今回からはロンメルによるフランス国境と「弱いマジノ線」の突破を詳細に見てゆきます。

でもって最初に述べて置くと、この辺りに関する「電撃戦という幻」の記述は「ロンメル戦記」とかなり異なります。筆者のフリーザーはドイツ語によるロンメルの記述を入手しているはずなんですが(未だにあのリデル・ハートの本しか正式な出版物は無い。すなわち英語に訳された記述以外通常見れない)、どうにもいろいろとオカシイので、ここでは「ロンメル戦記」の記述を優先します。

さて、ロンメルは16日の午前中に「自称進撃許可を得た師団長」として、第7装甲師団の司令部が置かれたフォワ・シャペルを出撃、そのまま国境線を越え、日没後には「弱いマジノ線」を突破、さらには次の天然の要害と見られていたサンブル川も越て、翌17日の朝までに国境から50km近くフランス国内に食い込んでしまいます(ただし反動も大きく翌17日はやや停滞する)。この辺りを地図で再確認して置きましょう。

 

午前中に既にフォワ・シャペルを出たのに、約15qしかないフランス国境の突破が18時ごろと妙に時間が掛かっていますが、これは次に見るようにベルギー領内のシヴリに砲兵陣地を築いて万全の準備を行ったからです。

意外なことに、当初のロンメルによる作戦計画は至って普通の正攻法でした。まずはベルギー側のシヴリ地区を制圧後、砲兵陣地をここに築きフランス側の「弱いマジノ線」が広がるクレッフェ(Clairfayts)周辺を砲撃で叩く。その後戦車の援護の下に歩兵部隊が一帯の「弱いマジノ線」を制圧します。そして工兵が路上の妨害物を取り除いた後、戦車連隊がアヴェーヌに向かうというもの。実際は全てが同時進行の大乱戦になった結果、想定外の「電撃戦」が完成してしまうのですが。

ちなみにロンメルはこの計画を、午前中の段階で師団司令部に来た第4軍司令官クルーゲ将軍に説明、同意を得たとしていますが、前回説明したように怪しいです(笑)。まあお調子者のクルーゲの事なんで、「ナイスでヤンス。頑張るでヤンス」的な適当な事を行って、内諾したと勘違いされた可能性も捨てきれませんが。

とりあえずベルギー側のシヴリまで何の抵抗も無く第7師団は進撃し、一帯で砲兵陣地の構築を開始します。砲兵の展開が終わると国境を越えた砲撃を開始するのですが、一切の反撃は無かったとの事。間もなくロンメルは毎度おなじみ第25戦車連隊に合流すると、その指揮官であるロッテンバーグ大佐(Karl Rothenburg)の戦車に同乗、今回も先頭に立って国境を越え、さらにクレッフェ付近の「弱いマジノ線」に向けて前進を開始するのです。ロンメルの記述を見る限り、国境はあっさり突破でき、さらにはクレッフェ周辺までフランス軍からの反撃は一切なかったとされ、フランス軍空白地帯に第7装甲師団が入り込んでいたのだと思われます。

ただし「弱いマジノ線」一帯はさすがに準備万端でロンメルを待ち受けており、フィリップビルの戦車戦に次ぐ激しい戦闘が展開されました。まずクレッフェの集落周辺が地雷原になっており、これを迂回するため南側に2q近く迂回する必要がありました。このため戦車部隊は道路を外れ、畑や果樹園を強行突破して進むハメになり、かなり進撃速度が落ちました。そしてクレッフェの南を通過した後、ロンメルは最初の「弱いマジノ線」に構築された陣地を発見します。フランス兵は当初戦わずして降伏しようとしていたらしいのですが直後にドイツ側の戦車が別の陣地に対して発砲してしまいます。これを見た一帯のフランス兵は陣地の中に潜り込んで反撃に移り、以後、大乱戦になって行きます(ロンメルの命令が出る前に発砲したらしいが、特にこれを責める記述はない。いずれにせよ戦闘は避けられなかったとの判断なのだろう)。

