今回紹介するのはシカゴのオヘア空港に展示されてるF4F-3。
世界でもっとも旅客機の離着陸数が多いあのオヘア空港ですね。
空港の機体展示?という感じですが、ただでさえ現存数の少ない
初期のワイルドキャットの中では、おそらく最高の状態の機体の一つです。
最初からそこそこの状態で五大湖から引き上げられ(後述)、
さらにキチンとレストアされており、資料的な価値は高いと思います。
そもそもアメリカに現存するワイルドキャットのほとんどはグラマン製ではなく、
そのライセンス生産をしてたイースタン(自動車メーカーGMの一部門)製の
FMばかりですから、貴重なんですよ、これ。
(アメリカ海軍機はメーカーが変わると型番が丸ごと変わってしまう。
イースタン製のワイルドキャットはF4FではなくFMとなり、FM-1とFM-2の2種類がある)
ただしこの機体、非常に見づらい展示で泣きたいところなんですが、私が訪問した後、
2014年から展示場所が変わったそうで、今ならもう少し見やすい可能性があります。
私はまだ見てないので、断言はできませぬが…。
ついでになんで空港にワイルドキャットが置いてあるの?
というとシカゴの空港の名前になってるオヘアさんと関係があります。
アメリカの空港は地名ではなく、人名が付いてるところが多くて判りにくいのですが(笑)、
シカゴのオヘア空港の場合、ちょっと人選が変わっていて、
第二次大戦の海軍エースパイロットの名前です。
が、この人、別にトップエースでもなんでもなく、ケネディだレーガンだ、という名前が並ぶ
アメリカの大都市の空港の由来となった人物としては極めて地味な人です。
シカゴのオヘア空港は1945年に戦争が終わって要らなくなった
ダグラスの工場(C54を造ってた)を再利用して作られたものでした。
大型機の工場だったので、工場内に出荷用の(笑)4本の舗装滑走路を持っていたため、
空港への転用が楽だという理由でここが選ばれたらしいです。
でもって、1949年に正式な空港名が決められたとき、
オヘア(Edward
O'Hare)さんの名前が採用されたんだとか。
彼は当時の地元の有名人(ただし厳密には出身地はシカゴではない…)でして
アメリカ海軍最初のエース(5機以上撃墜)であり、アメリカ軍人に与えられる最高の勲章、
名誉勲章(Medal
of
honor)を受賞してたりするんですが、まあ、それだけと言えばそれだけ。
空母レキシントンを日本の一式陸攻の空襲から救った、という活躍もあるんですが、
それでも歴代大統領クラスがズラリとならぶアメリカの空港の名前としては極めて地味です。
どうも1949年の段階の空港の命名はそれほど重視されてなかった感じで、
まさか大都市の空港は大統領クラスがズラリと並ぶ時代が来る、
とは思ってなかったんでしょうかね。
ちなみにシカゴには以前からもう一つ空港があり、
1950年代まではこちらの方が主要空港でした。
なので、オヘア空港が世界最大級の空港になるとは思ってなかったのかもしれません。
ちなみにもう一つの空港の名はミッドウェイ空港で、なんで東部に近い都市の皆さんが
そんなに太平洋戦争にこだわるんだ、という気も…。
で、そのオヘアが乗っていた機体を再現したのがこの機体、というわけです。
ちなみに彼は大戦中にF6Fで夜間出撃、行方不明になってしまうのですが、
この機体はそれ以前に名誉勲章(Medal of
honor)を貰った時のもの。
1942年2月20日(アメリカ時間)に1日で5機の一式陸攻を撃墜、空母レキシントンの危機を救い、
同時に海軍初のエースとなった時の乗機の再現みたいです。
もちろん、この機体はその塗装を再現しただけで、
実際は1990年、シカゴが面しているミシガン湖から引き上げれらたもの。
当時、アメリカ海軍は艦載機パイロット育成用の訓練空母USSウルヴァリンを持っており、
これを五大湖のミシガン湖で運用しておりました。
旧式のものとはいえ、空母を湖で運用ってのは
日本人には想像しがたいものがありますが、五大湖は8000m上空の飛行機から見ても、
対岸が見えなかったりしますから、それもありでしょうね。
(ちなみに五大湖はセント・ローレンス川を経て大型船も海から入って来れる)
とりあえず波は静かだし、敵の潜水艦の心配はないしで、訓練には理想的だったようです。
が、何せ訓練用空母なので着艦などに失敗して湖に沈んでしまった機体が多くあり、
戦後、それらの幾つかが引き上げられています。
この機体もそんな中の一機で、比較的低温で淡水の水中に置かれていたため、
写真を見る限りでは、意外にに良い状態で残っていたようです。
さすがグラマンの機体、と思ったり(笑)。
一応、全方位から観れたのですが、これ、高さが1m以上ある台座に載せられてるため、
機体は3m以上の位置にある、といった状態。
なんぼアメリカ人に背の高い人が多いとはいえ、さすがにこれはまともに見れないはずで、
何を考えてこんな展示にしちゃったんでしょうね、これ。
まあ、その代わり普通はあまり見れない低い位置から観察が可能でしたが…。
ちなみにF4Fは空母搭載時に翼を後ろに折りたたんで仕舞う機構が有名ですが、
あれはイギリスからの設計変更要求があった後、F4F-4からのもので、
(イギリス向けの機体としてはマーレットII から)
F4F-3までは主翼は全く折り畳めず、この状態のまま空母に積まれてました。
よって主翼のどこにも継ぎ目が見えませぬ。
胴体横の主翼下に見えてる筒状のものはオイルクーラー、
その手前の穴は機関銃の薬莢排出口。
後のF4F-4からは、この間から主翼は折りたたまれる事になります。
