■そこまでの展開
さて、ではアメリカ側の展開を確認しておきます。
まず敵艦隊発見の報告を受けた後、
アメリカ側は太陽を背にして急降下爆撃されるのを避けるため、
空母が太陽方向から一直線にならないよう艦隊配置を調整、
その後、空母周辺に護衛艦を配置する輪陣形を取ります。
(空母ごとに輪陣形を組んだのではなく、2隻の空母を
太陽方向に一直線に並ばないように中心部に配置し、これを取り囲んだ)
余談ながらアメリカの艦隊の隊形には呼称が付いており、
空母を中心としたこうした輪陣形にはVictorと呼ばれてました。
この陣形はミッドウェイ海戦でも登場するんですが、
具体的な配置に関する資料が見つからないので、詳細は謎としておきます。
ちなみに先にも書いたように、日本側の艦爆はあまり太陽を背にする、
というのは意識してないはずなんですが(離脱/脱出方向に向けて降下してた)、
アメリカ側の記録だと、そういった攻撃が実際にあったらしいので、
個人の判断で太陽を背にして降下した機体があったのかもしれません。
この輪陣形は前日の祥鳳戦でも日本側が取っており、
当時としてはすでに定番な対空防御陣形だったようです。
が、7日の祥鳳周辺の輪陣形が実際はえらく艦ごとの距離が離れており、
ほとんど役に立ってないのに対し、この日のアメリカ側は密集隊形で、
かなり強力な火力の集中を行っています。
もっとも5隻しか護衛艦がなかった祥鳳と、
12隻も居たこの日のTF17を単純比較はできませんが…。
(14隻の護衛艦の内、駆逐艦2隻は艦隊と別行動中で12隻しか居なかったらしい。
遭難パイロットの救援のため、という話もあるが、正確な理由は不明)
とりあえず当時の日本側のパイロットの多くが
その対空砲火の濃密さに驚いた、
という発言をしており、弾幕の密度は相当なものだったと思われます。
この結果、この海戦における日本側の損失の多くが艦上からの
対空砲火による撃墜と見られており、
これによって五航戦の攻撃隊は深刻な損失を被る事になります。
なので、もしアメリカ側の護衛戦闘機がキチンと数が揃っており、
さらにレーダーによる誘導が正確だったら、
日本側の攻撃隊も、相当な苦戦を強いられたと思われます。
そしてその恐れが現実のものになってしまうのが、
1944年以降のアメリカ空母機動部隊なのでした。
ちなみにアメリカ側は攻撃隊発進後、まもなく索敵機の回収が始まったため、
艦隊は引き続き風上の南東方向への航行を続けてました。
ところが、艦隊は機体収容後も南東に向かい続けており、
さらに戦闘に備えて25ノット前後まで増速したため、
(いつでも戦闘速度の30ノットに入れられるようにした)
南下してくる日本のMO機動部隊との距離はほとんど縮まりませんでした。
すでに敵との距離が200海里を大きく切ってると思っていたからと思われますが、
(先にも書いたように、実際はもう少し遠かったが)
攻撃隊発艦後は、もはやどこで空襲を受けても同じですから、
味方の攻撃隊の収容を容易にするため、北上して
敵までの距離は少しでも縮めた方がいいはずなんですがね…
ただし10:55分ごろに日本の攻撃隊をレーダーで探知後、
なぜか艦隊は北上を始めてます。
退避行動で、必要以上に南に追いやられるのを避けたかったのか、
とも思われますが、だったら最初から北に向かえば、と思ってしまいます。
実際、この後、実戦なれしてなかったレキシントン攻撃隊の一部は
艦隊まで帰りつけず、燃料切れで行方不明になってるのです。
さらに後で見る防空戦闘機の誘導のお粗末さといい、
どうもフィッチ率いる航空作戦司令部はあまりいい印象がありませぬ。
ちなみに、この8日の防空戦闘の大失態に関しては、
USSレキシントンのレポートでは、注意深く読むと何かあったとわかる、
といったレベルの報告しか書かれてません。
アメリカ人も、同じような事やるんだなあ(笑)、と思ったのですが、
その代わり、1年後に海軍が公式にまとめた報告書、
珊瑚海海戦記述報告(Battle
of coral sea Combat Narratives
)では
その報告書のゴマカシも含めて、痛烈に非難されてます。
Official U.S. Navy Photograph,
now in the collections of the National Archives. Catalog
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