■「測距儀がないなら、レーダーで測ればいいじゃない」「奥様、ここは日本海軍です」




で、警戒レーダーと射撃管制レーダー、その両者の最大の差は探知精度だ。
距離と方向を測定する正確さ、だね。
ここで説明したように、レーダのパルス波の精度は波長の長さと波の幅で決まり、
それらは打ち出される電波が高周波な程、優秀となる。
当然、相手の場所を正確に知る必要がある射撃管制レーダーは高周波数が要求される。
で、この高周波の発生のカギを握る装置がマグネトロンなんだ。

「宇宙から来て、乗り物とかに合体するロボット?」

ちょっと違う。
電波を発生されるだけなら、コイルに交流電流を流せばなんとかなるが、
短時間に一気に大量の波を送り出す高周波の場合、一筋縄ではいかんらしい。
そこで、厳密な原理は私もよう知らんのだが、
真空にした管の中に曲線軌道で無数に電子を走らせ、
真空の管の中で電子の流れの渦巻きが発生するようにして、
この回転を交流電流がわりに高い周波数を発生させるようにしたのが、
マグネトロンという事らしい。
その管の周りはコイルでグルグル巻きにしてあるので、
まあ、超高速で切り替わる交流電流を発生させるための装置なんだろう、多分。
とりあえず特殊な真空管、と思っておけば間違いない。

でもって、コイツの高周波化の研究が1930年代からのテーマになる。
周波数を上げると熱によって電極が破損する、という技術的な壁があったんだが、
イギリスのバーミンガム大の研究者が1940年始めに
空洞型マグネトロンに水冷装置をつけてしまう、という荒ワザで
この問題を解決してしまうんだ。

「水で冷やすなんて誰でも思いつきそうだけどね」

実際、アイデアそのものはアメリカ人が先に考えてたらしい。
ついでに基本となった空洞型マグネトロンはドイツ人の発明だ。

「…イギリス人、人の発明を使うのがうまいねえ」

そういう見方もできるね。
まあ、これによって以後、連合軍のレーダーはドイツに対して、
ドラえもんとロボット三等兵並の圧倒的な性能差をつけて行くことになる。
日本に至っては、仮面ライダーと宅配ピザライダー並の絶望的な差がついた。
で、この技術は「ティザード使節団(Tizard Mission)」によってアメリカにもたらされることになる。

「なにそれ?」

1940年9月、バトル オブ ブリテンが終了した直後、
未だ中立を貫こうとするアメリカのケツを全力で蹴り飛ばすために
チャーチルがアメリカに送り込んだイギリスの技術使節団だ。
団長を勤めた化学者、ヘンリー ティザードの名をとって命名されたもの。

この時、イギリスはアメリカに全力でコビを売る必要があったので、
(何せ国が滅びる直前の状態だ)
当時最先端のレーダー技術だった、この水冷空洞型マグネトロンの情報を
なんの引き換え条件も無しにアメリカに渡してしまうのさ。
実はアメリカもかなり早くからレーダーの開発はやってたのだが、
射撃管制に使えるようなcm波、ギガヘルツ級の開発には全くメドが立ってなかった。
が、これにて、一気に問題は解決。
このあとはフォードでおなじみ(笑)アメリカンな大量生産により、
高周波マグネトロンは、ベル研究所を中心にガンガン造られてまくって行く。
1941年12月に日本がアメリカの横っ面を張り倒した時には、
すでにギガヘルツレーダーは、実用化直前まで開発が進んでた。

「でもそれじゃ、イギリス、大損じゃん」

いや、結果的には結構、割りにあったんだ。
大量生産されたマグネトロンはイギリスにも送られた。
ついでに、連中の訪米は1940年の9月だろ。

「だから?」



イギリスの空飛ぶ至宝、ロールス・ロイスマーリンエンジン。
(戦車にも積んだけけど…)
このエンジンををアメリカでライセンス生産したのがパッカード マーリンで、
これはイギリス向け輸出もされた。
このライセンス契約も、ティザード使節団の仕事の一つだった。




あのパッカード マーリンエンジンの契約締結が40年の9月なんだよ。
生産開始は41年の8月から。
このライセンス生産の話をまとめたのがティザード使節団で、
アメリカ側でその対応をしたのがビル・ヌードセンだ。

「なるほど。ただの技術自慢ではなかったのね」

まあ、あくまで、主要な目的は“軍事的な技術の移転”なんだけどね。
この時の主な手土産は、高周波マグネトロンのほか、
ジェットエンジンの基礎技術、ウラン235の精製理論、
ジャイロ式光学照準器から、プラスチック爆弾まで多岐にわたるのさ。
その中でも、高周波マグネトロンによるレーダー開発は、
もっとも成功した技術支援となるんだ。

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