フランス側の事情

 お口で溶けずに戦場に到着前に溶けて無くなるフランス軍、そちら側の事情も見て行きましょう。既に述べたように一帯はフランス第2軍の管轄であり、その配下にあった第10軍団がセダン方面の担当でした。前夜、後方部隊が戦わずして壊滅した第55歩兵師団、さらに師団丸ごと潰走した第71歩兵師団はこの第10軍団の指揮下にありました(第71歩兵師団も取り残された部隊があり、一部は戦闘を行っているが)。さらに第3北アフリカ歩兵師団、例のフランスが植民地から強制的に連れて来た師団が南に居たのですが、この師団は最後まで、どこで何をしていたのか判らないまま終わります。まあ、以後、そんなのばかりになるので気にしない(笑)。

その第10軍司令部はストンヌの南、ラ・ベリエール(La Berlière) に指令部を置いてました。ちなみに第55歩兵師団の指揮官、ラフォンテーヌはビュルソンから逃げ出した後、その南西約10qに位置するルシェンヌにその司令部を置いています。すなわち上級司令部である軍団司令部と師団司令部が前線からほぼ等距離に置かれてしまったというか、むしろ師団司令部の方が最前線より遠いのです…。とりあえず14日夜明け後のフランス側の状況を先の地図に追加するとこんな感じになります。 

 

その第10軍団の指令官だったのがゴンサー将軍でした(Pierre-Paul-Charles Grandsard/日本語版「電撃戦という幻」ではグランサールとしているが英語読みだろう。ただし珍しい姓でフランドル語圏の一族のような気もする。その場合、違う読みの可能性もある)。とにかくボンクラの見本市のような状況になって行くフランス軍の中では比較的まともな判断力をもった人物だったように見受けられますが、怒涛のように押し寄せたグーデリアン軍団の前ではやはり無力でした。

第10軍団は先に見た3師団に加えて極めて強力な予備戦力を一帯に配置していました。まずは二つの戦車大隊(40両前後の戦車で一個大隊)。最初に見たようにフランス軍に装甲部隊の概念はほとんどなく、全軍で僅かに4個師団しか装甲師団を持ちませんでした。他の膨大な数の戦車は歩兵を支援するものとして、少数ずつ各師団に分散配備されてしまっていたのです。すなわち強力な戦車を集団で運用し高速かつ強烈な突破力を維持する、という発想はほぼありませぬ。その中で例外的に独立した強力な装甲部隊、二つの戦車大隊が第10軍団にはあったのです。一つは第7戦車大隊で、これは師団司令部の西、ルシェンヌにありました。例の第55歩兵師団司令部が逃げ込んだ集落です。もう一つは東の第4戦車大隊で、これは師団司令部の東、ボーモン(Beaumont)の集落周辺に展開していました。

さらにそれと共同して戦う歩兵連隊が二つ。まずは第213歩兵連隊がビュルソンのすぐ南にあり、その南東に第205歩兵連隊がありました。全部を合わせれば半個装甲師団級の戦力であり、これが戦車渡河前のグデーリアン軍団を速攻で襲撃していれば、致命的な打撃を与えられた可能性が高いでしょう。ですが、そうはなりませんでした。それどころか東に居た第205歩兵師団と第4戦車軍団は戦闘に間に合わないまま撤退、以後、どこで何をしてたのか判らないまま電撃戦は終わります。これも消えて無くなったと言う他無い部隊になってしまうのです。

フランス軍における命令伝達の「文化」

ではどうしてそんな事になったのかを順番に見て行きましょう。
実は後方に位置する予備部隊への出撃命令はかなり早い段階、前日13日の16時、すなわちグデーリアン軍団渡河開始と同時に出ていました。第10軍団は開戦前から予備戦力部隊の行動を詳細に決めており、ドイツ側が渡河をして来たら速やかにシェエリーからビュルソン北一帯まで進出(上の地図参照)、もしマース川一帯の前線部隊が突破されたらそこで敵の進出を食い止める作戦になっていました。すなわち事前の予定通りの行動であり、グデーリアン軍団の高速進撃に応じた反応ではありません。あくまで予想される防衛線まで移動して置け、という命令で戦闘命令ではありませぬ。何度か書いているようにフランス軍はグーデリアン軍団の渡河には二日か三日ほど掛かると考えていたフシがあり、このため一連の行動は恐ろしく緩慢になります。

よってその命令伝達も驚くほど呑気でした。第10軍団指令官のゴンサー将軍の命令は14日16時付で出されました。ところが四つの予備部隊にオートバイによる伝令の兵を送り、指令書を直接手渡したのです。さすがに連隊、大隊規模の部隊なら司令部は無線機を持っていたか、電話は繋がっていたはずです。それでもこのような手段を取ったのは上意下達至上主義な命令系統を持つフランス軍の「文化」、そういった風習があったからのようです。このため以後も正式に文章で命令書を受けるまで部隊が動かない、という信じられない事態が各所で発生、フランス軍の崩壊に拍車を掛ける事になります。

