■全力で挑まないものは敗れる
さて、では実際に出撃した機体数を確認しておきましょう。
両軍のこの朝の保有機数は前回見てますが、実際に出撃したのは、以下の数でした。
まずは日本の五航戦側から。
●瑞鶴
雷撃隊(艦攻) |
8機 |
急降下爆撃隊(艦爆) |
14機 |
戦闘機隊 |
9機 |
|
計31機 |
●翔鶴
雷撃隊(艦攻) |
10機 |
急降下爆撃隊(艦爆) |
19機 |
戦闘機隊 |
9機 |
|
計38機 |
合計で69機。
戦闘機が少ないのは、艦隊防衛用に半数を手元に残したからです。
こちらは瑞鶴に10機、翔鶴に9機、計19機が母艦の上空で、
敵の攻撃を迎え撃つことになってます。
この点、後で見るように、TF17は攻撃隊の護衛戦闘機に15機しか付けられませんでした。
よって、数の上では迎え撃つ日本側の方が有利だったことになります。
ところが、瑞鶴に残った10機の内、艦上待機中の7機が発艦命令を受けたのは敵来襲後、
すでにUSSヨークタウンのSBDの部隊が翔鶴への急降下爆撃体勢に入った後でした。
なので上空に上がった時にはすでに翔鶴が爆弾を食らった後だと思われます。
理由は全く不明で、この結果、一時的に日本側の護衛機は
数の上で劣勢を強いられる事になりました。
最後の最後まで、期待を裏切らないぜ、MO機動部隊司令部という感じです。
(実はさらに故障機が甲板を塞いでしまって3機が上がれず、
最初にやって来たUSSヨークタウン隊の攻撃時に
上空に上がったのは瑞鶴の10機の内、7機だけだった)
再び攻撃隊に話を戻すと、艦攻が7機、
朝から索敵に出てますから、これも攻撃隊に加わってません。
結局、稼働機が全力出撃してるのは艦爆だけになってしまったため、
なんだかアメリカの航空攻撃隊みたいな編成になってしまったのでした。
それでも雷撃機が活躍してしまうのが、
1942年(昭和17年)の日本の空母航空隊のスゴイところなんですが…
対して、アメリカ側の出撃機数は以下の通り。
●USSヨークタウン
雷撃隊(艦攻)/VT-5 |
9機 |
急降下爆撃隊(艦爆)/VB-5 |
17機 |
索敵爆撃隊(艦爆)/VS-5 |
7機 |
戦闘機隊/VF-42 |
6機 |
|
計39機 |
●USSレキシントン
雷撃隊(艦攻)/VT-2 |
12機 |
急降下爆撃隊(艦爆)/VB-2 |
11機 |
索敵爆撃隊(艦爆)/VS-2 |
4機+1機 |
戦闘機隊/VF-2 |
9機 |
|
計37機 |
こちらは全部で76機。
USSレキシントンの索敵爆撃機部隊、VSの機体数が4+1になってるのは、
例によって指揮官が乗り込んで飛んで行った機体が1機あったため。
と言っても、この指揮官機、7日に見たように上空で待機なんてしてないで、
自ら突っ込んで行ってしまってるので、普通に戦力に数えていいでしょう。
出撃した数はやはりアメリカ側の方が多いのですが、
前回書いたように、朝の索敵で18機もSBDを飛ばしてしまったため、
実際に攻撃に加わった機体ではそれほどの差が付かなかったのでした。
レキシントンの急降下爆撃隊と索敵爆撃隊のSBDが少ないのはそのためですが、
よく見るとUSSヨークタウン索敵爆撃部隊でも、稼働機15機の内、7機しか攻撃に出してません。
これは攻撃前に、艦隊周辺の対潜哨戒に8機も出してしまったからで、
どうもこの辺り、一番機数があって汎用性が高いSBD艦爆を
TF17ではいろいろ便利に使ってたようです。
ちなみに後で見るように、当初、日本の航空戦力をナメていたアメリカ側は、
戦闘機不足もあって、このSBDを防空戦闘機代わりにしようとしてました…。
とにかくこれは明らかに失策で、この後、
この打撃力の不足がこの日の海戦の結果を大きく左右します。
フレッチャーの大失敗、といっていいでしょう。
まあ、人類初の空母艦隊決戦ですから、
勝手がつかめなかった、という部分があるのでしょうが、
それでも明らかに戦力の分散であり、この辺りは、あまり褒められるものではありませぬ。
そもそも対潜哨戒なら、9隻も駆逐艦が艦隊に居たのですから、
そこまでの必要は無いはずです。
ただし対潜哨戒の方の機数の決定は、航空作戦を担当していた
