進めロンメル、ガソリンの限り

ホート指揮下の第15装甲軍団に属する第5師団&ロンメル率いる第7装甲師団は5月10日早朝4:35にベルギーとの国境線を越えました。第5師団が北を、ロンメルの第7師団が南を進撃する形です。以後は13日開催予定のドイツ軍マース川渡河祭りに参加のため、その渡河地点ベルギー領内のディナンを目指す事になります。記録を見る限り、A軍集団第4軍の管轄だったこの一帯はルクセンブルグに向けて雪崩れ込んだ第12軍、第16軍、そしてクライスト装甲集団のような壮絶な渋滞に悩まされる事は無く、比較的順調に進めたようです。このため両師団の間隔は大きく開く事なく、ほぼ同時にディナン地区に到達します。

第15装甲軍団の両師団の進路は、グデーリアン軍団の最北部隊、第2装甲師団から約40km北側に位置していました。これは既に述べたように北の平野部に展開する連合軍主力が、万が一南下して来た場合、グデーリアン&ラインハルト軍団の盾となる役割を第15装甲軍団が担っていたからです。この経路はルクセンブルグ領土を通過せず、直接ベルギー国内に突入する形になります。このためベルギー国境の街、ザンクト・フィート(Sankt Vith) を突破しディナン地区(Dinant)を目指す事になったのですが、どちらもベルギー領なので、第15装甲師団は最初の国境突破からマース川渡河まで全てベルギー領内で行った事になります。この辺りはルクセンブルグからフランスまで三か国を突破する事になったクライスト装甲集団とは大きく異なる点となっています



ロンメルたちがマース川渡河を行ったディナンと、グデーリアン軍団が渡河したセダン一帯までドイツ国境からほぼ同じ距離に見えますが、実際はドイツ北部の方が国境線が西に張り出しているため10q以上移動距離は短くなっています。それだけ有利な点がありながら、第15装甲軍団の第5、第7両師団の主力が現地に到達したのは13日になってからで、さらにロンメル本人が現地入りしたのも13日の夜明け後でした。この辺り、数々の戦闘を突破した上で、前日夜からすでに主力が一帯に集結しつつあった(ただし第2装甲師団を除く)グデーリアン軍団に比べるとのんびりした印象を受けます。

この「テンポ」の遅さが軍団長のホートの判断によるのか、その下の師団長であるロンメル本人によるのかは不明ですが、13日までに現地に着けば問題無いだろう、的なノンキな判断があった気がします。この油断がフランスが一帯に展開していた二個師団、第1、第4の二個軽騎兵師団を逃し、さらにマーズ川に架かっていた二本の橋の爆破破壊を許してしまう事になるのです。当然、その後は凄惨な渡河戦となり、ロンメルはここで初めて激しい戦闘に巻き込まれる事になります。
   
とりあえずベルギー国境を越えた第5、第7装甲師団は以後、順調に進撃、翌11日早朝に至るまで敵との接触はありませんでした。この点も初日から戦闘に巻き込まれていたグデーリアン軍団とは異なる部分です。ちなみに例の北部への撤退命令のため、11日朝に接触したベルギー軍は徹底抗戦せずに終わり、両師団は大きな遅延なく前進します(ちなみにロンメルの手記ではこの戦闘を無視しており一切の記述が無い)。ただしこちらでもベルギー軍は道路の破壊、妨害物による遮断を行っているのですが、それを守る兵が居ないなら迂回すればいいだけで、これは大きな障害とはなりませんでした。

その11日早朝の最初の戦闘が行われたシャブリー(Chabrehez)は、国境から僅か30q前後の距離でしかなく、両師団の進行速度はグデーリアン軍団に比べると決して快速とは言えないものでした(ロンメルは我々が周辺のドイツ軍で最も前進している、と11日に妻宛てに書いた手紙で述べているが誤認、あるいは意識的にグデーリアン軍団を無視している)。そのベルギー軍が撤退後、一帯の防衛を担当するフランス第9軍の第1、第4騎兵師団と接触するのですが、第9軍は両師団に徹底抗戦を命じておらず、その抵抗も軽微におわりました。 

12日に入ると、第15装甲軍団司令部は二つの先遣部隊を編成し、ディナン地区へと送り出します。第5,第7両師団からオートバイ狙撃兵と装甲捜索大隊を抽出、それに最低限の戦車を付けた部隊です。この辺りは本隊の遅れと同時に、戦車部隊は渡河作戦には向かないことを理解した上での対処でしょう。この時、北の第5装甲師団から送り出されたのがヴェルナー先遣隊、南の第7装甲師団から送り出されたのがシュテッフェン先遣隊となります。渡河前日の準備段階、12日夕刻までに現地に入れたのはこの二つの部隊だけでした。ちなみに両先遣隊はこの時点で先行していた第7装甲師団、すなわちロンメルの指揮下に一時的に置かれる事になります(恐らく13日の朝まで)。この辺り、命令系統がややこしくなるだけの気がするのですが、これも例の「ヒトラーのお友達効果」の一つかも知れません。

ただし、その後さらに第7オートバイ狙撃兵大隊に戦車中隊を加えた部隊をロンメルは送り出しています。この部隊の現地到着は日没後の22時ごろで、ここまでが前日の段階で現地入りしていた部隊となりました。

といった感じで今回はここまで。


BACK