よって各部隊が実際に命令を受けたのは最速でも発令から1時間半以上経過してからでした。予定防衛線から約5q南、最短距離の位置に居た第213歩兵連隊は17時半、第4、第7両戦車大隊が指令を受け取ったのはなんと2時間後の18時でした(第205歩兵連隊が受け取った時間は不明だが同じようなものだろう)。せいぜい10qの距離にこれほど時間が掛かったのは、渡河作戦後、ドイツ空軍がより南の一帯を爆撃を行っていた影響もあったようです。そして同じ理由で各部隊は即座に移動を開始しませんでした。空襲を避けるため、日没の21時過ぎまでどの部隊も駐屯地から動かなかったのです。そしてこの出発時間の遅延により予備戦力部隊の前進は、第55歩兵師団&第71歩兵師団の潰走する兵たちの中にモロに突入してしまう事になります。

その呑気な認識が変わったのが日没直前の20時頃でした。第10軍団司令部にどれだけ正確な情報が入っていたのかは不明ですが、おそらく19時半ごろまでにはドイツ軍のマース川渡河を知ったと思われます。ただし第55歩兵師団師団とその師団司令部が既にパニックからの潰走に入ってる事を第10軍団司令部は知りませんでした。このため、これらの反撃部隊の指揮を現地責任者であるその第55歩兵師団長だったラフォンテーヌに命じてしまいます(これも指揮権譲与の命令で反撃作戦開始を命じたものでは無い)。

この命令は電話で伝えられたのですが、時間的に連中が無線から電話まで全て破壊する直前で、以後、ラフォンテーヌとの連絡は完全に途絶してしまうのです。なんだそれ(笑)。 さらに言えば、ガムラン将軍の居るフランス軍総司令部がドイツ軍の渡河成功の情報を知ったのは既に見たように21時ごろと見られ、すなわちその情報伝達に1時間近く掛かっています。分単位で状況が変わる装甲部隊相手の戦闘では絶望的な「テンポ」だと言っていいでしょう。ちなみになんでこんなに時間が掛かったのかは全くの謎です。バイクが1時間で走り切れる距離では無いので、単に電話しなかっただけ、という可能性が一番高いのですが…

第10軍団司令部としては第55歩兵師団がドイツ軍を食い止める戦闘を続けている所に、元気な予備戦力部隊が駆けつけ一気にドイツ軍を蹴散らす、ラフォンテーヌが「皆、待たせたなトレビアーン」的な戦闘を行う事を期待したんだと思います。ところがそのラフォンテーヌは命令を受けた直後に司令部の無線と電話を破壊、音信不通状態のまま南のルシェンヌにまで逃げてしまうのです…。

気の毒なラフォンテーヌ

理解に苦しむのはこの辺りの事情に気付いたと思われる後も、第10軍団司令部はラフォンテーヌを反撃作戦の指揮官から外さなかった事です。まあ一帯に居る最高責任者はこの人なので仕方なかったのかもしれませんが、これが悲劇的な結末へとターボ過給をフルブーストで掛ける結果になります。ただしラフォンテーヌ閣下の名誉のために一言申し添えて置きます。戦わずに逃げた指揮官、どこで何をやっていたのか全く判らない指揮官がダース単位で存在したのがフランス軍ですから、いくらでも居たボンクラの一人であり、取り立ててヒドイ、という存在では無かったと思います。数ある無能の中から、不運にも戦いの中に放り込まれてしまった一人だった、という面は確かにあるでしょう。有能で無いのも確かですがね。

最終的に第10軍団司令部がラフォンテーヌの居場所を知ったのは日没後の21時過ぎ、彼が第55歩兵師団司令部を南のルシェンヌに移動させた後でした。時間的には各予備戦力部隊がちょうど移動を開始した頃です。そして北のセダン一帯ではグデーリアン軍団の第1装甲師団、大ドイツ歩兵連隊に続き第10装甲師団も渡河に成功しつつあった時間帯でした。ちなみにラフォンテーヌが逃げ込んだルシェンヌには予備戦力部隊の主力の一つ、第7戦車大隊が居ました。本来なら18時には出撃命令を受けていたのですが、既に見たように日没まで動いてません。このためラフォンテーヌが連れて来た敗走する第55歩兵師団の兵の波の中に突っ込んで行く形になったのです。恐らくこれも同大隊の進撃速度の遅さの一因となっています。当然、士気の面でもかなり悪い影響があったでしょう。ついでに既に同大隊はラフォンテーヌの指揮下にあったはずですが、その場で特に指示を受けた形跡等は見られません。

この時、移動後の師団司令部へ電話による連絡は出来たはずですが(民間の電話線網が使える)、例の「文化」によって、第10装甲師団から伝令(と言っても大佐級の人物だが)が直接ルシェンヌに向かい、ラフォンテーヌに状況を説明しています。その中で予備戦力部隊の進行が遅れている事を伝えるのですが、ラフォンテーヌは何ら手を打ちませんでした(そもそもこの人が連れて来た潰走する兵が遅れの一因なのだが)。
 


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