航空優勢の謎

では今回のお話、圧倒的な航空戦力を持つロシアが未だにまともに航空優勢を取れて無い事、その上で両軍の航空戦力が戦闘の主導権を握るのにイマイチ役立っていないという、この戦争で生じた不思議な現象について見て行きましょう。これもまた今回の戦争が従来とは違う、全く新しい戦争になっていると言っていい点の一つです。

ただしこの点は未だに謎のまま、という面も大きく、判らんものは判らん、という感じに現状確認が主になります。とにかく第二次大戦以降、世界の常識だったと言っていい航空戦力による戦場の支配が実現していない、という不思議な戦争が、この戦争なのです。

航空機による空の支配、航空優勢の確保が戦闘に勝つための必須要素となったのは恐らく第二次大戦のドイツによる電撃戦、特にグデーリアンとマンシュタインという二人の天才が組んで完成させた対フランス&低地諸国電撃戦からだと思われます。制空権の確保によって空からの支援を受け陸戦を優位に進める、という事ですね。この法則は以後、朝鮮、中東、湾岸戦争といった国家間戦争、正規戦力どうしが真正面からぶつかる戦争では常に成立し続けてきました。よって両軍ともに戦場の航空優勢、制空権の確保に全力を尽くし、より強力な航空兵力でこれを得た方が勝つ、というのがほぼ常識でした。

ところが今回の宇露戦争ではこの常識がどうも怪しくなっているのです。まず、圧倒的に有利な航空戦力をもつロシアが全く優位に戦いを進められていない、それに加えてそもそも航空戦力が決定的な勝利要因になってないのです。



グデーリアン(現場&電撃的機動作戦立案担当)&マンシュタイン(基本作戦立案担当)という人類史上最強のコンビによって計画され、そこに少し頭がおかしい天才ロンメルが便乗して驚異的な成功を収めたのが西方電撃戦でした。この戦闘は一方的なドイツの圧勝に終わったのですが、戦力、兵器の性能面ではドイツ軍の方が最初から最後まで劣勢でした。

これを補ったのが高速機動戦によるOODAループで圧倒する侵攻であり、その高速移動する友軍に火力支援を与え続けたのがドイツ空軍による空からの支援だったのです。これは予め戦場の上空から敵戦闘機を駆逐しておき、鈍足で撃たれ弱いJu-87急降下爆撃機などが自由に行動できる状態、すなわち航空優勢を確保する事で実現されました。そしてこの戦い方は第二次大戦を通じ有効となり、さらには20世紀末の湾岸戦争までその有効性は維持され続けました。いわば常識中の常識な戦い方だったのです。

実際、湾岸戦争の時には、アメリカ軍に比べると貧弱としか言いようがないイラク空軍に対してすら、そのレーダー基地、航空基地に対して徹底的に事前攻撃が加えられており、戦争において航空戦力がどれほど重要と見なされているかを示唆しています。 ところが今回の戦争では、この「常識」が成立していません。そして、この常識の崩壊は大きく二つの問題に別れます。それらを順番に見て行きましょう。

■謎その1 圧倒的に優位な兵力を持つロシア空軍が航空優勢を獲れていない

ウクライナ空軍は間違いなく二流以下の戦力であり、対してロシアはアメリカを除くと、中国に匹敵する大航空戦力を持つ軍事大国でした。よって少なくとも筆者は速攻でウクライナ全土の航空優勢をロシアが奪い、その有利な状況下で戦いを進めると思っておりました。ウクライナ全土に渡り北方に国境を接する隣国、ベラルーシの航空基地をロシア軍は使えましたから。

ところがドンスコイ、ロシア軍は開戦後、常にじり貧の戦争を延々と続ける事になったのは既に見たとおりです。
この点、当初はまともに戦争する気が無く、ウクライナ政府を転覆させて全土を掌握するだけで終わると思っていた可能性が高い、というのは既に指摘しました。よって航空戦も同じような考えをしていた可能性もあります。それでも開戦当初にウクライナの航空基地と主なレーダーサイトを巡航ミサイルで攻撃する等の基本に忠実な戦術はロシア軍も行っています。さらにそもそも兵力差が強烈なのですから、後からいくらでも圧倒できたはずです。ところが開戦以後、ロシア側はなんとか占領地区上空の優位を保っていただけの状況であり、さらに開戦から半年以上経った2022年の夏以降、それすら怪しくなりつつあります。

ウクライナの航空戦力は謎が多いのですが、少なくともロシアに比べて数分の1の規模であり、本来なら敵では無いはずでした。その装備は1991年の独立時にソ連時代のものを引き継いで以降、まともに更新された事はほぼありません。すなわち冷戦時代の装備で延々と運用されていたのです。そのため、多くの機体は整備不良や部品不足で飛行不能となっており、さらに財政問題から2009年ごろ、アメリカの個人コレクターに一機500万ドルの破格値でSu-27を二機売った事すらありました。

このため2010年代に入るとほとんど空軍の実態を成してない、という状況だった可能性があります。これが変化したのは2014年のロシアによるクリミア半島占領とドンバス地区への内戦介入以降ですが(内戦に関しては増刊号を見てね)、それでも従来の機材を修復して飛べるようにする、最低限のデジタル化された計器類を追加する、といったレベルであり、新型機の購入などは一切やってません。



