■ムスタング I
の細かい所
さてせっかくなので、あまり知られてないと思われる、ムスタング I 細かい部分をもう少し見て置きましょうか。
This is photograph CH 9543 from
the collections of
theImperial War Museums
まずはムスタングの操縦席のキャノピー(天蓋)の開き方。
P-40やスピットファイア、FW-190のように後部にスライドするのではなく、
Me-109のように、ヒンジで左右に開けるタイプでした。
写真の手前に見えてるのは、固定用のレバー。
ただし天井と左の窓で二つに分かれて開くようになっており、
乗り降りは写真で手前に倒れてる左側からのみ行いました。
最終的にP-51B/Cまで、ほぼ同じキャノピーが使われてます。
このコクピットは狭いし視界は悪いしで、あまり評判は良くなかったようで、後にマルコムフード、
そしてD型のような水滴風防に変更されるのですが、この点はまた後で。
ついでによく見ると、コクピットの上にバックミラーが付いてますが、
ムスタングの操縦席であの位置にミラーを付けても、どれだけ後ろが見えたのか、
結構、微妙な気もします…。
ついでにその下の照準器はN-3辺りのようなので、この辺りの装備もアメリカ製っぽいですね。
ちなみにムスタングの乗り降りは当時の英米の機体の中では自動車ドア式のP-39に次いで面倒なタイプでした。
一度これらの窓を閉めてしまうと、開けるのが大変なので、
地上整備員などとのやり取り用、そして地上で操縦席内部の温度が上がり過ぎないように、
左右の窓は開け閉めが可能となっています。
この窓を付けたため、妙に枠が多い、ちょっとダサイ天蓋になってるんですよね…。
■Photo NASA
こちらはアメリカ陸軍に納入された先行量産型10号機、41-39号で、すなわち2機目のXP-51。
XP-51は陸軍でテストされた後、NACAに譲られて各種試験飛行に使われてました。
ちなみにXP-51の1号機、41-38号機(これがEAA博物館で現存してる)だけがNACAに贈られた、
とする資料が多いのですが、どうもNACAの記録では41-39号機と併せて2機とも試験に使われてます。
なので、寄贈ではなく貸与だった可能性もありますが、
2機目も大戦中のNACAの各種試験に使用されたのは間違いないようです。
この写真でも右翼の端に何か棒状のものが付けられていて、なんらかの試験中だったと思われます。
注目は胴体下の可変式空気取り入れ口で最大状態で開かれてるのが鮮明に見れる珍しい写真です。
このように初期のアリソン ムスタングはドンガバチョと
冷却部の空気取り入れ口を大きく開ける事が出来ました。
が、どうもそれほど効果が無かったようで(おそらく振動も凄かったと思う)、
A-36までは付いていたものの、P-51Aでは廃止されてしまってたようですね。
****追記 後ほどよく確認してみたら無印P-51、ムスタング
I A までで、A-36は
すでにこの開閉機構、付いて無いようです。すみませぬ**********
少なくとも現存機、及び当時の写真で、A型にこの装置があるのは確認できませんでした。
(空気取り入れ口の左右に切込みの線があるので、すぐ判る)
ついでに、コクピット横の窓が開いてるのも見て置いて下さい。
こんな感じに前の部分が後ろにスライドして開くのです。
■Photo NASA
ちなみに同じ機体を後ろから見るとこんな感じ。
…この冷却部空気取り入れ口、ホントにこれで飛べたのか、
地上でだけ開けてたんじゃないか、という気がどうもしますね…。
ちなみにXP-51を操縦したNASAのテストパイロット、リーダー(John
P.
Reeder)は、
とにかく操縦性のいい機体だった、ただロールレート(進行方向を軸に機体をぐるっと回転させる機動)
だけが当時のヨーロッパの機体に比べて劣っていた、としています。
ついでにその操縦性の素直さは、後に強力な馬力を持ったマーリンエンジンの搭載によって
ある程度失われてしまった、とも述べてます。
この点についてNACAのレポートでは、強力なプロペラ後流による直進性の悪化を指摘しており、
その問題解決がマーリンムスタング最大の改善点となり、これにNACAが大きく絡んで来ることになります。
その辺りはまた後で。
■Photo NASA
最後はムスタング I
の主翼機銃周りの話を少し。
ただしこの写真、地上に置かれた無人状態の先行量産型、AG348をノースアメリカン社が広報用に
強引に飛行中の状態に修整(?)してしまったため、いろいろムチャクチャなのですが、
他に判りやすい写真が無かったので、これで我慢してください(笑)。
それでも基本的な部分はそのままなので、参考にはなるでしょう。
主翼前縁部に、いかにも機関銃が入ってます、という感じの筒状の銃口が二つ見えてますが、
実際はこの間にももう一つ小さい穴が開いていて、片翼に三門の機銃が入ってます。
内訳は一番内側が12.7o、外側の二つが7.7oでした。
(ただし先にも書いたが7.7oではなくアメリカ式の0.3cal、7.62o機関銃だった説もあり)
だったらなんで二つだけ筒状の銃口が開いてるの?というと恐らく当初予定されていた
20o機関砲×2の搭載に備えてのものでした。
実際、次の無印P-51ではイギリスの要望によって、その武装が積まれます。
が、20o機関砲を積まないなら、こんな筒は空気抵抗の元になるだけで、
当然、シュムードはこれが気に入らなかったと思われます。
実際、12.7oに武装が統一されたA-36以降では、この筒状の出っ張りは消えて無くなり、
主翼前縁部は綺麗に成形されて、単に小さな機関銃用の穴が開いてるだけになりました。
その代わり機銃を主翼内部に深く食い込ませる空間を確保するため、
通常とは逆側から機関銃に給弾するとか、妙な構造になってしまうですが…。
そんな状態がマーリンエンジン搭載のB&C型まで続くのですが、D型で片翼12.7o×3門に
武装強化された結果、最終的に前縁部には出っ張りができ、給弾方法も通常に戻ります。
その辺りは次回にもう少し詳しく説明します。
(ただしこの構造はムスタング I
でも既に同じだった、という話があるのだが確認できず)
ついでに先行量産型では機首上の空気取り入れ口がやや後部にあるのを見てください。
この空気取り入れ口は機体表面に密着してるため、この距離でも恐らく境界層の影響を受け
いまいち空気が入って来ない事が判明、通常量産型ではプロペラ直後まで、
すなわち機首部最先端まで延長されます。
これにはプロペラ後流による押し圧力(Ram
pressure)によって
より効率よく空気を取り込もう、という狙いもあったでしょう。
といった感じで今回はここまで。
次回は徐々に開発の主役がアメリカ陸軍に移り始めた無印P-51から見て行きます。
BACK