無人機(UAV)による「観察」

航空偵察&観測は陸戦に置いて極めて有効なのですが、撃墜されやすいため運用コストが極めて高くつ欠点が存在します。このため最前線に張り付いて航空偵察、観測を行うのは近代戦に置いては現実的では無かった、という話を前回しました。

ベラボーに高価な近代ジェット軍用機に加え、パイロットを養成するにも膨大な時間と費用が掛るため、その経済的な損失は極めて大きなものになるわけです。さらに損失補填の機体生産時間、パイロットの訓練時間まで考えると、どう考えても割に合いません。

ただし、これらの問題点を解決しようとする努力は20世紀の段階から行われていました。
安価で生産が容易な機体を使い、同時にパイロットの人的損失を避ける、となると誰もが思いつくのが、無人機(Unmanned Aerial Vehicle /UAV)でしょう。この無人機によってリアルタイムに前線の観測&偵察を行う、というアイデアで先陣を切ったのは、世界有数の実戦慣れした国家、イスラエルでした。

ちなみ無人機の事をドローンとも呼びますが、これは無線操縦機の意味です。ただし中には最初からプログラミングされた経路に従って自動操縦で飛んで帰って来る自律型の無人機もあります。この辺りの定義は必ずしも厳密ではなく、英語圏の文書でも混乱が見られますが、基本的には無人機(UAV)とドローンは同じものを指す、と思ってください。



1986年からアメリカ陸軍、海軍、海兵隊が導入を開始した初期の無人機(UAV)、RQ-2Aパイオニア。
イスラエルが1973年に採用した無人偵察機、タディラン社(Tadiran)のマスチフ(Mastiff)を基に開発された機体。マスチフは1973年初飛行の機体ながらビデオカメラによるリアルタイム偵察が可能で、簡単なデータリンクシステムが採用されていたようです。マスチフは同年に始まるヨム・キプール戦争、第四次中東戦争で使用されてますから、世界で初めて実戦投入されたリアルタイムで偵察が可能な無人機でした。

そのマスチフに影響されて開発が始まったのが、写真の機体、アメリカのRQ-2Aでした。前回も見たようにアメリカの戦艦、アイオワ級が1980年代の狂気の下に修復されて第一線に復活、再配備された時に観測機として搭載されたことで知られます。ちなみにアメリカの戦艦軍団、ベトナム戦争の時はヘリを搭載していたのですが着弾観測に投入されていたのかは不明。

RQ-2は後に海兵隊と陸軍にも採用され、1991年の湾岸戦争にて実戦デビューを果たしました。これがアメリカ軍によるリアルタイム観測が可能な無人機の最初の実戦投入です。

ちなみに離着陸用の脚は収納できず、そもそも海軍の戦艦から利用する場合は補助ロケットを付けてカタパルト(射出機)から打ち出され、帰還時にはサッカーのゴールネットのような装置に突入させて回収してました。着陸フックが機体下面にあり、地上滑走路で運用する場合はこれをワイアに引っかける事で短距離着陸が可能になっています。カメラ解像度はお粗末ですが、最大185qの距離まで遠隔操作でき、当時としては一定の実用性があったようです。

1991年の湾岸戦争では戦艦USSウィスコンシンから発進、地上への艦砲射撃の着弾観測を行い、その砲撃を助けました。スミソニアンの航空宇宙博物館に展示されてるこの機体は、まさにそのUSSウィスコンシンから運用されていたもの。

余談ながら砲撃の観測中に、地上のイラク兵が命乞いのように降伏の意志を機体に示しているのを発見、地上部隊を呼び出してこれを収容する、という珍しい活躍もしています。



1990年代に入り、新たに開発されたアメリカの無人機、RQ-1(2005年以降はMQ-1に改名)プレデター。ちなみにRQ-1は地上に置かれた無線操縦装置など全てのシステムをまとめた名称で、機体だけを指す場合はRQ-1Aといった感じにケツにアルファベットを付け区別するようです。

1994年1月に正式に開発計画がスタート、その年の7月には早くも初飛行という、有人飛行機からすると信じられないようなペースで開発が進められています。その後、1995年3月にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に実験的に投入された上で正式採用が決定しました。ちなみに開発計画は国防省の直轄で、空軍が運用する事になったのは正式採用が決定された後です。

アスペクト比の高い、細くて長い主翼から判るように長時間飛行を前提とし、前線に張り付いて情報収集を行うのが主要な任務でした。一応、写真の機体のように主翼下に簡単な武装が可能で対戦車ミサイルヘルファイアなども搭載できます。ただし自衛&嫌がらせレベルを超えるものでは無く、基本的には偵察機だと思っていいでしょう。

上で見たRQ-2Aに比べるとずっと大型化しており、それは高価でもある、という事を意味します。
この機体は乾燥重量で約0.51t、小型の無人機としてはそこそこかな、という重量でした。ただしこの機体以降はアメリカ空軍でおなじみ、より高性能で大型で高価な機体が求められ始めます。すなわちコスト低減と前線での厳しい運用に耐える条件に完全に逆行して行くわけです。まあF-35などを見れば判るようにアメリカ軍ではおなじみの現象なので、それほど驚く事ではありませぬ。