ウクライナ空軍の主力戦闘機と言っていいMig-29。
ソ連時代から運用されている機体の多くは飛行不能なまま保管場に雨ざらしで置かれていたのですが、2014年の内戦以降、年間数機ずつ修復し、さらに一部の機体には最低限の近代化改修を行っています。ウクライナの報道によると2016年の段階で稼働機は約40機とされ、以後、毎年数機ずつ修復していたと考えると、開戦時には50機以上は稼働機を保有していた可能性が高いです。

より大型でロシア空軍では主力となっているSu-27系の戦闘機も保有していますが、既に見たようにあちこちに売り飛ばした上にそもそもロシアから部品が入ってこないため、2016年の段階で稼働機は30機以下とされている状態でした。以後もそれほど増えて無いと思われます。よって恐らく両者を合計しても航空優勢の確保に必須の戦闘機の総数は80機以下だったと思っていいでしょう。ちなみに他に攻撃機としてSu-25、Su-24を最低でも計50機以上保有していたと思われますが、これは航空優勢確保には使えないので除外します。

対してロシア空軍はMig-29だけでも120機前後を保有していると見られ(発展型のMig-35を含む)、主力であるSu-27系の戦闘機、Su-27、30、35は総数で250機を超えると見らます。すなわち戦闘機だけで350機前後であり、ざっと3〜4倍の戦力差がありました。しかもウクライナ側の機体は基本的に30年前から使われてるポンコツです。本来なら速攻で磨り潰されているほどの戦力差でしょう(ロシア軍の公式サイトは現状確認できないので、数字はロシア語版Wikipediaから。ちなみに戦闘機としてはさらにMig-31があるが航空優勢確保のために敵地に乗り込んで戦える機体では無いのでこれは除く)。

ウクライナ空軍によると 開戦時、ロシア側がウクライナ国境地帯に集めた航空兵力は輸送機やドローンなど各種固定翼機750機、戦闘機&攻撃機(літаків、小型機といった所だが文脈からしてこの意味だろう)450機、そしてヘリコプターが250機とまさに圧倒的な戦力だったとされます。多少の誇張はあってもウクライナ空軍など敵では無い、という数字でしょう。

ところが以後、ロシアは一度もウクライナ主要部の航空優勢を確保できません。少なくとも4月以降、ロシア軍の機体が占領地区を超えてウクライナ領に侵入してきたことは無い、とウクライナ空軍は述べています(恐らくドローンは除く)。数字だけ見るとあり得ない現象であり、なんでこんな事になったのか、が今回の戦争の謎の一つでしょう。この点、ウクライナ空軍の説明によると、開戦直後に主な機体と地対空ミサイル部隊は速攻で退避したため、ほとんど損失が無かったからだ、としています。ただし、そもそもの戦力差が大きすぎ、それだけでこれほどの数の優位が覆せるとは思い難いモノがあります。

この点、侵攻直後、3月11日にアメリカ国防省の関係者がCNNの記者、Jeremy Herbに対し興味深い情報を述べています。CNNの「匿名の米軍関係者」からとされる報道は怪しい内容も多いのですが、この記事はその後の展開と一致するところが多く、一定の信用は置けると思われるので紹介して置きましょう。それによると、

●ウクライナの戦闘機(Fighter aircraft)は現状56機が稼働状態にある。これは開戦前の航空機(fixed-wing)の80%に当たる数字である(戦闘機同士の比較数字で無い事に注意。戦闘機は優先的に逃がしたはずで、その生存率はもっと高い可能性がある)

●ウクライナ側の対空戦闘は戦闘機による迎撃よりも地対空ミサイル(SAM)を中心とし、特に移動式のSAMを上手く運用している。さらには歩兵の携行する小型地対空ミサイルも有効である。
実際、ロシア側の一日辺りの延べ飛行数は200回近いのに対し、ウクライナ側の航空機の出撃は5〜10回に過ぎない。それでもロシア側は優位に航空戦を進められてない。

●早い段階で対地攻撃を無人のドローンへ切り替え、これを効果的に行っている。


ここから見えてくるのは、北ベトナム式のガチガチの対空砲火網による迎撃態勢であり、ロシア側はベトナムにおけるアメリカ軍と同じ窮地に立たされている、という状況です。

ただし開戦当初のウクライナ側の地対空ミサイル装備はこれまた限られた数しか無かったはずで、これをかなり上手く運用した、と考えるべきでしょう。それが鍵だったと思われるのですが、実際にどういった運用だったのか、その肝心な部分がよく判らないのです。数的不利の状況を考えると、余程思い切った運用をしていたと思うのですが、いずれ情報が出て来るのを待ちたいと思います。とにかく事実として、数倍の航空戦力を持つロシア相手に、ウクライナは互角の航空戦を展開しています。ただしそれは空中戦で強いスーパーエース級のパイロットが揃ってるとか、ガンダム並みに強力な特別な機体があるとかではなく、他対空ミサイル網を中心とした戦術によると思われるのです。この点、世界中の航空戦力が気付いていない近代航空戦の穴がある、という可能性も残ります。だとすると、世界中の航空部隊は、今後の戦争で思わぬ苦境に追い込まれる可能性がある、場合によっては航空戦力の持つ意味が根底から覆されてしまう、という可能性が残るのです。

この点、個人的にはウクライナ側のレーダー基地がどれだけ生き残ったのかが気になってます。これが健在のまま戦争を進めたならロシア側の戦術があまりにお粗末、対してレーダー基地が全滅した後にこれだけの対空戦闘をやったなら、ウクライナ側の対応が見事だった、という事になります。まあ、ただひたすらロシア空軍が間抜け、というだけで説明できちゃう可能性も現状、ゼロでは無いんですが(笑)…

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