■第15装甲軍団とロンメルの5月13日の渡河作戦

前回見たように、12日夕刻の段階までに現地に入れたのはヴェルナー(第5装甲師団)&シュテッフェン(第7装甲師団)、両先遣隊のみでしたが、ウー島の水門と堰のおかげでその一部が同日中に渡河に成功していたわけです。さらに日没後の22時前後にはロンメルが先行して送り出した第7オートバイ狙撃兵大隊が現地に到着、その一部も夜間に対岸への渡河に成功します(先行した部隊は渡河船ではなく水門&堰を利用した可能性が高い)。確認のため、もう一度その地図を掲載して置きましょう。



ただし水門と堰を渡った部隊は急遽駆けつけていたフランス軍自動車化歩兵大隊からの反撃を受け、一帯で足止めされてしまいます。戦力的にそこまでの差は無かったはずですが、歩兵しか渡れない水門&堰で火力が不十分だった事、フランス軍は陣地に入っていた事などから、この日は増援部隊を待って膠着状態に入ってしまうのです。

そして翌朝、ロンメル率いる第7装甲師団の主力が夜明け前4:30に南部のディナン地区でもボートによる渡河を開始、続いて第5装甲師団が5:00から引き続きウー島の水門と堰を利用し本格的な渡河を開始します(先に見た両先遣隊がロンメルの指揮下に入っていたのはこの段階までだと思われる)。ちなみにヨーロッパの日没は遅いのですが日の出も遅く、5月でも6:30くらいまで日の出となりませぬ。ついでにドイツ、フランス、ベルギーの間には時差が無いので、ドイツ側の報告書にある時間をそのまま採用して問題無し。この点はどちらも本土から離れている上に現地時間を無視する事が多く、時間合わせだけで調べるのに無駄に労力が居る日米の太平洋戦とは大きく異なる部分です。

渡河開始は30分ほど遅れた第5装甲師団ですが、水門&堰を利用できたため以後は順調に進みました。3個の狙撃兵大隊を増援として対岸に送り込み、マース川西岸のフランス軍第18歩兵師団が守る一帯にクサビを打ち込むのです。そのまま13日中に4q近く一気に進出してしまいます。すなわち第15装甲軍団の渡河作戦で最初に大規模な成果を上げたのはロンメルの第7装甲師団ではなく、第5装甲師団の方なのです。ただし順調だったのはここまででした。フランス側が北の第5装甲師団担当地区に反撃の焦点を当て、さらに一帯にあった二個中隊のフランス戦車部隊を13日夜までに集中投入してきたためオー・ル・ワスティア周辺でその進撃を阻まれ、そのまま14日の朝を迎える事になります。

地図で確認するとこんな感じです。



その間に苦労していたのがウー島周辺の北部地点と、レフとディナン中間の南部地点の二か所で渡河作戦を開始したロンメル率いる第7装甲師団でした。北で渡河した第7オートバイ狙撃兵大隊と第6狙撃兵連隊が周囲の第5装甲師団と協力して一定の戦果を上げていましたが、同時にフランス側の集中的な反撃にも巻き込まれて苦戦、南のレフとディナン間では、13日の夜明け前、霧に紛れて渡河に成功した第7狙撃兵連隊の1個中隊が西岸に上陸したものの、以後、増援が無く長らく孤立してしまいます。その間、ロンメル本人は常に前線に貼りついていました。南北両渡河地点を往復しながら指揮を執り、一部の兵力を西岸に上陸させる事には成功しましたが、それ以上の進撃は出来ませんでした。ちなみにロンメルは南北両渡河地点で一度対岸に渡り、戦況を確認しています。この点の行動力は賞賛に値するでしょう。

このような乱戦状態のまま13日は終わり、翌14日を迎える事になります。


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