■アリソン一族の詳細は謎だらけ
さて、ムスタングデビューまでの話はざっと終わったので、
今回から、いくつかの細かい話を見て行きます。
最初はほとんど知られて無い、資料も少ない、その上妙にややこしい展開を見せる
アリソンエンジン搭載のムスタング、とくにA型デビュー前の各型について、
少し詳しく説明しておきましょう。
この辺りは全部集めても1600機程度、1万5000機以上造られたP-51シリーズの
せいぜい10%だけですから、あっても無くても同じようなものなんですが、
そこを気にして行くのが夕撃旅団です。
ちなみにこの辺りに関して、日本語で読めるほぼ唯一のまともな資料は
例によって世界の傑作機だけなんですが、
残念ながら、やや信用の低い記述となっており、参考にはできません。
とりあえず、アリソンエンジン ムスタングの開発の流れを確認して置くと、
まずはイギリス主導のムスタング
I
があり、その先行量産型の内2機がアメリカ陸軍のXP-51にもなります。
ところがその開発中にレンドリース法案が成立したため、
破産寸前のイギリス政府はこれに飛びつき、このため、以後の機体は
アメリカ陸軍からの発注で、これをイギリスに貸し出す、という形になって行きます。
ただし、そうなった後の機体、P-51(P-51
II)、A-36、P-51Aには、
イギリスはそれほど興味を示さなくなってしまい、以後、開発の主体は
完全にアメリカ陸軍に移ってゆく事になるのです。
まず最初はレンドリース法、つまりアメリカからの無料貸与が受けられず、
イギリスが自腹で購入した最初のムスタング、ムスタング
I から見て置きましょう。
ある意味、もっとも謎が多いのがこの機体でもありますが、
実はアリソンムスタングの中で、最も生産された機体がこれなのです。
ちなみに、アリソンムスタングの生産数はこのムスタング I
の630機が最大で、
次がA-36の500機となります。
知名度抜群のP-51Aは実は310機に過ぎず、これは日本の雷電、紫電改以下ですから、
あって無いようなもの、という生産数です。
ちなみに生産数最下位の無印P-51はわずか150機で、これには現存機すらありません。
(ムスタング I
も先行量産型のXP-51があるだけで、実質的な現存機はゼロだが)
ここで再度、ムスタングの開発の流れを確認して置きましょう。
すでに説明したように一機だけ造られた試作型がNA-73Xで1940年9月には完成してましたが、
アリソンのサボタージュによって(笑)初飛行は10月26日となっています。
注目は形式取得の日付、すなわちノースアメリカン社が社内開発番号を与えた日付で、4月24日というのは、
正式契約の5月29日より1月以上早く、これはNA-50Bの名で最初の仮契約がなされた13日後に当たります。
なので、少なくともこの段階で開発はとっくにスタートしてたはずで、やはり初飛行までの開発期間は、
“伝説の”102日間よりは長く、なんだかんだで140日前後はあったと考えていいでしょう(笑)。
で、この試作機は最後まで英国に渡らず、かつ名称もムスタングと呼ばれた事は無いようで、
最後までノースアメリカン社の社内名称NA-73Xで終わってます。
ついでに試作機には武装、装甲は一切積んでませんでした。
ちなみにムスタングI の全機が納入終了となった1941年7月まで各種テストに使われた後、
ノースアメリカン社の記録だと破損、廃棄となってるのですが、この辺りの詳しい事情は不明。
でもって、NA-73Xはサイトで勝手に利用できる写真が見つけられ無かったので、すみません、写真無し。
で、その次に来るのが量産型のムスタング
I となります。
これはイギリスとの契約時期によって二種類の社内名称を持っており、
最初の1940年5月29日の契約で生産された320機が社内名称NA-73で、
次に追加発注で受けた300機がNA-83となります。
余談ながら世の中に出回ってる数字では、これが逆、NA-83の方が320機とされるものが
多いですが、ノースアメリカン社の資料によれば上の表の通りになります。
ちなみにノースアメリカン社の分類ではNA-73とNA-83に分かれるものの、
イギリス空軍では、どちらもムスタング I
の名前のままでした。
実際、写真などを見ても、両者には明確な差が見つけられません。
なので契約上の都合で、名前が変ってるだけ、という可能性が高いのですが、
ノースアメリカン社の資料では、NA-83はNA-73の洗練型(Refinemtnt
of
NA-73)という
微妙な感じの説明があり、全く同じ、というわけでは無いみたいです。
ただし、大幅な改良をやった場合、ノースアメリカン社では改良(Improvement)という
表現を使うのが普通なので、生産工程上の変更、あるいは何か詳細な変更だけだった、と見ていいはず。
少なくとも、外見からすぐに見分けれらる差異はNA-73とNA-83の間には無いように思われます。
