■ロンメル5月12日夕刻前まで
まずは前回見た第15装甲軍団配下の二個師団、第5装甲師団と第7装甲師団の渡河地点までの経路を再確認。

第15装甲軍団のマース川渡河は大激戦となるのですが、最終的に第5装甲師団が敵戦力の空白地帯からの渡河に成功した事、そして常に最前線に立って戦ったロンメルの高速戦闘指揮のおかげで作戦は成功します。それでもこの段階までのロンメルの戦闘指揮と戦術には特に見るべきものはありませぬ。実際、渡河作戦を先に成功させていたのはロンメルの第7装甲師団ではなくハルトリープ(Max
von
Hartlieb-Walsporn)率いる第5装甲師団であり、その活躍の方がより重要でした。この辺り、ロンメルの手記だけ読むと一切触れてませんが、事実として彼は遅れを取ったのです。
ところがロンメルは軍団全体の資材を独占、さらには第5装甲師団の戦車部隊の一部まで独断で奪ってしまい、これによって以後、先行する事に成功します。当然、第5装甲師団長ハルトリープは激怒、軍団長のホートからも咎められるのですが、オレのマブダチはヒトラーなロンメル相手に強気には出れず、以後もロンメルの暴走を抑えられなくなるのです。この辺りもロンメルを単純に戦闘の天才と判断できない部分となっています。この「ヒトラーのお友達効果」が無ければ、以後の活躍が出来たかはやや疑問と言わざるを得ない部分があるからです。それでも渡河後の高速戦闘では見事な指揮を見せるのですが、グデーリアンに比べるとどうも見劣りがする、というのが正直な所でもあります。
余談ながら以前にも少し触れたように、イギリス人が褒めそやす軍事研究者、リデル・ハートもこの辺りをやたらと過大評価し、グデーリアンのセダン突破よりロンメルのディナン突破の方が重大だった、とか無茶なことを言ってますから要注意。戦力的にも、戦略的な行動としてもグデーリアン軍団に比べればロンメルはあくまでオマケです。さらに「電撃戦という幻」の著者、戦闘力53万のフリーザーもディナン渡河戦闘に関してはロンメルの第7師団の戦闘を中心に描写して、その指揮能力を高く評価しています。それでも最初に橋頭堡を確保し(A軍集団最速だった)、そして以後の戦闘でフランス陣地に一気クサビを撃ち込んだのはむしろ第5装甲師団の方なのです。なんでしょうね、このロンメルの高評価カリスマ性。これもロンメルの「魔力」なんでしょうか。まあ欧米の「軍事研究家」ってのは日本人のそれと同じ程度か、さらに劣る人材しか居ないと思った方がいいのが現実なのでしょう。
さて、話を戻します。
第15装甲軍団の二個師団はベルギー領内、イヴォアー(Yvoir)からウー(Houx)を経てディナンに至るざっと南北5km幅の一帯で渡河を計画していました。グデーリアン軍団のセダンから北に約60q、ラインハルト軍団のモンテルメからは約40q北に位置する土地です。ちなみにこの一帯はフランス語圏らしく、地名の読みはドイツ語ではなくフランス語読みになります。とりあえず、その渡河地点、ディナン地区一帯の12日夕刻までの状況を地図で確認しておきましょう。
このディナン一帯も地味なラインハルト軍団こと第41装甲軍団が渡河作戦を決行したモンテルメと同じく両岸が丘陵地帯の谷底に位置する土地で、しかも南北8q以上の距離の間にある橋は、イヴォアーの南とディナンの二か所、あとは鉄道橋が一つ、ウーの北側にあるだけでした。そういった意味では、そもそも楽には渡れない地点だったと言えます。
とりあえず12日の夕刻までに現地に到達していたのは前回に見た二つの先遣部隊だけでした。北のイヴォアーの橋を渡って西岸に撤退したフランス第4軽騎兵師団を追う形で第5装甲師団のヴェルナー先遣隊が、そして南のディナンの橋を渡って撤退したフランス第1軽騎兵師団を追う形で第7装甲師団のシュテッフェン先遣隊が現地に入ります。

両先遣隊とも、夕刻までには現地に入っていたのですが鉄道橋を含めた三つの橋を確保する事には失敗、爆破されてしまいます。ただし北側、イヴォアーの橋はフランス軍の撤退後も住民の避難に使われており、ドイツ軍が到達した段階でまだ健在でした。このため偵察機からこの情報を受けたヴェルナー先遣隊が部隊を送り込むのですが、先行する車両が橋に差し掛かった時、間一髪で爆破されてしまうのです。このため先遣隊の指揮官、ヴェルナーはマース川沿いに南下する形で偵察部隊を派遣、一帯で渡河可能な地点が他に無いかを探らせます。
すると間もなく南のウー地区にあった中洲、通称ウー島の南端部に置かれたコンクリート製水門と堰が爆破されずに残されているのが発見されました。車両の通行は不可能でしたが、その上を兵が歩いて渡る事は十分可能な場所であり、これを知った部隊指揮官のヴェルナーは日没後に渡河を開始する事を命じます。
|