■私はニャロメ

このため、主砲の性能が上がるにつれ、
艦橋をどんだけの高さにすれば、どこまで見ることができるの?
というのが、軍艦を建造するにあたり、重要なポイントと成って行きます。



まずは1890年代のアメリカ海軍の防護巡洋艦 USSオリンピア。
巡洋艦ではありますが、当時のアメリカ海軍の中では大型艦で、
後のスペイン・アメリカ戦争では太平洋方面の旗艦を勤めてました。

でもって、その艦橋はどこにあるの、ってな位に低く、
マストと煙突の間の四角い木の小屋(笑)が操舵室です
ここは水面から10m前後の高さしかありません。
高い位置にあるのはマスト上の見張り台だけですが、
こちらもせいぜい20mです。

当時の主砲の射程距離では、この高さで十分だったわけです。



対して1940年代のアメリカ戦艦 USSニュージャージー。
アメリカが建造した最後の戦艦、アイオワ級の中の一隻です。

この時代なると戦艦主砲の射程距離は40q近くまで伸びてますから、
その照準、そして着弾観測のために艦橋の背は極めて高くなってます。
第二次大戦時は背の高い黒いマストは無かったのですが、
それでも当時からすでに水面上40m近い高さがありました。

もっとも、高さ40mでは20q前後先までしか見えませんが、
当然、相手の戦艦も同じような艦橋を持ってるはずなので、
20q+20qで約40q先からお互いを視認できる、という事です。
この時代の戦艦の艦橋の高さは、必要ギリギリの高さ、
どの国でも40m前後となっているのはこのためです。

ただし大戦時のアメリカ海軍の場合、照準も着弾観測もレーダーが基本なので、
40mの高さがある塔構造は厳密にはレーダーマストだけになります。
艦橋はずっと下、主砲の直ぐ後ろ、窓が見えてる位置にあり、
その屋上の戦闘指揮所でも20m前後の高さしかありません。

戦艦の艦橋を高くするのは照準と着弾観測のためなので、
人間の目で見る必要がないなら、これでもいいわけです。



日本の戦艦の艦橋も、その主砲の射程距離が伸びるにつれ、
どんどん高くなって行きます。
ただしアメリカと違ってレーダーは無く、肉眼が頼りだったために、
人間が登って監視できる設計となり、両者の艦橋とマストのスタイルは全く異なって行きます。



逆に積んでる武装が、せいぜい数kmの射程しかないなら、
視界の広さ(長さ)が相手より優れていても、必ずしも決定的な要因とはなりません。
むしろ敵から見つかりやすくなって、危険な部分もあります。
軍艦の主砲の射程が10kmを超えてくる19世紀末まで、
艦橋や視点の高さはそれほど大きな問題と思われてなかったわけです。



16〜18世紀前半くらいにかけ、ヨーロッパ海軍にバカウケ大人気だったガレオン船。
写真は例の国家公認海賊船長ドレークの旦那のゴールデン ハインド号の原寸大レプリカ。
ご覧のように見張り台はマストの真ん中より少し上、といった程度の高さしかありません。
せいぜい10m前後でしょう。




アメリカ南北戦争(市民戦争)の際、北軍が使った
世界初の回転砲塔搭載 装甲軍艦「モニター」はさらにヒドイ(笑)。

艦の中央にあるのはその「回転砲塔」で、艦橋はありません。
数百m前後の距離で撃ちあったという話なので、
上にあるハッチから、直接照準したと思われます。
多分右側が前で、先端部にある四角い箱が操舵室。

で、まあ、ご覧のようにほとんど潜水艦みたいな船なので、
その艦橋(?)高度はほとんど海面上0m。
ここから近代軍艦の歴史は開始されます。
もっとも外洋航海能力はほとんどゼロなので、まだまだ、という感じですが。

ちなみに1862年初頭に完成後、
その年末には沈没してしまう悲劇の艦でもあります。

日本じゃ未だ幕末、寺田屋だ生麦だとかやってたころに、
アメリカはこんな戦争をやってました。
ペリーを浦賀に寄こした後、しばらく日本と音信不通になるのは、
アメリカは自分のトコの戦争で忙しかったからなのですね。




ただし高い艦橋なら、40qの距離で発見は可能と言っても、
せいぜい敵艦のマストや艦橋の最上部が見えるだけです。
これでまともな照準をつけて砲撃しろ、
といってもムリな話で現実的ではありません。
さらに言うなら、そんな高いマストを持ってるのは戦艦だけで、
通常の軍艦はもっと近距離に来てくれないと発見すらできません。

このため、戦艦や巡洋艦は着弾観測機、という水上機を搭載、
空から着弾観測を補佐させる事を目論見ます。
ここら辺りは今回の話から大きく脱線してしまうので、触れません。
とりあえず、この点についてはこちらの記事を見ておいてください。

結論だけ書いてしまうと、水上観測機は現実には役に立ちませんでした。
当たり前ですが、敵に撃ち落されちゃうんですよ(笑)。
結局、40qを近い遠距離射撃では、照準とその修正に必要な
着弾観測ともに、極めて困難なままで戦争が始まります。
じゃあ、どうするねん、というとどうしようもないんですね(笑)。

レイテ沖海戦の途中で行われた、サマール沖海戦では
戦艦4隻、重巡6隻が主砲射程距離で
駆逐艦と護衛空母しかないアメリカ艦隊に接触、という状況で
栗田艦隊はアメリカの護衛空母部隊を発見しています。
が、この後、約30km前後から砲撃を始めながら、護衛空母6隻のうち1隻、
そして駆逐艦数隻を仕留めるのがやっとでした。

この点はこちらの記事で検討してるように射撃管制レーダーがない、
という問題もあるのですが、基本的に長距離砲撃戦は現実的ではありませんでした。
実戦で30km以上の射撃は実効がなかった、と見るほうが自然でしょう。

つまり、戦艦大和などの主砲が40q先まで飛ぶ、と言っても、
どうやってそれを当てるのよ、という問題が全く未解決だったわけです。
いろんな意味で夢の兵器で、購入費を負担した日本国民にとって
極めて迷惑だったと言っていいでしょう。

この点については、日本海軍が行なっていた肉眼照準の限界、
という問題についても、後ほど見て行く事になります。


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