良く見ると主翼下に丸い照明が付いてるのですが、これの正体は不明。
この位置から下を照らしてもコクピットからは全く見えないですし、
左翼にしかないので、おそらく夜間や悪天候時に
下の空母に自分の位置を示すものだと思うんですが…
F4Fの操縦手帳(Pilot
handbook)には投光照明(projection light)
なる装置の存在だけが書かれてるのですが、それかなあ。
ちなみにこちら側の主翼下にはラウンデル(国籍章)がありませんが、
アメリカ海軍機の場合それで正解、右翼下面にだけラウンデルが入ってます。
反対側から。
主翼下はこっちにのみラウンデルが入ってるのですが、
1942年2月の段階だと真ん中に赤丸が入ってます。
アメリカ海軍機は大戦中に何度か塗装の変更を行ってるのですが、開戦時の塗装がこれで、
この後、まず星の中の赤丸が1942年5月ごろから消され、
その後、さらにその左右に白い帯がつき、現在のアメリカの国籍章になるわけです。
さらに1944年3月以降は機体全体を
もっと濃い群青色(glossy sea
blue)一色で塗りつぶし、下面の白色塗装が無くなります。
ついでに海軍は機体の塗装にうるさく、現地で勝手に何かを描きこむ事を禁じてたようです。
この結果、陸軍機のようなノーズアートなどは一切見られません。
ちなみに翼の端のエルロン(補助翼)がフラップと一緒に両側で下に下がってますが、
これは単なるレストアミスで、恐らく内部のワイアが操縦桿に繋がってないのでしょう。
ゼロ戦に比べると3m近く全長が短いため、小さい機体だな、という印象がありますが、
実際は先にも書いたように、この時代のアメリカ製空冷エンジン戦闘機(P35&P36)
などと比べても、ごく平均的なサイズとなってます。
正面から。
主翼下の大きな凸部は先に説明したオイルクーラー。
日本機だとゼロ戦を始め、ほとんどの機体がホース&ディアのシングル メモリーのように
常に機首のアゴ下に付けてるオイルクーラーですが、
欧米の空冷戦闘機の場合、いろいろ工夫があって興味深い部分です。
エンジンカウルの円形ラジエター内に埋め込んじゃう、
というFw190のようなツワモノも居ますしね…。
正面からだと中翼(Mid
Wing)、すなわち丸い胴体の上下中央に
主翼が付く構造になってるのがよく判るかと。
日本の戦闘機では紫電がやって大失敗した(笑)構造ですが…。
アメリカにおける空冷エンジン搭載の丸型胴体機の場合、
最も抵抗が小さいのは中翼構造というNACAによるデータが発表されていたので、
複葉から単葉に設計を切り替えたグラマン社は迷わずこの構造を選択したようです。
この機体のライバルのF2Aや、後のF6F、F4U、さらにP47など、
アメリカの空冷戦闘機に中翼機が多いのも同じ理由でした。
ちなみにちょっと前の世代のP-35やP-36にこの構造が取り入れられてない事を考えると、
恐らく1936年に発表されたNACAの540番報告書(NACA Report
No.540)
がその空力情報の出所でしょう。
(厳密には胴体の真ん中より少し上が推奨されてる)
この構造の弱点は地面と主翼の空間が大きくなってしまうため、
主脚が長くなってしまう、という点でした。
この問題を避けるため、F4FやF2Aでは、
胴体下面に車輪と主脚を収容する、という解決策を取ってるわけです。
余談。
F4Uコルセアの主翼が脚の部分までグイっと下に下がる逆ガルウィングになってるのは、
主脚を短くするためなのはよく知られてます。
そこまでして中翼にするメリットがあった、という事なんでしょうね。
(ただしコルセアの場合、かなり低い位置の中翼で、
さらに下に飛び出したオイルクーラーのため図面で見ると低翼に見えてしまう)
ちなみに何で脚が長いと問題なのか、
というと主翼への収容スペースが巨大になってしまうし、
着艦時に強烈な衝撃が加わる艦載機では強度の問題が出てきてしまうからです。
特にF4F以後に開発されたF4UやF6Fは
主翼の外側(外翼)部を折りたたむ事が要求されたので、
横方向に脚を収容できないのです。
(コルセアでは脚から外側の主翼が上に跳ね上がって畳める構造になってる)
このため、コルセアも、F6Fも脚を後ろ方向に捻じ曲げて収納する、
という凝った機構を採用する事になってしまってます。
コルセアで脚を収容するカバーが後ろ側で開いてるのはそういった構造のためです。
ちなみにわれらがグラマン社の場合、もうちょっと豪快です(笑)。
主翼は普通の中翼構造のまま、脚の強度を上げ、収容は後方90度に捻じ曲げながら、
車輪部のカバーは無し、フラップの一部まで食い込む収容スペースを造っで解決してます。
主翼後端部、フラップが分割されてる部分から外側の主翼は折り畳める構造です。
F4Fの話に戻りましょう。
今度は真後ろ下から。
尾部から手前に飛び出してるのは着艦フックで、
これを空母甲板上のワイアにひっかけ、
チョー短距離で強制的に静止するのが空母への着艦です。
この原理は21世紀の現在でも変わってません。
航空機というのは、減速手段が限られるため、
離陸より着陸の方が滑走距離が必要で、こういった装置が必須となるわけです。
ゼロ戦と同じ、主翼下がガバっと開くスプリット式フラップも見といて下さい。
おそらくこれはキチンと特許料を払ってるはず(笑)。
方向舵の派手な赤白帯はこれも国籍表示で、
アメリカ国旗と同じ13本の赤白帯になってます。
目立ってわかり易いと思うんですが、後にこの塗装もやめてしまってますね。
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