■ロンメルエンジン掛かってきたぜ
前回は第15装甲軍団、すなわちロンメル少将の第7装甲師団とハルトリープ中将の第5装甲師団がディナン地区でマース川を渡河し、対岸に橋頭堡を築いた14日朝までの状況を見ました。念のため確認して置くとこんな感じですね。

この後、ロンメルの第7装甲師団はフランス第9軍配下の部隊と散発的な戦闘を突破、オナイユから約7q西の地点、モーヴィル(Morville)
まで進出しています。対して先に渡河して橋頭堡を築いていた北の第5装甲師団はフランス軍の反撃を一手に引き受ける事になったためオー・ル・ワスティア周辺での戦闘が一日中続き、なんとか14日夜までに一帯を掌握したという状況でした。
ちなみに両師団とも14日の戦闘中にマース川の渡河橋が完成しなかったため、未だ多くの戦力が東岸に置き去りにされたままでした。このため第5装甲師団は第31戦車連隊のみ、第7装甲師団は第25戦車連隊のみと、それぞれ約半分程度の戦力で翌15日の橋頭堡拡大の戦いを行う事になります(ただしロンメルは配下の第25戦車連隊三個戦車大隊ほぼ全て渡河させていた。対して第5装甲師団は第31戦車連隊の二個大隊のみだったと思われる。ついでにロンメルの第7師団は一個戦車連隊、ハルトリープの第5装甲師団は二個戦車連隊で連隊数では第5装甲師団が倍となる。ただし第7師団の連隊は三個大隊構成、対して第5装甲師団の連隊は各二個大隊構成で計四個大隊、よってその差は一個大隊のみで書類上の印象程戦力差はない。ただし本来ならハルトリープの第5装甲師団が主役だったのはこの辺りからも伺える)。
そして翌15日には電撃戦最大の戦車戦、フランスの第1装甲師団と激突するフラヴィヨン(Flavion)の戦車戦が発生しています。数でも戦車の性能でも見劣りしていたはずのドイツ側が圧勝してしまうのがこの戦車戦です。ただしロンメルの第7装甲師団は冒頭の一撃をお見舞いしただけで離脱してしまい、その後始末をやってのけたのは、またしても第5装甲師団の方でした。こうして見ると電撃戦的な高速進撃という点ではロンメルの指揮が光るのですが、実際の戦闘指揮ではハルトリープ中将の方が優れていた、という印象を受けます。ただし後の18日のル・ケスノワ(Le
Quesnoy)包囲戦で第5装甲師団は四日に渡り足止めされてしまい、他の師団が快進撃を続ける中で取り残されてしまいます。それが原因でハルトリープは師団長を解任され、さらに1942年に負傷入院して長期療養に入った結果、以後、指揮官でなく後方の事務方にされてしまいます。ル・ケスノワの攻防戦の不手際は確かですが、そこに至るまではそれなりに見事な指揮を見せてるので、ちょっと気の毒な気もします、ハルトリープ。ほとんど前線に出てないのに戦後は逮捕されて投獄されてますし。
とりあえずその15日の動きをまずは地図で確認して置きましょう。

14日中に南のロンメル率いる第7装甲師団がモーヴィル(Morville)
周辺、北のハルトリープ率いる第5装甲師団がソミェー(Sommière)
周辺に、それぞれ集結、野営していました(ただし既に見たように後方では渡河作業が続いていた)。
対するフランス軍も14日の段階で予備兵力をこの一帯に移動させ始めます。フランス最強の機甲戦力だった第1戦車師団、そして第4北アフリカ歩兵師団です。ただし第1装甲師団は本来、この一帯の反撃のために置かれた部隊ではなく、フランス第1軍、すなわち北の連合軍主力の配下に入る予定で、ディナンから約40qほど西の一帯に展開していたものでした。この段階ではグデーリアン軍団も本格的な進撃を開始しておらず、フランス側は北のベルギー平野部に未だ気をとられていて、その増援部隊だったのです。このため少なくとも13日の段階では同師団の司令部は北の平野部に向かって移動する計画を立てていました。
ところが13日夜、各方面からの情報がようやく入って来くるようになるとフランス軍総司令部はディナン一帯の戦況が悪化している事に気がつきました。事実ならすぐ北側に展開する連合軍主力部隊は危険な状況に追い込まれてしまいます。このため急ぎ虎の子の第1装甲師団を一帯に送り込む事にしたのです。まず第9軍の配下に入れ、約40q東、フラヴィヨン一帯への進出を命じます。
ただしこの急な命令変更によって、もはやお馴染みのフランス軍の文化、命令系統の混乱、戦闘地区への進出の遅さ、という悪い面が全て出てしまうのです。
