■二次元における三次元大介 さて、では絵の構図における空間表現について述べたいと思います。ちなみに今回の記事を読むにあたっては2020年の原点回帰 の記事、平面、立体、空間の話を理解している、というのが大前提ですので、ご了承のほどを。 ついでにこの記事は筆者の好き嫌いを述べたもので、正解、不正解、高度かお粗末かを述べたモノでは無い事も最初に確認して置きます。筆者はこれから述べるようなキチンと(正しくでは無い)空間が把握された絵が大層好きであり、その逆の絵は全くもって好きでは無く、場合によってはそういった構図の絵を連続で見てると酔ってしまって、気分が悪くすらなります(故に美術館にはまず行かないし、アニメもほどんど見れない)。当然、ここら辺りは個人差がありますし、世界は広いですから私の苦手な絵の構図が好き、という人もいるでしょう。それはそれであり、という事です。 ではここからが本題。 例えば「生物の大黒先生が間違って旧校舎の時限地平を開放してしまったので、イスだけを武器に体育館に向かう通路でこれを迎え撃つ絶対神の分霊二柱」という、誰もが一生に一度は絵に描こうと思うであろう題材を考えます。 私の場合、まず頭に浮かぶのはこんな構図です。このまま仕上げてしまってもいいですし… ちょっと角度を変えて情報量を増やすのもありでしょう。いずれにせよ、私が見たいのはこういった構図であり、自分が見たい以上、自分で描く時はそのように描きます。 ところが世の中の絵の9割はこういった構図になります。正直、色を塗るのも面倒だしイヤなので、これでガマンしてください。でもって、これならまだマシな方で… その中のさらに半分以上はこういった構図です。こういった構図を10枚連続で見ると、おそらく筆者は命の危機を感じるくらい気分が悪くなります。 同じ人間、すなわち筆者が描いてるのだから、上手い下手の問題で無いのはすぐに理解できるでしょう。では何が問題なのか。おそらく読者の8割は理解できないと思いますし、逆に全読者中0.1%以下の極少数の方々、空間把握能力を持つ人は言葉で説明しなくても判ると思います。 いずれにせよ、この辺りをキチンと言葉で説明した例を見たことがないので(大塚康夫さんの「作画汗まみれ 改訂最新版」の中で一歩手前まで踏み込んだ例はある)、ちょっと説明して置きたいと思いまする。すなわち絵に描く時に「殺される空間」の問題です。 |