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■グデーリアンの憂鬱
5月21日に発生したアラスの戦い、すなわち英仏連合軍による反撃をロンメルが退けた戦闘を前回までに見ました。これでドイツ軍包囲網を脱出する可能性はほぼ潰えたのですが、ドイツ側にも要らぬ混乱が発生します。この攻撃によってドイツ軍上層部&ヒゲのヒトラーがパニックとなってしまったのです。その結果としてあの有名な「アラスより北西にある全部隊は進撃を停止せよ」の命令が5月24日午後12時45分にA軍集団司令部から発令されてしまいます(ちなみに同日、ヒトラーが出した「戦争遂行に関する総統指令13号」とは全く別物なので注意。あくまでA軍集団司令部からの命令である。総統が自分で出した13号は戦略レベルでこれからやるべき事を述べたものだが、そもそも何言ってるのかよく判らぬ)。
ちなみにこの辺りの出来事に関する「電撃戦という幻」の記述は時系列がメチャクチャで、当然の結果として事象の因果関係に多くの勘違いがありますから鵜呑みにしないよう、要注意(特にアラス戦の影響とその前後のドイツ軍への停止命令)。この本、非常によく調べてあるんですが、なぜか終盤、特にアラス戦前後に入ると色々と記述が変なんですよ。
ただしアラス敗北後の段階でも連合軍側上層部は反撃しか考えておらず、イギリス本土に逃げ出す気は全くありませんでした。未だフランス軍総司令部には現実が理解できず、チャーチルもそれに引きずられていたのです。唯一、現地にあったイギリス遠征軍指令官、ゴート卿が配下の部隊を英仏海峡に向け密かに動かし始めていましたが、これもまだ本格化はしていません。イギリス側が完全にフランス軍に愛想をつかし、チャーチルももはや撤退しか無いと決断するのは26日になってからです。すなわちアラスの戦いから5日近い時間があり、包囲の機会はまだ十分にあったはずでした。それでもドイツ軍はこれを取り逃がしてしまうのです。
今回は、その英仏連合軍の脱出成功に至るまでの流れを見て置きましょう。この間、英仏軍は大したことはやっておらず、ただひたすらドイツ側が錯乱し、自滅する過程となります。戦史上でも極めて珍しい、勝ち過ぎちゃって困っちゃって勝ってる側がパニックで戦略的勝利を逃す、という事例がこの時のヒゲのヒトラー&ドイツ軍上層部と言えるでしょう。電撃戦を一言でまとめれば「戦術的圧勝、戦略的に敗北」なんですが、本来なら戦略的にも圧勝できていた戦いでした。1914年にヒンデンブルクとルーデンドルフがやってのけた戦争芸術、タンネンバーク(Tannenberg)級の大勝利が約束されていたハズなのです。それを失敗に終わらせるのがヒトラーとドイツ軍上層部、具体的にはクライストとルントシュテットで、その辺りを最後に見て置きましょう。
まずはアラスの戦直前、21日正午までのグデーリアン&ラインハルト軍団、すなわちクライスト装甲集団の状況を再確認。ロンメルの第7装甲師団&ホート装甲集団に関しては既に散々見たので省きます。

前日の20日(厳密には21日に日付が変わった直後)に第2装甲師団配下の狙撃兵大隊が英仏海峡に到達したのは既に見ました。そしてグデーリアン配下の三個装甲師団も同日中にソンム川沿いのアベビル、アミアン、ペロンヌにそれぞれ入り、英仏連合軍(ベルギーもまだ降伏前だがあまりやる気は無かった)の南側の脱出路は塞がれてしまったわけです。ところがグデーリアンによると、クライスト装甲集団司令部から以後の命令が届かず、21日は全く行動できずに終わりました。グデーリアンはこれを装甲集団のボス、クライストによる事実上の進撃停止命令だと見ていたようです。
ただし同じ21日、クライスト軍集団配下のラインハルト軍団は海岸線に向けて進撃中であり、正午ごろまでに第8装甲師団はエダン(Hesdin)に、第6装甲師団はその南に在るル・ボワル(Le
Boisle)にまで進んでいました。ここでロンメル第7装甲師団がアラスで大ピンチの報告が届き、第6師団は東に方向転換、アラスから約20kmの距離まで分散進撃しています(第7師団が突破された場合に備えてアラスへ向かう部隊と南の進路を封じる部隊に分かれたらしい)。そしてその間、第8装甲師団は北東方向に進撃を続けているのです。これによって第8装甲師団は21日中にアラス北西部に入り、A軍集団中で最も北に進撃した部隊となりました。
よって同じ21日にラインハルトの第41装甲軍団は普通に進撃しているのです。そもそもグデーリアンが命令が無い程度で大人しく止まると思えないのもまた事実。なので命令が来ないのを利用して補給と部隊整理のために動かなかったのではないか、と個人的には推測しています。クライスト装甲集団のボス、クライストはかなり悲観的になっており、命令を出さない形で消極的な停止命令を実行、補給に不安のあったグデーリアンもそれに逆らわなかった、といった辺りが実情では無いかと。実際、前日に海岸線まで一気に突破していた第2装甲師団は常に燃料に不安を抱え続けていました。この点、他の師団も似たような状況だったと思われ、後方から補給が届かないと動けなかった可能性は高いでしょう。ついでに言えば、ここから北に向けて大きく方向転換するため、それまでとは違う道路状況の確認なども必要だったはず。ちなみにイギリス軍の捕虜によるとドイツ側はミシュランのドライブ観光地図を使っていたが、イギリス軍が持っていた地図より正確だったとか。下手な軍用品より民生品の方が優れている例の一つでしょう。後のソ連にはミシュランガイドがなかった事がドイツ軍の不幸だったかと。