そのNA-73からムスタングの名で量産されるわけですが、最初の11機(10機かも)は先行量産型でした。
その内2機が外国に兵器を売る場合の義務として、アメリカ陸軍にデータ収集用試験機として納入され、
XP-51、すなわちアメリカ陸軍における最初のP-51になります。
なのでXP-51はXナンバーの試験機ですが、アメリカ軍用に造られた試作機ではなく、
イギリス向けの先行量産機を試験機として受け取ったため
X
ナンバーが付いてるものです。
念のため確認して置くと、イギリスの戦闘機は型番で呼ばないので、名はムスタングのみ、
アメリカは型番と愛称、両方を持つのでP-51 ムスタング、となります。
この間、特に大きな変更があったのは前回も説明したように半手造りだった先行量産型11機(10機?)と
その後の通常量産型の機首形状です。
とりあえず、この点について判りやすい写真がイギリスの帝国戦争博物館(IWM)にあり、
これが使用可能だったのでその点を確認して置きましょう。
This is photograph ATP 10680C
from the collections of the Imperial War Museums
イギリスに渡った最初のムスタングAG346号、すなわち先行量産型の2号機。
機首上の空気取り入れ口は延長済みですが(これはイギリスに渡たった後に修正された)、
注目は機首下の12.7o機関銃で、カバーというか出っ張りがあってそこから銃身が飛び出してます。
ちなみにムスタングにしては表面が凸凹してる印象がありますが、これは塗装のムラのようです。
This is photograph CH 10222 from the collections of the Imperial War Museums
でもって、こっちが通常量産型のAG431号機。NA-73世代の機体です。
AG345が一号機ですから、86機目あたりの機体となります。
ご覧のように機首部下の12.7o機銃はキレイに成形されて、出っ張りは消えてます。
これぞシュムード魂ですね。
となると量産型ではこの滑らかな機首になってた…
と思ってしまうところですが、そうでもないのがヤヤコシイ所。
今回は権利者がはっきりしないので掲載できなかった写真でAG411号機、
すなわち46番目あたりの量産機のものがあり、この機体は先行量産型と同じく
機首部の機銃に出っ張りが付いたままなのです。
どうも機首部の機銃は、量産型でも最初の50機辺りまでは出っ張りがあったと思われます。
まあ、だからどうした、と言えばだからどうした、なんですがね(笑)。
ついでにこの機体の機首部の排気管にも注目でイギリス式の魚の尻尾、Fishtail
型に変更されてます。
NA-83になった後のノースアメリカン社工場の写真で見ても、
ムスタング I
の排気管は通常型なので、これはイギリスでの現地改修でしょう。
これはマフラー噛ましてない排気管から噴出するシリンダーの燃焼炎を細く絞ってまぶしくないようにして、
夜間や朝夕の飛行でパイロットの目が幻惑されないようにしたもの。
ついでに排気口を絞り込んで噴流の速度を上げ、これが推力にもなっていた、
ともされますが、理屈はその通りとしても、ここプロペラ後流の直撃を受ける場所ですから、
さて、そんなに上手く行ってたかどうか…。
さらについでにコクピット後ろの窓、上の先行量産型と違って何かで埋まってるように見えますが、
これは偵察用のカメラで、イギリス空軍に納入されたムスタング
I
の多くがこの改造を受けてます。
よく見ると楕円の穴が見えてますが、あれがカメラのレンズを出す部分で、
となると機体を横に傾けて、旋回しながら撮影する事になります。
この点は高速偵察機、すなわち敵地に突入して、敵戦闘機を振り切って逃げきる機体を
持っていなかったイギリス空軍によって必要不可欠な改造ともいえ、
スピットファイア、特にグリフォンエンジン搭載型以降でも多くの機体が同じような改造を受けてます。
当初、イギリス空軍ではP-40の後継として北アフリカや極東での利用が計画されていたムスタング
I
ですが、
実際に配備が開始されたのはイギリス本土からフランス上空に侵入して偵察する、という任務でした。
この写真の機体も、イギリス本土のハンプシャーの基地で撮影されたものです。
が、高高度偵察のスピットとは違い、低高度のアリソンエンジンムスタングですから、
低空で敵地上空に突っ込んでゆくため、対空砲火を浴びながら、敵地で旋回、
という恐ろしい任務となって行きます。
ちなみに実戦投入から3カ月目の1942年7月の記録ではムスタング
I の戦闘損失は月間10機、
そのうちドイツ戦闘機による撃墜は1機のみで、
あとは対空砲火や地上に激突する事故によるものでした。
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