジエターとマーリンエンジン内の銅製パーツが引き起こした事態を見て置きましょう。

ここでマーリンムスタングの開発状況を再度確認。
試作のXP-51Bの初飛行から、生産型のP-51Bの初飛行まで約半年も時間が掛かってしまってるわけですが、
これの最大の要因が、冷却器周辺のトラブルでした。



主な要因は、冷却部の空気取り入れ口、ダクト部の形状の決定に手間がかかったからですが、
この辺りは、次回に説明します。

でもって、それらのトラブルが一通り解決した後、アルミ製ラジエターを積んで、
1943年5月に生産型の初飛行が行われました。
余談ですが、シュムードはこの初飛行は新しいキャノピー(天蓋)のテストを兼ねてた、
としてるのですが、これがマルコムフード(後述)の事を指すのか、外見ではわからないような
微細な変更が加わったキャノピーだったのか、あるいは単なる彼の記憶違いなのかよく判りません。
写真で見る限りキャノピー形状はA型から変更されてないはずですが…。

で、このB型生産タイプの初飛行では、飛び上がってからわずか15分後に
「エンジンがオーヴァーヒートしてる」との無線連絡がパイロットから入り、
その後、緊急着陸となってしまいます。
驚いた設計陣は、すぐに冷却器周りのカバーを開けてラジエターを引っ張り出したところ、
ポップコーンのような結晶がラジエターに多数貼りついていてるのを発見します。
当然、これでは冷えないわけです。

先にも述べたように、マーリンでは中間冷却器の内部冷却配管に銅を使っており、
高温のエチレングリコールと水の混合冷却液が両者に触れると
化学反応(電導?)を起こしてアルミ部を腐食させポップコーンのような結晶として噴き出してしまうのだそうな。
この辺り、電解質(イオン)の働きが関係するらしいのですが、どうも私にはよく判らんので、
とりあえず、銅とアルミを同時に高温のエチレングリコール水溶液に触れさせた結果の化学反応、
とだけしておきます(手抜き)。

当然、これは予想外の事態で、今さらマーリンエンジンから銅製の部品を外す事は出来ず、
さらに既に設計も終わって、工場で生産準備に入ってしまってる以上、
アルミ製ラジエターの変更も不可能です。
実はすでに50機近くが生産ラインに乗っていた、という事ですから時間もありません。

途方に暮れたシュムードが頼ったのが、国立標準局(NBS)のワシンン州支局でした。
(National Bureau of Standards,/NBS 現在のNISTの前身。
当たり前だが西海岸のワシントン州の支局で、首都のワシントンDCではない)
ここはアメリカの産業全般を補助する研究機関であり、ある意味で
全工業を対象にしたNACA/NASAみたいな組織でした。
多くの科学者を抱え測定技術や、産業技術の研究を行い、これを民間に還元しています。

実はこの初飛行の直前に、シュムードは初めてここを訪問していたのですが、
そこで困ったことがあれば相談してくれ、と言われてたのを思い出したのです。
航空技術屋に、電解質(イオン)による腐食対策をすぐに思いつくような専門家は居ませんから、
この場合、NACAも当てにできません。
まさにワラにもすがる気持ちだったと思われます。

ちなみに初飛行の5月5日は水曜日で、シュムードが電話をしたのは週末の金曜日だった、
としてますから、少なくとも二日近くは自分たちで対策を考えて居たようです(笑)。
おそらく最初は何が起こったのかわからず、水曜から木曜にかけて、
冷却液によるアルミの腐食が原因、と特定したのだと思われます。
とりあえず国立標準局に言われるまま技術者を1名と
問題のラジエターをワシントン州に送り込むと、そこは戦時中ですから、
国立標準局の職員も週末を潰してこの問題に取り組んでくれました。

で、送り込まれた技術者が持って帰って来た解決策は、拍子抜けするほど簡単なもので、
ビール用の木の樽(keg liner)にラッカーを入れ、
それにラジエターを浸してかき回せ、というものでした。
なんで木製のビール樽なんだというと、実際はラジエター以外の金属がラッカーに触れるのを避けれれば
何でもよかったらしいのですが簡単に(?)手に入るものとしての指定だったようです。

その解決策を聞いたシュムードは最初は半信半疑だったものの、
言われたとおりにやってみると、見事に事態は解決してしまい、これで生産にゴーサインが出ました。
その後、量産機でもこのラッカー洗浄は続いたようですが、約1年後には冷却液による浸食作用を防ぐ
専用の添加剤がユニオンカーバイド社によって開発されます。
これがMBT(Na MBT)と呼ばれる腐食防止剤でした。
このMBTが1944年半ばごろから(もしかするとD型から)、
冷却液に添加される事でラジエター腐食は、ラッカー抜きで防止されるようになりました。
で、それに合わせてラジエターがハリソン社製のアルミラジエターに変更になった、
という話もあるんですが確認できず。

といった感じで、このラジエター腐食問題は、なんとか解決を見て、
無事、マーリンムスタングの本格生産が開始される事になるのでした。


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