■最初におさらい

今回からようやく電撃戦の主役、包囲殲滅戦の主打撃力クライスト装甲集団(Panzergruppe Kleist)の動きを追って行きます。念のため、そのクライスト装甲集団とそれが属するA軍集団に関するおさらいから。



北で囮部隊となったのが前回までに見たB軍集団でした。その南から敵主力の下をすり抜け、海岸線までの包囲網を完成させる主打撃力部隊の役割をになったのがA軍集団となります。ここには第4軍、第12軍、第16軍と三つの軍が割り当てられた上、当時ドイツ陸軍に十個師団しか無かった装甲師団の内、第1,2,5,6,7,8,10と七個師団が割り当てられていました。北のB軍集団には第16装甲軍団として第3,4師団が、予備戦力として第9師団が配属されていたのみなのです(第9師団は開戦時の段階では前線に出てないと思われる)。

そのA軍集団内で先頭切ってフランスに突入する役割を担ったのがクライスト装甲集団でした。この辺りの指揮系統も再度、確認して置きましょう。



クライスト装甲集団の中でも先駆けとして敵領内に突入、最速で敵中を突破する役割を担っていたのが最強の装備を持つ第19装甲軍団であり、その指揮官はあのグデーリアン閣下でした。ただしA軍集団司令部、そして事実上の陸軍のボスである数学大好きハルダー参謀総長、さらにはハイテンションなヒゲ伍長ヒトラー総統も皆、第19装甲軍団の役割は敵の防衛線に穴を開けるキリのようなものとしか考えてませんでした。すなわちルクセンブルグからベルギーを突破しフランス国境に穴を開けたら高速進撃はそこまでと考えていたのです。よって最大の難関であるマース川をセダン周辺で渡河し橋頭保を確保したら、装甲軍団は後続の歩兵部隊の到着を待って仲良く海岸線を目指すのが当然だ、と。

すなわち1940年5月10日、開戦の朝の段階で、速度こそが作戦の鍵で高速な装甲集団だけで海岸線まで突破せねばならぬ、と正しく理解していたのは全銀河系の中で三人だけでした。マンシュタイン、グデーリアン、そして何でそこまで理解しているのか全くわからん謎の人、ロンメルです。速度こそがこの作戦の命だと正しく理解している人物が直径10万5700光年の範囲内でたったの三人しかおらず、その三人が全てドイツ陸軍に属していた奇跡は驚いていいと思います。ただし既に見たように数学は大好きだけとマンシュタインは大嫌いな参謀総長ハルダーによってマンシュタインは左遷されて居り、現場に居たのは暴れん坊将軍ロンメルとグデーリアン閣下だけでした。それでもこの二人が人類史上最大規模の戦わずして圧勝しちゃう戦闘を実現してしまうのです。

ただしグデーリアン閣下が暴走したと言ってもある程度までは作戦の範囲内でした。ホントに良く判らんのがロンメルで(笑)、本来なら第19装甲軍団の北を守る任務に就いていたのですが、いつの間にやら先頭切って英仏海峡を目指して疾走していたのです、この人。この辺りも最初に図で確認して置きましょう。



ドイツ軍の基本戦略はこれでした。A軍集団に属するクライスト装甲集団が敵主力の下、すなわち南側をすり抜けて海岸線に出る、そして敵の脱出路を封じて包囲殲滅する、ですね。ただしこれは高速進撃するA軍集団の北側がガラ空きになる事も意味します。大規模な軍勢には攻撃方向があり、それは通常進行方向と一致します。それ以外からの攻撃には極めて弱いのです。よってA軍集団の意図が敵主力にバレたら無防備な北側から強烈な横槍を食らい、壊滅的な打撃を受ける可能性が出て来ます。よって第19装甲集団の安全を確保するため、その北側を並走して進む防衛線部隊が用意されました。それがホート率いる第15装甲集団で、これはクライスト装甲集団とは独立して第四軍に所属し、クライスト装甲集団の北面を守る役割を担っていたのです。図にするとこんな感じですね。

 

主打撃力であるクライスト装甲集団の北側を第15装甲軍団が平行進撃し、万が一、敵主力部隊が南下して来た場合に備えたわけです。この第15装甲集団配下だったのが第5、第7装甲師団であり、その第7師団の師団長だったのがロンメルでした。よって本来なら敵を牽制しながらクライスト装甲集団の北を並走し防衛線を築く部隊なのですが、とにかく自分が主役で無いと気が済まないロンメルは自らも海岸線に向けて疾走してしまうのです。なんで、どうして、というのは正直謎だらけなんですが、その辺りはまた後ほど。

ちなみに同じクライスト装甲集団内でもラインハルト指揮下の第41装甲軍団が北側を移動し、最悪の場合、これが第19装甲軍団を守る最後の盾になる配置となっていました。ただし後で見るように開戦直後に発生した大渋滞によってラインハルトの第41装甲軍団の進撃は遅れまくり12日の段階、すなわち間もなくセダンへ突入と言う時にようやく追いつくのです(後に追い抜いてしまうのだが)。そういった意味でも第15装甲軍団は責任重大だったのですが、そんな状況下でも暴走しちゃうのがロンメルなのです…。

