■ソ連だ-ボディなあの子
さあ、泣いても笑っても憤怒しても、今回で最終回。
最後に大量生産の奇跡、USSRことソビエト連邦と
「大量生産史に登場しないで終わる極東の島国」こと日本について見ていこう。
さて、いろいろと迷走している結果、あまり気がつかれていないような気がするが、
この原稿の主人公はヘンリー フォードであり、第二次世界大戦が、
あのような「国家対抗物量大合戦」になったのはなぜかしらむ、というのがテーマだ。
テーマなんですよ。
まあ要するに近代戦争はフォードT型の生産から始まった、というお話なんですね。
それは大量生産だけでなく、第一次大戦時、T型フォードによる
兵員輸送が英仏によって行われ、鉄道に変わる「高速移動手段」、
「自動車による歩兵の展開」の可能性にヨーロッパ諸国が気づいた事も意味します。
兵員の輸送と展開に何ヶ月もかけてる時代は終わったじゃん、と。
ここで言う物量とは、「1、2,3…たくさん」といった数の話ではなく、
「必要な資材(人員兵器含む)を、必要な時と場所に、素早く展開する能力」を意味する。
この原稿ではその前者、「必要な資材を必要な時に揃える事」を主題としているわけだ。
で、それは「造ればいい」のではなく、当時、既に機械としては高度に進化していた
「兵器」、「エンジン」等を、一定の品質で、
つまり不良品の含有率を一定数内に抑えて生産することを意味する。
造るだけではなく、キチンと使えなければダメ、と。
この点では今回とりあげるソ連は特殊例で、「量」は確保したが「品質」はかなりイマイチだった。
もっとも、この両方を完全にクリアしていたのは、アメリカ本国だけだったろうから、
ソ連ばかりが責められるいわれはない。
で、ソ連の工業製生産が「量」の確保に成功しながら、「品質」を取りこぼしたのは、
国民性というのもあるが(笑)、最大の理由は「ヘンリー フォードの大量生産学校」を
中退してしまったからだろう。
そう、フォード、ソ連にも一度は進出したのである(笑)。
地球上の主な地域で、連中が取りこぼしたのは南極ぐらいのような気がして来た…。
ヘンリーという人物を見ていくと、テンション高くて偏屈で変人で底意地が悪くて…、という
非常に判りやすいキャラクターなのだが、時として理解に苦しむ事も多い。
個人の行動に一貫性、なんてものは無いのかもしれないが、
それにしても、ヘンリーの場合、その入れ替わりが非常に激しいのだ。
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