■将軍は空も行く 行きまくる

一つ目は、T-6テキサン、B-25ミッチェル、そしてなによりP-51ムスタングの
開発生産を行ったノースアメリカン社の存在。

実はあの会社、1933年の段階でGMが買収していたのだ。
ただし最後まで子会社としたまま、部局として本社組織には組み込まれておらず、
やや特殊なケースとなっている。
(戦後の1948年にGMは手持ちの株式をほとんど売却、関係は解消)




というわけで、これもGMの部局製品の一つだったりするP51Dムスタング。
いや、もうなんでもあり、になって来たな(笑)。

ノースアメリカン社、当初は、航空機メーカーではなく、どうも貨物系のエアラインなど、
複数の航空会社を所有、統括する持ち株会社として設立されたらしい。
GMによる買収後(正確にはGMの子会社との合併)、
同社を航空機メーカーとして再出発させるにあたり、
辣腕経営者のキンデルバーガー(イギリス相手にムスタングの開発を承諾させた人)、
そして技術責任者のアトウッドが、
ダグラスからノースアメリカンにヘッドハントされてやって来る。

もう一人の重要人物、P51の設計に直接携わったシュミードは、ドイツからの移民なのだが、
当初はブラジルにあったGM系の会社で働いており、その縁でノースアメリカンに招かれた。
つまり、GMが買収してなければ、P51ムスタングは決して産まれなかった、ということになる。

そして、やはりアメリカ陸軍を支え、ドゥーリトルの東京空襲で知られる
双発爆撃機、B-25も存在しないことになるわけだ。



爆撃タイプから、機首を機関銃だらけにした攻撃機タイプ、
さらには戦車並の75mm砲を機首に積んじゃったのとか、様々な機体が作られたB-25。
空母から離陸して実戦を体験した唯一の陸軍双発爆撃機でもある(笑)。
操縦性が素直で、戦後、練習機としても使われたため、現存機は結構多い。




どちらかと言えば後発メーカーで、開戦までT-6テキサン程度しかヒット作がなかった同社が
カリフォルニア、カンサス、テキサスと3つも工場を持ち、
(カンサスの工場は政府の援助によるらしいが)
自社の航空機と平行して、よその爆撃機の一部まで生産することができたのは、
多分に 親会社のGMの資本力によるところが大きかったと思われる。
現にカンサス工場は、終戦で需要がなくなると、そのままGM系のビュイック工場となった。
(後に廃止される)

P51は、よく知られているように、イギリスからP40のライセンス生産を依頼されたのを、
社長のキンデルバーガーが「どうせならウチのオリジナル戦闘機を造らせて」と逆提案、
これが受け入れられた結果、産まれた機体だ。

イギリス側がかなり慎重な姿勢を見せながらも、最終的にその提案を受け入れたのは、
「フフフ…これぞ男のロマンだニ」とか考えた訳ではなく、
「バックにあれだけ大きな会社がついてるんだから、失敗してもなんとかするだろ」
といった安心感がどこかにあったような気がする。

なんとなく、後発の弱小メーカが愛と勇気と根性でビッグなスターに!
ビヴァ!アメリカンドリーム!
という印象があるノースアメリカンだが、実は15000機以上造られたP51ムスタング、
これも1万機近くつくられたB25ミッチェルをすべて自社生産している。
あのボーイングでさえ、その機体生産の一部を外部メーカーに委託生産していたのに、だ。
その生産能力という点では、ノースアメリカン、アメリカ最強なのである。
上に挙げた機体に加え、フォードに挑戦状を叩きつけるかのごとく、
B-24の生産まで行ってさえいる(笑)。

ある意味、B-24ってオールスターチームによる生産だったんだなあ…。

ついでに、これもよく知られてるが、あれだけの性能を誇ったP51ムスタングのD型は、
実はかなりお買い得な戦闘機で、最終的には50000ドルにまでなり、
これはP47の85000ドル、P38の97000ドルなどに比べ、圧倒的に安い。
これも、ヌードセン直伝、ヘンリー流大量生産方式のおかげだろう。

1944年の物価と比べると、先にも書いたように現代の物価指数は約12.3倍だから、
現在価格で61万5000ドル、1機あたり6457万円、というところだろうか。
宝くじが当たれば2機くらい買える(税別)ぞ(笑)!
ちなみに現代の最新戦闘機は100億円クラスだから、空自のF-15J一機で、
ムスタングなら155機も買えるんだ!

…まあ、そんなわけでGMの存在がなければ、ノースアメリカンは航空機メーカーとして、
存在すらしなかったのである。

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