■ロンメル進んでる
いろいろ問題はあったものの、ロンメルが間違いなく戦術級指揮官(師団から軍団級の指揮官)として天才だったと考えていいのは、その電撃戦開始後の行動が証明しています。彼は「作戦速度」、OODAループでいう所の「テンポ」を何より重視していたのです。このためロンメルは師団司令部に座って無線で指揮を執る、といった事を全くやりませんでした。彼が前方司令部隊と呼ぶ、無線指揮車と必要最低限の戦力を持った(数両の戦車と機械化歩兵)部隊を編成、常に最前線直近に居て、自ら現場を見て即座に判断して師団の「行動」を決断するOODAループを高速回転させていたのです。
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■Photo:Federal
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以前にも紹介したグデーリアンとその戦闘指揮車。ロンメルも同じような装備を持っていて、ここから師団を指揮したのです。グデーリアンも自ら前線に出て状況を自ら指揮を執る指揮官でしたが、複数の師団を指揮するため基本的には各師団司令部を訪れ、必要な時のみ最前線に出て指揮を執っていました。これに対して、より身軽に動けたロンメルは電撃戦の間中、ほぼ前線に張り付いてその指揮を執っていたと見ていいでしょう。ちなみに師団司令部には作戦参謀を残しており、この人が本来なら師団長がやるべき事務仕事の多くを押し付けられたようです。この点、ちょっと気の毒ではあります。
ついでながら最前線に貼りつくこの指揮体制はマース川渡河後、ロンメルの暴走が始まった後に意外な利点が判明します。何せ師団本部に師団長が不在なので、軍団司令部、さらには参謀本部からその暴走を阻止しようとする指令が届いた場合、司令部に居なかったので聞いてない、という言い訳が成立(笑)、更に都合が悪くなると無線機の故障と称して師団司令部との連絡を断ってしまうのです。冗談抜きで、この行動が暴れん坊将軍ロンメルの活躍に大きく貢献しています。
ちなみにグデーリアンが無線による指揮系統を重視したのに対し、ロンメルは暗号文の作成と解読に時間が掛かる、としてこれを好みませんでした。上のグデーリアンの写真では手前の暗号装置、エニグマに貼りついた三人の兵士が命令文の暗号化、あるいは各司令部からの電文の暗号解除に取り組んでいるのが見て取れます。ロンメルは前線に貼りつく事で直接指揮を執り(恐らく有線電話と伝令を主に使った)、暗号化の必要な無線通信は師団本部との連絡以外では積極的に利用しなかったようです。もっとも、この辺りは3個装甲師団+1個機械化歩兵連隊の指揮を執るグデーリアンと、ただ1個師団を指揮すればいいだけのロンメルの違いも無視できませんが。
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ロンメルの場合、ループの短縮化、高速化、さらには集団のOODAループに置ける「絶対的な指針」だけを与えて後は現場に任せる、という事はそれほどやって居ません。この辺りが彼とグデーリアンの差で、その指揮能力の限界でもあります。その代わりロンメルは通常ループをいかに高速にブン回すかに多くの工夫を行いました。その一例が既に見た、とにかく指揮官自らが前線の状況を「観察」する、でした。これによって現場からの報告を待つ時間、報告の暗号無線を組み、解読する時間をゼロとし、さらに適切に必要な情報だけを即座に判断して自ら収集、不必要な情報や誤報による「情報の飽和」を避ける事に成功しています。そしてその場で「観察結果への適応」を行って「判断、仮説作成」まで進み、まだ「判断」が出来ないと思ったなら、これまた現場で即座に指揮官自らがさらなる情報収集に入れます。この辺りを前線部隊と師団本部の間で無線通信で行う手順の煩雑さを考えれば、圧倒的な高速で「行動」段階まで進めるわけです。この点、師団級の指揮官ですら前線に出て指揮を執った記録が見つけられないフランス軍との圧倒的な差だったと言っていいでしょう。
さらに無線の暗号化の時間を嫌った彼は、砲兵への砲撃位置の指示、各部隊の進撃地点の指示に地名を用いず、予め決めて置いた番号を使用しました。例えばマース川渡河後、35q先のフォアシャペル(Froidchapelle)に至るまで前進軸線と呼ばれる座標軸を決め、その数字で指揮する事で暗号化の手間を省いています。これなら「11番線に向けて砲撃」と平文で打電、場合によってはそのまま音声通信で命じても敵にその位置を知られる事は無いのです。この指揮方法は砲兵指揮官からも歓迎されたとロンメルは述べています。
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