今回はさまざまな戦地からの報告記事と、これまで取り上げて無かった兵科の話をまとめてゆきましょう。ただしこういった記事は主にウクライナ側からしか出て来ないので、どうしてもウクライナ軍の情報が主になります。
■バフムートのウクライナ兵
開戦から半年足らず、2022年の夏以降ずっと激戦が続くドンバスの都市
バフムート(Бахмут/ロシア側の呼称はАртемовск/アルチェモフスク)からの報告記事。2022年10月に掲載されたものです。ゼレンスキー大統領をして「最も過酷な戦場」と言わしめた場所であり、
この記事が掲載された2023年5月16日現在も戦闘は続行中です。
位置関係を確認するため地図を掲載して置きます。
ロシア&ドネツク人民共和国の中心地であるドネツク市の北に位置するのがバフムートです。ここにはウクラナイ側が内戦時から築いた強固な陣地があり、ロシア側はこれに対し膨大な兵力をすり潰す事になったのです。ロシアにとっての「ハンバーガーヒル」とも言えます。実際、この街を獲っても戦略的、戦術的な意味はほとんど無く、単に大損害を出した以上、なんら成果無く撤退できぬ、的なメンツのためにロシアはその兵員を殺し続ける事になった土地と思っていいでしょう。この戦争におけるスターリングラードであり、ガダルカナル島とも言える戦場だったのです。
後にロシアの傭兵部隊、ワグネルがここを主戦場にするのですが、この段階では同じ非正規軍でもチェチェンの将軍様ことカディロフが送り込んだカディロフ部隊が参戦しており、それが徐々にワグネル部隊に置き換えられた時期だったと思われます。では、その記事の内容を確認してゆきましょう。
■ドローンはまず偵察で飛ばされ、敵の位置を確認すると呼び戻して手りゅう弾を取り付け再度送り込む。
■ドローンの情報に基づくアメリカ製榴弾砲M777の正確な高精度射撃により、ウクライナ軍はこの一帯での優位を維持している。
■数日前、40人のロシア軍部隊が陣地を迂回してウクライナ軍の後方を襲撃しようとした。このようなことは、ここではほとんど毎日のように起こっている。今回は、最近動員されたロシア兵と、いわゆるカディロフ部隊、チェチェン共和国のロシアの傀儡政治家、カディロフが送り込んだ部隊の協同作戦だった。
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BMP-1、BMP-2、さらに戦車を利用していた。彼らは一帯で降車し、数時間、守備を固めたが、我々の攻撃により悲惨な結果に終わった。カディロフ部隊は現地では有名
だ。彼らは「決して放棄しない」と言う。だが彼らは逃げ出すことにしたのだ。我々の攻撃を受けると残っていた生存者をすべて乗せて逃げ始めた。だが遠くには行けなかった。1キロ先まで逃げ延びた後、装甲車両が燃えだした。我々の砲兵と対戦車砲の攻撃を受けていたからだ。乗っていた兵がどうなったかは知らない。2人の運転手だけが飛び出せたのだから、残りは燃え尽きたのだと思う。
■いわゆるカディロフ部隊の見分け方は簡単だ。髭を生やしたオジサンだ。軍服と腕章でも識別できる。彼らは写真で見ると、とても怖そうだが実際には、ロシア軍と同じくさしたる脅威ではない。ただし赤外線暗視装置、無線機、さらには軍靴など、その装備品はロシア兵より良いものを持っている。
■ロシア兵の防弾服には肝心の防弾板が入って無い。このためノートパソコンを防弾板代わりに使っている例があった。
多くのロシア兵の遺体から、防弾板が無い結果として致命傷を負ったことが見て取れる。
■ウクライナ側はロシア兵の遺体を回収してるが(筆者がウクライナ側の戦果数字を信用する理由の一つ)、これはロシア側か回収したウクライナ兵の遺体と交換するのに用いられる。
■隣接する街、ソレダル(Соледар)でも激戦が続き、ほとんどが廃墟になっている
(筆者注・後に2023年1月に入り、ワグネル部隊を中心とするロシア軍が占領に成功する)