結局、21日の午後遅くになって第19装甲軍団に進撃命令が届きますが、グデーリアンは直ぐには動かず、翌22日の朝から行動開始としました。やはり第19装甲軍団は補給&部隊整理中だった可能性が高い気がします。命令の内容はフランス北部に位置するブローニュ・シューメール(Boulogne-sur-Mer/英語圏の資料では単にブローニュとされる事が多いがパリ近郊の地名と紛らわしいので本稿ではこの記述で行く)、カレー、ダンケルクの三つの港湾都市の確保だったとされます。ただしこの点、クライスト装甲集団からの指令を見るとダンケルクには触れてません。よってここまで攻略する事に決めたのはグデーリアンの独断の可能性あり。
これらはフランス北部では数少ない大型船が接岸できる港湾都市で(他は延々と砂浜と断崖が続く)、後に最北部に位置するダンケルク周辺から連合軍は脱出を行う事になります。ただしイギリス軍の脱出作戦は未だ発動しておらず、この段階でドイツ側がここを目標としたのは、むしろ増援を防ぐためでしょう。実際、翌22日にはイギリス本土から、第20独立歩兵旅団などの増援部隊がブローニュ・シューメールに上陸、同日、カレーにも第30歩兵旅団と第3戦車旅団(軽戦車21両、巡航戦車27両のそこそこ強力な部隊)が入りました。ドイツ側は英仏海峡上空にも偵察機を飛ばしていたので、この動きに気が付いていたはずです。逆に言えば以後、連合軍主力の脱出を防ぐ戦いになるとは思って無かったでしょう。
ところがこの22日の朝、進撃開始直前にグデーリアンは第10装甲師団を取り上げられ、さらに第1、第2装甲師団からも一部の戦力が引き抜かれます。それらはヒトラーの妄想の中にだけ存在する「ソンム川の南から来る強力なフランス軍部隊」に対する防衛に回されてしまったのです。グデーリアンの抗議などもあって翌23日に第10装甲師団だけはグデーリアンの配下に戻るのですが、当初、ダンケルクに向かう予定だったのは同師団だったため、その攻略は一度破棄されてしまいます。
同時に最後まで予備兵力として温存されていた第9装甲師団がクライスト装甲集団の配下に入る事が決定されるのですが、少なくとも24日までには現地に到着していません(恐らくこの段階でイケイケ電撃戦派に鞍替えしていた参謀総長ハルダーの決定。これでドイツ軍が持つ全10個装甲師団が全て投入された事になる)。
ちなみに21日のアラスの戦いが終わった直後に24時間の停止命令が出た、という記述が「電撃戦という幻」にあるのですが、他の資料では確認できませんでした。実際、グデーリアンもラインハルトも翌22日の朝から普通に進撃を再開しています。在りうるとしたら、ロンメルの第7装甲師団に対しての命令では無いかと思われますが、確認できず。
こうして22日朝からグデーリアンの第19装甲軍団の進撃は再開されたものの、その打撃力は大幅に削られてしまっていたのです。さらに翌23日の夜に再度停止命令が出て、その進撃はまたも停止されられてしまいます。今度は今まで比較的中立的な立場だったA軍集団のボス、ルントシュテットがビビッてしまったのです。そしてその判断に大きな影響を与えたのがクライスト装甲集団のボス、クライストでした。アラスの戦いの発生に衝撃を受けたクライストは23日の朝に提出した報告で、アラス方面の安全が確保されるまで攻撃続行は困難だ、既に我々は戦車の50%(この数字の根拠は不明。実際はそこまでの損失は出していない)を失ったと具申したのです。
不幸にしてホート&クライスト装甲集団の両者はこの段階で第四軍の指揮系統下に入ってました。あのボンクラのクルーゲ将軍が率いる第四軍です。なんでまたドイツ軍最強部隊を全部この男の指揮系統下に入れちゃうんだ、と思う所ですが…。実際、この報告を受けたクルーゲは速攻でルントシュテットに進撃停止を提言してしまいます(強い独立性を持つ両装甲集団を止められたなかったのか、無責任のクルーゲがA軍集団のボス、ルントシュテットを巻き込んだのかは不明)。既に不安に捕らわれていたルントシュテットはこれまた速攻でこれを受け入れ、23日20時に歩兵部隊が追いつくまで進撃を待つよう第四軍司令部に命令を出します。すなわち24日は一切の攻撃を禁じ、25日までの進撃再開を待て、という内容です。まあこれも問題ではあるんですが、それでも25日までの24時間限定の停止命令でした。ところがこの命令は翌日までにさらにヒドイものにメガ進化してしまうのです。
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