このため偵察だけてはなく一定の攻撃能力を持たせた無人機、RQ-9リーパーが開発され、これがRQ-1の後継機になりました。ちなみに乾燥重量で2.4tと約5倍、全幅も約1.3倍になっています。当然、それだけ高価になり、さらに地上の敵から発見されやすくなった、という事でもあります。そして2001年に初飛行しながら、部隊配備は2007年までずれ込むなど、どこかで見たような機体になったのです。



より大型化した無人機、RQ-4グローバルホーク(ただし初飛行も導入開始もRQ-9より早い1998年)。

エンジンはプロペラが消えてターボファンジェットに、乾燥重量は約6.7tとRQ-1の約10倍以上になっています。もはや低コストなんざ知るか、デカくて重いのが偉いんだ、といういつものアメリカ空軍仕様ですね。ただし、ここまで来ると前線での運用はほぼ考慮されておらず、敵の無線傍受などのために長時間遠隔地を飛ばす戦略偵察機としての運用が主だと思われます。



一方で現場で戦うアメリカ陸軍は前線で利用できる小型無人機の必要を常に感じていました。ところがRQ-2の後継機として開発されていた小型無人機、RQ-6は最終的に予算が付かず、1999年に計画が中止されてしまいます。これに危機感を持った陸軍が先のRQ-2を基に低予算で開発し直したのが、このRQ-7 シャドーで、2002年から運用が開始されています。ちなみに垂直尾翼を斜めに倒すなど、一定のステルス性に配慮してますが、これだけ出っ張りだらけだとあまり意味が無いでしょう。

乾燥重量で77kgと前記の大型無人機に比べるとかなり小型ですが、離陸には大型の専用のカタパルト(射出機)が、着陸にはワイアを張った専用滑走路が必須です(空母の着艦のようにフックを引っかけて短距離で止まる。写真で下に飛び出してるアンテナのようなものが着陸フック)。手軽に前線の部隊がいつでも使える、とはちょっと言い難い機体でしょう。



photo ARMY Inform

ウクライナ・ロシア戦争で注目され、一定の成果を上げたトルコ製の無人機、バイラクタル TB2(Bayraktar TB2)。
開戦直後からウクライナ軍が実戦投入を開始したこの無人機は、燃料満載の離陸重量でも0.7tほど、アメリカの現役無人機に比べると小型軽量かつ安価でした。それでいて偵察に加えて軽攻撃機にも使えたため、一定の活躍を見せています。ただし当たり前ながら滑走路のある基地が必須で運用には制限があり、この大きさとプロペラありの構造ではステルス性は低くなっています(気を使ってはいるが主翼下にパイロン付けた段階で全て無意味)。このためロシア側が本格的に対空レーダーを持ち込み始めると、機体数が限られたものだった事もあり、徐々にその活躍は下火になって行きます。

この点、トルコ製の最新航空兵器が一定の戦果を上げる、というのもまたちょっとした驚きでした。ただし後にロシア側もイラン製の自爆型攻撃ドローンを導入するので、すでに従来の常識、先進国以外で先端兵器は開発できない、は時代遅れになりつつあるようです。これもドローン時代の特徴の一つかもしれません。



あらゆる戦場に緊急展開することが求められ、最低限の装備で戦う可能性が高アメリカ海兵隊は、ちょっと違った方向で無人機を開発していました。それがRQ-14 ドラゴンアイです。2001年6月に初飛行、翌2002年には海兵隊で導入が開始され、2003年からのイラク戦争に早くも投入されています。

スミソニアンに展示されているこの状態が操縦装置も含めた全システムで、これだけで運用可能です。機体は分解して運搬されるため、少人数部隊で簡単に運用が可能。さらに電気モーター駆動のため極めて静かで音で敵に気付かれる可能性を低くしてます。その上で当時から既にGPSによる正確な位置情報の獲得できました。

離陸時は紙飛行機のように人力で投擲する、ゴムひもで打ち出す、といった運用が可能であり、軽量でプラスチック製部品が多いので着陸前に十分減速してから接地させる事で簡単に回収できます。ただし決して安価ではなく、2006年時の導入価格で一式(機体3機+操縦装置等)で約9万7千ドルというデータがあります。

このようにアメリカ軍を始めとする各国は、万能で高性能な大型の無人機という方向性と、小型軽量で前線の偵察任務に使える無人機という方向性とに大きく分かれていました。ただし、どちらも決して安価ではなく、手軽なはずの機体でも運用に一定の装備は必要でしたし大量配備による広範囲な常時戦線偵察もちょっと無理でした。さらにどちらかと言えば、大型万能機の方が重視されていた印象があります。

そしてウクライナ・ロシア戦争によってこれまで以上に無人機が活躍する時代が到来したのですが、それはこういった高価な軍用ドローンによる戦いとは別の展開を見せるのです。すなわち安価で大量投入できる民間用小型ドローンによる偵察網の構築と、そこに砲兵が連携して戦う、「新たなる観測」による戦争となったのでした。

この点を次のページから見て行きましょう。

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