■ソレダルでは24時間、敵の攻撃が続いているが、まともに訓練を受けてないロシア兵が多いように見える。銃声がしてもただ直立して歩いて来る。よってあっさり撃ち殺されるのだ。この点、キエフ州とドネツク州では民間人でも銃声を聞いたら直ぐに地面に伏せるべき事を理解してるのに。
■これだけ激しい戦場なのに踏み止まっている住人が居る。そこで捨てられた猫の世話をしてる人も居た。
(筆者注・記事中では触れられてないが、ロシア側の攻勢を受けても現地に留まる住民に親ロシア派が多いのは、他の記事などから確からしい)
■バフムート近郊の集落に至る道路には舗装されてない道もあり天候が悪い日にはオフロード車でも走れなくなる。
■放棄された集落の周りでは豚が群れをなして走っている。兵士の話によると、彼らは死体を食べて凶暴化し、時には生きている人間を襲うこともあるらしい。
(筆者注・豚にそこまでの凶暴性があるとは初めて知った。ちなみに猪は危険を感じると人を襲うが、捕食のために襲ったという話は聞いたことが無い)
■バフムート周辺では傭兵集団のワグネル部隊が攻撃に加わりつつある。ワグネルには戦場経験のある兵も多い。
■ワグネル部隊は自軍の負傷者にトドメを刺して行く例が頻繁に見られる。ドローンによって300人を超えるそういったワグネル兵が記録されている。
■ワグネルのエリート兵の中には、極めて至近距離まで這いより、ウクライナの陣地を観察している者がある。こうした者はあっさり捕虜にされる事も多い。そして常に「投降するために来た」と述べる。実際、有用な情報を提供してくれる事もある。
■ただしインタビューを受けたウクライナ兵が捕虜にしたワグネルのエリート兵はアサルトライフルと弾倉を持っており、本当の目的は別にあったのではないか、偵察に出された中で捕らえられたのではないかと疑っている。だが防護服もヘルメットも無い状態だったのも事実で、実際の所、その判断は難しい。また、捕虜になったワグネルの兵の中には動員されて来た、という者が居るが、金で雇われる傭兵集団なのだから怪しい話だと思われる。
■一日5、6回に渡りワグネルから攻撃を受けた時、直立したまま開けた場所を歩き回って銃を撃つ兵を見た(筆者注・狙われやすい場所を移動するなら匍匐前進か、少なくともしゃがんで歩く必要がある。そんな基本的な行動すら取って無い、という事)。彼らはまともな装備を持たず、隠れようともしない。ヘルメットや防弾服すら持たずに歩き回るのだ。何か不自然な圧力のようなものを感じた。
(筆者注・以後、ウクライナ側から度々指摘される、薬物や強度のアルコールによって恐怖心を感じさせないようにして送り出される自殺兵ではないか、という例の一つ。この指摘が最初期のものでもある。彼らがウクライナ側からの撃たれる事で、射撃点を割り出し、これをロシア側が砲撃する戦術が取られていた、とウクライナ側は見ている。事実なら狂気という他無い)
■Photo ARMY
INFORM
ロシア軍から砲撃を受けるバフムート。
この記事が掲載された後、一帯のロシア側戦力は傭兵組織ワグネルが中心となり、人命を無視した人海戦術で知られるようになるのですが、すでにこの時期から狂気の片鱗は見えていた、という事になります。ちなみに戦略的に意味の無い拠点ならウクライナ側も死守する理由がありません。ただし先に述べたように、ここは早くから要塞化されていたため、ウクライナ側は比較的容易に防御ができました。そこに損失無視のロシア側の攻撃が加えられた結果、ロシア側の兵力を削り続ける「ロシア兵ホイホイ」として利用されたのです。この点はウクライナ側も認めています。
