■ついに登場!ラインハルト軍団

さて、15日夜の段階でグデーリアン軍団がフランス側の防衛網を全て突破、もはや組織的な抵抗力を持つフランス軍の存在しない無人の荒野に突入するまでを既に見ました。これで北部の平野に展開する連合軍主力が背後を突かれる、すなわち包囲殲滅される可能性が一気に高まったのです。この段階でフランス側はようやく自らの過ち、グデーリアン軍団は第一次世界大戦の時のような呑気な「テンポ」で進撃する気も無く、そして首都であるパリにも興味が無い、その狙いは北の平野部に展開する連合軍主戦力の高速包囲殲滅にあると気がついたのです。そしてその絶望にトドメを刺したのはその15日の午後、突然戦場に殴り込んで来た上で一気に55qの距離を突破、モンコーメの街に到達したラインハルト軍団こと第41装甲軍団の登場だったと思われます。

15日の段階まで、フランス軍司令部は完全にグデーリアン軍団に注意を奪われていました。このため12日以降、脅威の快進撃でルクセンブルクからベルギーを突破、13日の段階でフランス国内に突入した第41装甲軍団の先頭部隊、第6装甲師団の存在を見落としていたようです。このため、15日の夕刻、突如として乱入して来た同装甲師団の登場に驚愕し、狼狽します(その途中でフランス第2装甲師団が殲滅されたのはすでに見た)。

そしてこの第6装甲師団が翌16日、モンコーメ(Montcornet)の街でグデーリアン軍団と合流、強大なドイツ装甲戦力が北に向けて進撃中なのがハッキリし、この段階でフランスは打つ手なしの敗北を覚悟する事になります。

今回はこの第6師団を中心に、ここまですっかり忘れられていた、クライスト装甲集団のもう一つの主力打撃力、ラインハルト率いる第41装甲軍団の動きを見て行きましょう。この登場が電撃戦の総仕上げになった、とも言えるからです(そこに暴れん坊将軍ロンメルが加わるのだが、こちらはそこまで決定的な存在ではない)。

まずは念のため、クライスト装甲集団の構成を再確認しましょう。



グデーリアン軍団こと第19装甲軍団より装甲師団が一個師団少ない代わりに自動車化歩兵師団が配属されていたのがラインハルト率いる第41装甲軍団でした。突破力では劣るものの、大ドイツ歩兵連隊しか持たなかった第19装甲軍団よりバランスのいい戦力だったのです。ただし電撃戦の始めの方で既に見たように、開戦直後の進撃路大渋滞に巻き込まれた結果、この三個師団は完全にバラバラになってしまいます。中でも最後尾、第三段階部隊に回されてしまった第8装甲師団は、16日にようやく第6師団に追いつくまで、以後、ほぼ丸一日遅れでこれを追いかける形になっていました。

ただし先に行ったはずの第6師団でも5月12日に日付が変わった後、ようやくルクセンブルク国境を超えた状況でした。ところがルクセンブルクから先は既にグデーリアン軍団が道路障害物を撤去、連合軍戦力も一掃していたため、第6装甲師団は快進撃に入る事になります。このため以後、グデーリアン軍団を超える速度でルクセンブルクからベルギーを突破してしまいます。この辺りの状況を地図で確認して置きましょう。




グデーリアン軍団がフランス国境を越てセダン周辺に雪崩れ込んだ12日夜、第6師団も既にベルギー・フランス国境付近にまで進出していました。すなわち100q近い距離をほぼ一日で走破する、という脅威の進撃速度だったのです。もっとも12日の日付が変わった直後辺りにルクセンブルグ国境を越えたはずなのでほぼ20時間近く掛かっての移動だったと思われますが、それでも脅威の進撃速度と言っていいでしょう。

ただし当初は第6師団と行動を共にしていた第2自動車化歩兵師団は他の軍団の部隊に道を塞がれたりして、まだヌシャトー周辺に留まっていました。第8師団に至っては最後尾の位置に配置されてしまったため、この段階で未だベルギーに到達していなかったようです。そして先に見たように13日までに第12軍団の部隊に追いつかれたら、そのまま吸収合併、という命令をクライスト装甲集団は受けていました。でもってこの段階で既に第12軍団に飲み込まれていないのは第6装甲師団のみであり、後はこの師団の進撃速度次第、という状況だったわけです。



そんな状況の中、13日夕刻、マース川渡河予定地点であるモンテルメ(Monthermé)に師団の機械化歩兵部隊、第4狙撃兵連隊が先行して現地に到着します。セダンの渡河作戦で見たように、川を渡りながら対岸の敵を叩く歩兵戦闘となるため、戦車は使えないから歩兵連隊を先行させたのでしょう。この段階では渡河戦闘の主役を果たす予定だった第2自動車化師団は未だ大渋滞の中で到着のめどは立たず、このため同師団に配属されていた第4狙撃兵連隊が単独でこの渡河作戦を受け持つ事になって行きます。


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