グデーリアン軍団出陣 5月10日

まずはグデーリアン率いる第19装甲軍団の開戦直後の動きから追って行きましょう。

第19装甲軍団の指揮官であるグデーリアンが出撃準備を命じられたのは開戦前日、5月9日の13時30分でした。開戦時刻は10日の朝5時35分と決まっていたので、準備時間は約16時間しか無かったわけですが、特に問題は生じなかったようです。ちなみにクライスト装甲集団はとにかく最速でセダンでマーズ川渡河をする必要があったため、ドイツ国境から最短距離の経路となるルクセンブルグ領内突破を目論んでいました。

このため、開戦前の第19軍団の司令部はルクセンブルグ国境まで約20qの距離にあるビットブルク(Bitburg)郊外に置かれており、グデーリアンはここで第1装甲師団を待ち、以後は行動を共にします。ちなみに配下の三師団は後方の50q四方に渡る広域に配置されており、そこからルクセンブルグ国境まで移動して来る必要がありました。第1装甲師団だけでも兵員数約1万3000人、戦車約250両を持っており、その移動は一苦労だったと思われます。このため、第19装甲軍団に属する第1、第2、第10の各装甲師団はフランス領のセダンまで全て別々の進路で移動し、攻撃開始の13日に現地で合流しマース川渡河に挑むことになっていました。

こういった分散進撃、決戦地での合流はローマのカエサルも似たような事をやってましたし、モンゴル帝国もよくやってました。ただし上手く行くかは指揮官の能力と運に左右される面が大きく、実際、関ケ原の合戦に徳川秀忠の率いる別働隊が間に合わなかった例などがあります。逆にこれが得意だったのがナポレオンなんですが、いずれにせよ集合には数日の余裕があるのが普通でした。それを同日中に三つもの師団を一ケ所に合流させる、という無茶が可能だったのはグデーリアンが導入した無線連絡網による情報共有、意思統一が大きく貢献していたと思われます(実際は第2装甲師団の到着が遅れたが数時間であり、敵領内約100qを三日かけて突破して来た事を考えれば驚くべき正確さであると言っていい)。

5月10日の朝5時35分、最も北を進む第2装甲師団がヴィアンデン(Vianden)で、第1装甲師団がヴァレンドルフ(Wallendorf)でルクセンブルグ国境線を越えました。最も南を進む事になっていた第10装甲師団は、二つに分割され、ボレンドルフ(Bollendorf)とラリンゲン(Ralingen)で国境を越えています。第10師団は精鋭の第1、第2装甲師団に比べやや戦力的に劣ると見られていたため、面倒な二分割進撃の道路が割り当てられたのだと思われます(精鋭部隊の二分割は戦力低下の不利が大きすぎる)。

この時代、アメリカ以外の国では自動車文化はそこまで浸透しておらず、装甲部隊の戦車が高速に移動できる道路は限られてました。このため、その進撃にも多くの困難が伴ったのです(そもそもほとんどが未舗装であったと思われる)。この道路不足で最大の被害を受けたのは、グデーリアンの第19装甲軍団に続いて進撃する「はずだった」、ラインハルト率いる第41装甲軍団でした。彼らは想定以上の大渋滞に巻き込まれてしまうのです。とりあえず、この点は次回に詳しく見ます。



クライスト装甲集団の進撃経路はルクセンブルグ国内を突破する事になっていました。小国であるルクセンブルグにまともな軍隊は無く(総勢で1000人以下だったとされる)、国境一帯に金網やコンクリートブロックに妨害線が造られていたものの、速攻を仕掛けるのに問題は無いと判断されたようです。実際、ルクセンブルグ軍はほとんど抵抗をせず、10日の午後には早くも政府が降伏を受け入れてしまいます。一応、フランス軍の一部が南の国境を越えて侵入、ドイツ側と小規模な戦闘を行っていますが、これも直ぐに終結したようです(フランス側も本気でルクセンブルグを守る気なんて無かった。ちなみに第19装甲軍団はルクセンブルグ国内ではフランス軍とは接触していないと思われる)。

ただし第19装甲軍団に配属されていた装甲師団以外の部隊、大ドイツ歩兵連隊と空軍から派遣された第一高射砲軍団が10日の時点でどこに居たのかハッキリしないのですが、恐らくやや遅れて付いて行っていたとは思われます(大ドイツ連隊は後で見る航空強襲作戦に一部が参加しているが)。

この結果、三師団とも、開戦当日の昼過ぎにはベルギー国境まで達しています。
ただし快調だったのはベルギー国境までで、これを超えたとたんに戦闘が始まりました。このためベルギー国境を突破した段階で10日の進撃は停止します。最北部を進む第2装甲師団はストレンシャン(Strainchamps)付近、中央を進第1装甲師団はマルトランジュ(Martelange)郊外(グデーリアンの軍団司令部もここ)、最南部を進む第10装甲師団はアベ=ラ=ヌーヴ(Habay-la-Neuve)とエタル(Étalle)付近で夜を向かえます。
 


NEXT