すなわち土地の占領を目的とするロシア軍と敵の殲滅を目的とするウクライナ軍の対決でした。当サイトでは何度も指摘してるように、戦争に置ける戦闘の目的は敵戦力の殲滅にあります。土地の占領なんて先に敵軍を壊滅させてしまえば、何の抵抗も無く無血占領で終わるのです。対して敵の戦力が残ったままでは、いかに土地を占領しても必ず反撃を受けますし、下手に占領地の維持に拘った結果、包囲殲滅されてしまう可能性もあります。交通の要衝であるといった戦略的な価値が高い土地以外、それを奪っても戦争の行方を左右する事はありません。実際、ナポレオンのロシア戦や日中戦争、そして朝鮮戦争などでは首都まで占領されながら戦争は終わりませんでした。朝鮮戦争なんて国土のほとんどが敵の勢力下に置かれても終わらなかったのです。この点、ロシアの戦術は完全に間違っていると見ていいでしょう。まあ、それだけじゃないんですけどね、ロシアの場合。
https://www.radiosvoboda.org/a/bakhmut-donechchyna/32096080.html
■兵士と戦争
次は個人的にとても興味深く感じたウクライナ兵の方へのインタビュー記事。開戦から10カ月経過した、2022年12月に発表されたものです。この人はウクライナ内戦から復員後、首都キーウでコーヒー屋を経営していたのですが今回の戦争で軍に復帰、空挺部隊(ウクライナ軍のエリート部隊)の機関銃手になったとされます。かなり知的な人物で、極めて正直、かつ淡々とこれまでの戦闘経験を述べており興味深いの紹介して置きましょう。
■2014年から2015年にかけての戦争は、リハーサルだったと私は思っている。あれは防御的な塹壕戦であり、今回の戦争で敵が使っている兵器の最小限のものしか使われていなかった。今は火力のレベル、関与する部隊や兵装、人員の数など、すべてが根本的に異なっている。
■ロシア陣地を襲撃する戦闘に参加した事がある。正直、怖かった。狂暴なまでに怖かった。敵の砲撃下、1キロ近く歩いていると、突然、激しい砲撃を受けた。ただし最悪の事態は攻撃の開始を待つことだ。何時間も、何日も待っていたのを覚えている。何時間も、何日も待っていると精神的に疲労してしまう。私の仲間も同じで誰もが恐怖を感じ、燃え尽きるのだ。しかし一方で、待つことでは誰も死なないし、傷つくこともない。その時の戦いで私の仲間が直ぐ隣で死んだ。それだけが記憶に残っている。そして、ひたすら仕事をした。
記者から一番印象に残っている事は、と聞かれ、
■いろんな事があり過ぎてあまり覚えていない。ただしロシア軍がインホレツ川(Інгулець)の渡河橋を破壊した時、ゴムボートでこれを渡った時の事は覚えている。ボートは4人乗りで常に砲撃を受けた。川幅は70〜100メートルで、迫撃砲や野砲が激しく撃ち込まれたが、ボートが横転してもまず泳げない。武器やヘルメットという荷物を身に着けているのだから沈むしかない。それに弾薬、マシンガンを積んだボートに4人も乗っていのだから、とにかく大変だった。さらに河岸から前線まで、数キロ歩かなければならなかった。敵の砲撃は強力で野砲、迫撃砲、戦車までもが私たちに向かって撃って来た。
■占領地の解放の場合、現地に残って居るのは親ロシア派の住民の事が少なくない。そもそもウクライナ派の住民はとっくに逃げ出してる場合が多い。ただし一般的には歓迎された。
■ヘルソン地区では敵を包囲すると撤退か戦闘かを選択させた。多くのロシア兵は撤退を選んだ。
■ロシア軍が遺棄した鹵獲品には罠や爆薬が仕掛けられてないか十分な注意が要る。遺棄されたロケットランチャー弾の山を見たことがある。他に迫撃砲と152o砲の弾薬庫を発見した事もあった。
■一時的に後方の安全地帯に下がって食事や買い物をした時、それまでの戦地との落差の大きさに困惑した。ひたすら砲撃を受けていた戦地とは違い過ぎて不思議な感覚だった。地面に座って冷たいコーラを飲んだ。とても思い出に残る体験だった。 (筆者注・この辺りの戦地と後方の平和な地区との落差に戸惑うのはベトナム戦争、アフガン紛争などでも報告されている)
https://armyinform.com.ua/2022/12/06/najstrashnishe-cze-ochikuvannya-ataky-desantnyk-volodymyr-shevchenko/
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