念のため、もう一度、14日朝までの状況地図を掲載して置きます。



結局、13日中に南の渡河地点から対岸に渡った第7装甲師団の兵力はごく限られたものに留まりました。それでも道路事情が優れていたディナン地区での渡河に拘ったロンメルは、北側で渡河に成功した部隊に南下を命じ、その支援を行わせています。

ただし災い転じて福となす、この渡河の遅れからフランス軍の主な反撃は北の第5師団に集中、特に戦車部隊を相手にせずに済んだのが大きな助けとなりました。ついでに言うと、フランス軍の反撃はかなり激しい物でしたが、この一帯でももはやお馴染み、フランス軍文化の命令系統のため、次々に指令と作戦開始の遅延が発生、本来予定されていた反撃の多くはまともに実行されずに終わりました。グデーリアン軍団に比べると、ロンメルも含めた第15装甲軍団の行動はそこまで速くないので、この辺りはフランス側のOODAループがあまりに遅い事による自滅でしょう。それでもこの一帯のフランス軍は最後までパニック、戦わずして潰走に至らずに戦っています。

このためロンメルは翌14日夜明け前の段階で、僅かな兵力と車両で渡河していた第7狙撃兵連隊の指揮官ビスマルク大佐に先遣部隊を編成させ、西へ5qの距離にあるオナイユ付近まで進出するように命じました。部隊は快進撃でオナイユ周辺に到達するのですが、その直後に一帯で待ち構えていた第1騎兵師団残存部隊との戦闘に巻き込まれ連絡が途絶えてしまいます。さらに最後の電文、オナイユ周辺に到着した、がオナイユで包囲された、と誤変換され師団司令部にもたらされ、その後、さらにそれがドイツ第四軍司令部にまで伝わり、ちょっとした騒動になります。(到着も包囲もEinge〜で始まる単語なので送信、受信、どちらかが変換ミスしたらしい。音声による無線通信による聞き違い説もあるが平文で無線連絡するかは怪しい気がする)。

このため夜間にボートで渡河させてあった第25戦車連隊(「ロンメル戦記」だと第5戦車連隊とされるが誤記。そんな連隊は第7師団に無い)の30両の戦車を救援に向かわせ、ロンメル自身も現地に急行、その無事を確認する事になるのです。ちなみにロンメルはこの時、III号戦車に乗って指揮を執っていたのですが、オナイユ到着後に激しい戦闘に巻き込まれます。対戦車砲から二発の直撃を受け、車両は無事だったものの慌てた運転手が暴走、戦車が崖から転落してロンメルは負傷してしまいます。それでもオナイユ一帯を制圧する事に成功したロンメルは14日中にはさらに7qほど西まで進行するのです。ここからロンメルの快進撃が始まり、以後、暴走将軍ロンメルの爆誕に繋がる事になります。

その間、北の第5師団はオー・ル・ワスティアでの戦闘に何とか勝利していたのですが、以後、その進撃はロンメル師団の後塵を拝す形になってしまいました。その最大の原因となったのがマース川渡河のための軍橋建設の問題でした。

既に見たように14日朝まで、渡河作戦の重心点は北側、第5装甲師団の戦闘区域であり、同時にフランス軍の集中的な反撃を受けたのもこの一帯でした。このため対抗する戦車部隊を送り込む渡河橋の素早い建設が求められたのですが、その完成は2日後、15日の午後13時30分までかかってしまいます。この点に関してはいろんな問題が発生していたからです。

まず14日までに第15装甲軍団が現地に持ちこめた渡河橋用の資材は一本分だけでした。これをロンメルは強奪に近い形で奪ってしまい、第7装甲師団用の渡河橋をディナン地区に築き始めます。この点、第5装甲師団のハルトリープは中将ですから少将のロンメルより階級は上、当然将官になったのも先です。なのにその要求は認められず、第15装甲軍団の司令部はロンメルの資材を寄こせという要求を呑んでしまったのです。確かに現地に入った時間はロンメルの第7装甲師団の方が先なんですが、渡河作戦の展開では第5装甲師団の方が優位に進めていたのに、です。この辺りも「ヒトラーのお友達」を最大限にロンメルが活用した疑惑が残る部分でしょう。

そんな状況にハルトリープ中将は困惑しながらも配下の狙撃兵大隊支援のため最新装備の戦車部隊を第7装甲師団の渡河橋から対岸に送り込むよう依頼します。すると驚くべきことにロンメルは独断でこの戦車部隊を自分の指揮下に組み込んで第7師団の作戦に投入してしまうのです。さすがにこれは第15装甲軍団の指揮官、ホートから咎められるのですが、ロンメルは謝罪も弁明もせず、当時の戦況からして当然の判断だ、と述べて一切を無視してしまいます。この辺りの傍若無人な振る舞いが、以後、ロンメルがドイツ軍内で孤立して行く一因でしょう。とにかく、そういう人なのです。



■Photo:Federal Archives

ウー島の北側に架かっていた鉄道橋。落とされてはいるが、歩兵なら歩いて渡れそうにも見えます。ついでに一帯が川沿いの谷底地形なのも見て置いてください。この付近に第5装甲師団は15日午後13時半ごろ、ようやく渡河橋を完成させる事になりますが、その頃には既にロンメルの第7装甲師団は西に向けて走り去った後でした。それが次回に見る、フレヴィヨン(Flavion)戦車戦の第5装甲師団の悲劇に繋がる事になるわけです。といった感じで、今回はここまで。
 


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