まず第1軍への派遣は中止、第9軍への編入を準備せよ、との予備命令が13日深夜に、第1装甲師団司令部に届きました。ここまでは問題無し。ところが以後、またもという感じで指揮系統が迷走、当初防衛線が構築される予定だったフィリプヴィル(Philippeville)地区の東、フラヴィヨンに向けた移動命令を受けたのは14日の14時ごろ、移動開始が16時になってしまいます。約35qの移動でしたが、例によってフランス戦車軍団はロバより遅い移動速度で動き、結局、日没直前の21時ごろにようやく先行部隊がフラヴィヨンに到達、残る部隊は一帯に広く展開したまま野営に入るハメになりました。さらにこの段階では付近の住民が一斉に西に向けて避難を開始しており、そこに西に逃げるフランス兵まで加わって一帯は大渋滞状態になってしまいます(既に見たようにこの一帯はセダン地区のようなパニックからの組織的な崩壊は起きてないので無断で現場を離れた逃亡兵だった可能性が高い。そういった意味ではフランス軍は既に敗れつつあった)。この大渋滞に巻き込まれて道を間違える部隊もあり、フランス第1装甲師団は半径4qを超える広大な一帯に分散して展開する事になってしまうのです(一部の部隊はそこにも到達できなかった)。このため翌15日の午前10時にロンメル率いる第7装甲師団の襲撃を受けた時、同師団の戦車は分散配置され戦力の集中運用ができない状態でした。
さらに加えて毎度おなじみ、13日夜の段階で第1装甲師団の戦車のほとんどが燃料切れ状態となっていました。ところが給油車が居る補給部隊は師団の最後尾付近を進んでいたため、その到着を待つ必要が生じます。このため第9軍司令部から14日の夜間までに攻撃に移れという指令を受けながら同師団は戦闘不能であるとして野営に入ってしまいます(どう考えても軍法会議ものの命令無視だが、実際に動かなかった。この点、第9軍司令部が攻撃中止を認めたのか、完全に師団司令部の独断だったのかハッキリしない)。既に見たように5qほど先のモーヴィルにはロンメルの第7装甲師団の戦車部隊が居たので、もしこの夜襲命令が実行されていれば、奇襲が成功、一帯のドイツ軍を危機的な状況に追いこめた可能性があるのですが、まあこれが当時にフランス軍だったのです。
このため翌15日の朝、フランス戦車部隊はその給油から始める必要がありました。ところが既に見たように広大な土地に分散してしまった上に、一部の部隊はどこに居るのかも判らない状態でした。このため給油車両は朝から一帯を右往左往する事になり午前10時の段階でも師団全体が動ける状態にはなりませんでした。この辺りはジュリ缶を持たず、給油車両から直接燃料を入れるしか無かったフランス軍の弱点がモロに出たと言っていいでしょう。
さらに不運なことに、この日は朝からドイツ第15装甲軍団の2個師団に対してに航空支援が行われる計画になっていました。その航空攻撃の目標地点を指示したのはロンメルです。第5装甲師団より先行していたからだと思いますが、例によって彼が独断で指揮権奪ってしまった可能性は残ります。この時ロンメルはフランス第1装甲師団の存在に気づいて無かったのですが(なのでわずか5q足らずの距離にあるモーヴィルで野営した)、この日の進路上で一番最初に突破しなくてはならぬフランス側の拠点、フラヴィヨン一帯を爆撃目標に指定します。この結果、フランス戦車部隊の一部を航空攻撃で撃破してしまう事になり、さらにその損害には給油車両も含まれていたため、フランス側はさらなる混乱に巻き込まれてしまいます。そのドタバタな状態の中、午前10時の段階で同師団はロンメル率いる第7装甲師団 第25戦車連隊の襲撃を師団展開地区の南側で受ける事になってしまうのです。
ただしこの最初のフラヴィヨンでの戦闘は、あまりに一方的だったため、ロンメルはそこにフランス軍の最強の機甲師団が居たとすら気がついて無かった可能性があります。実際、ロンメルの手記にはフランス第1装甲師団との戦闘に関しては「フラヴィヨン近郊でフランス軍戦車部隊と短時間の遭遇戦を演じた」とたった一言で片づけられてしまっています。そして直ぐにその先の集落、フィリプヴィルに向かったと。ただしロンメルが一帯を離脱したのは後続の第5装甲師団が到着した後なので、知っていて後始末を押し付けて離脱、すっとぼけている可能性も否定できませぬ。
この奇襲は致命的なタイミングではあったのですが、ロンメルはその先のフランス国境突破で頭が一杯だった事、分散配備されていたため、被害は最初に接触した南東部の部隊だけに限られた事などから損失は最小限で食い止められました。その後、今度は北側でハルトリープ率いる第5装甲師団が突入して来ます。ただしこの段階ではフランス側もドイツ装甲部隊が接近中と気がついていた事、さすがに給油も終わっていた事から、以後、両師団の間で大激戦が展開される事になるのです。
同時に第4北アフリカ歩兵師団にもフフィリプヴィル周辺の防衛戦までの進出が命じられたようです。ところがこちらも大渋滞に巻き込まれ、さらに翌15日の12時ごろの段階でロンメルの第7装甲師団が目的地のフィリプヴィルに入ってしまった事などから、まともに展開する事も無く、いつの間にか消えてしまいます。次回見るようにフィリプヴィル到達後からロンメルは快進撃に入り、捕虜と鹵獲兵器ウハウハ状態になるのですが、その多くはこの師団のものだった可能性が高いです。
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