一帯からアヴェーヌに繋がる道路上には阻害物が設置されており、戦車はそのままでは進めませんでした。このため歩兵がこれを除去する必要があり一時的にその進撃は止まります。戦闘開始後、速攻で戦車2両が撃破されたのを見たロンメルは煙幕を展開、さらにシヴリの砲兵陣地に支援砲撃を要請しました。この段階での砲撃にはフランス側も撃ち返しており、ますます大乱戦の様相になって行きます。

ここで活躍したのが工兵部隊でした。戦車連隊に所属する工兵中隊と(恐らく機械化されたトラックで移動する部隊)、オートバイ狙撃兵部隊に所属する工兵小隊(恐らく第7オートバイ狙撃兵大隊のもの)が日没前後、恐らく21時ごろに現地に到着すると、直ぐに敵の陣地とトーチカを一つ一つ潰し始めます。さらに道路上の障害物の一部を排除する事に成功しました。その狭い間隙を縫って第25戦車連隊が一帯を突破、「弱いマジノ線」を越えフランスの防衛線内側に突入するのです。この突破口は極めて狭い物でしたがロンメルは戦車を一列縦隊に並ばせ、ここから一気に突破、以後、快進撃に入ります。ただしこの狭い突破口は以後もしばらく拡張されず、翌日以降、後続部隊がロンメルに取り残される一因となります。

ロンメルによると、この段階で月が出て一帯は明るく視界が確保されたとしています。ただしこの日の月の出は14時ごろのはずで、月が南中しつつあって明るくなってきたのを月の出とロンメルが勘違いしたのだと思います。ちなみに月齢は9で、満月前後よりは暗い状態でしたが、それでも真っ暗闇の中で行動するには有利な条件でした。

ついでに余談ですが、電撃戦の成功条件の一つとして見落とされがちなものの一つに天候があります。10日の開戦から約一週間近く本格的な雨天がありませんでした。これによって航空支援が可能になったのと同時に、妨害工作が行われた道路を迂回するために畑や牧草地、果樹園などを走破しても泥濘に脚を取られ進撃速度が落ちる事なく進撃できたのです。この辺りは完全に運に見えますが、この時期の天候を知った上で作戦開始日を決定していた可能性もあります。この点、明確な記録が残って無いので、何とも言えない部分ではありますが。

そしてロンメルは今回も先頭を走る戦車中隊に続いて「弱いマジノ線」を突破、ソル・ホル・シャトー(Solre-le-Château)、を経由して当初の目的地だったアヴェーヌまでの前進を開始します。同時にこの時初めて師団全体に明確な「絶対的な指針による統制」を与え、その行動に至る集団のOODAループの高速化を行いました。これですね。



具体的には「戦車部隊はとにかく急ぎアヴェーヌに向かえ、止まるな、目についた標的は走りながら撃ちまくれ、主砲も機銃を全て使え」、すなわち今回も「走りながら撃ちまくる戦法」を命じ、その戦車部隊に続く機械化歩兵部隊には戦車部隊に続け、最速でアヴェーヌを目指せ、とだけ告げました。これによって各部隊は師団長ロンメルの指示をいちいち待つ必要が無くなり、何か不測の事態を迎えても、とにかく最速でアヴェーヌに向かうための行動を選べばいい事になったのです。同時に判断段階の「飛ばし」の高速化が可能になり、もし不測の事態が生じても複数の選択肢で悩む必要は無くなります。グデーリアンが13日までにセダンに来いという指令を与えて、後は各師団に一定の自由裁量を与えたのと同じやり方であり、師団の行動はこれで一気に高速化されたのです(ただし後で見るように師団の主力部隊の一つだった機械化歩兵部隊、第7狙撃兵旅団は師団司令部によって足止めされてしまっておりこの点に関しては効果が無かった)。


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