USSレキシントン側による可能性もあり、フレッチャーの責任ではないかもしれません。
戦闘機に関しては攻撃隊の護衛についたは32機の内、15機だけで
日本の艦隊護衛に19機のゼロ戦が残っていたことを考えると少ないですね。
ただし、日本側、アメリカ側双方にミスがあり、
実際に艦隊上空で戦った数は両者ともさらに少なかったりします。
この点はまた後で。
5月8日の珊瑚海海戦は、日本の航空部隊が
一方的といっていい勝利をおさめた数少ない航空戦ですが、
その要因の一つが、戦闘機の差だったのはほぼ間違いありません。
これは数もそうですが、それ以上にパイロットの技量、
ベテランの数の差が出た、と思ってください。
(繰り返すが勝利はMO機動部隊とTF17の対決に限った話。
MO作戦全体ではポートモレスビー攻略に失敗してる日本側の完敗だ)
空母艦隊決戦では攻撃機も重要だけど、そもそも戦闘機が無いと、
攻撃も防御もまともに成立しない、というのは
この海戦で初めて明らかになった事実かもしれません。
少なくとも、アメリカ側にとってはそうでした。
ただし、アメリカにはキチンと学習能力がありましたから、
次のミッドウェイからは折りたたみ式主翼のF4F-4をドカンと搭載、
戦闘機も数で勝負に来る事になります。
1942年の夏以降、アメリカの空母機動部隊は、艦載機にグラマン式ビックリドッキリメカ、
すなわち後ろに折りたたむ主翼が採用された事により、
収容時に必要な床面積を大きく減らして、多くの搭載機数を確保します。
上はF4F-4戦闘機、下はTBMの方のアヴェンジャー雷撃機(GMによるライセンス生産型)。
さらにグラマン以外のヴォートのコルセア、
アメリカ海軍の悪夢(本人にとって)カーチスのヘルダイヴァーなども
折りたたみ翼を積極的に採用して、搭載機数を稼ぐのに貢献しています。
これによって、ただでさえ図体のデカいアメリカ空母に恐ろしいほどの数の艦載機を搭載、
アメリカ海軍の空母機動部隊はより強力な破壊力を持つようになってゆきます。
特に1943年から本格的に運用される事になった17人姉妹、エセックスシスターズは
強烈な打撃力を持つ空母となって行くのです。
ちなみに、日本側の折りたたみ翼はこんな感じ(笑)。
折り曲げられるのは翼端部の50pずつとなってます。
………泣くな、泣いたら負けだぞ。
ちなみに、この折りたたみ部分の採用理由、生みの親の堀越閣下によれば、
“艦上での取り扱いを容易にするため”としており、どうも搭載時の占有面積云々ではなく、
小型空母におけるエレベータへの搭載を考慮したんじゃないかなあ。
そもそも最初は付いてなかったものだし。
■Image
credits:Official U.S. Navy Photograph
Catalog #:
NH 97485
海軍機の機体設計で意外に大きな要素となるのがこの艦内格納庫から甲板に機体を運ぶエレベータで、
このUSSサラトガのエレベータに積まれたF4Fがかなり前後がギリギリなのが見てとれるかと。
写真は旧型で主翼は畳めないF4F-3。
ちなみに、F4Fが4型から折りたたみ式主翼になった結果、
2機同時に、横に並べてエレベータに搭載できるようになったため
機体の出し入れの作業の効率も大きく改善されてました。
(とりあえず、ヨークタウン級とエッセクス級ではこの2機同時運搬をやってた。
それ以前のUSSサラトガとUSSワスプのエレベータでできたかは不明。
もう一隻の旧式艦、USSレキシントンは、F4F-4デビュー前に沈んでしまったので、関係なし…)
本当なら、エレベータ上に2機並んでる写真を載せたかったのですが、
残念ながら、海軍歴史センターにはその写真がありませんでした。
ついでながら、意外に見る事が少ない、
艦上で係留されてるF4Fの固定ワイアとかも注目しておいてくださいませ。
さらについでに、レキシントン級って甲板上のエレベータが下がっても、
周囲に落下防止用の手すりがせり上がって来ないんですね。
あれってUSSヨークタウン級、あるいはUSSワスプからの機構なのか?
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