■5月8日の流れ

さて、では5月8日の索敵を少し詳しく見て置きます。
まずは前回も載せた戦闘地図から。



両者の距離は夜明け直後の朝6時半で230海里前後、約410〜420qといったとことで、
夜の間に距離が開いたとはいえ、まだ空母艦隊決戦の必殺間合い内にありました。
日本側は6:15ごろ、アメリカ側はこの日もやや遅れて6:45ごろ、それぞれ索敵機を出すのですが、
この距離で、お互いの存在を知ってる以上、発見は時間の問題であり、
実際、両者はほぼ同時に相手を発見する事になります。

発見報告はわずかに日本側が速かったと思われ、
索敵機発艦から約2時間を過ぎた8:24、
翔鶴から出て200度の線を索敵していた菅野機から、
敵航空部隊(空母機動部隊のこと)発見の報告がMO機動部隊司令部に入ります。

そしてほぼ同時といっていい8:30ごろ、アメリカ側のジョー・スミス(Joe Smith)機が、
こちらも日本側の空母機動部隊を発見、TF17司令部に知らせてました。
30分以上遅れて出撃してるアメリカ側索敵機が前線低気圧の雲の多い海域にあった日本空母を
ほぼ同時に発見してる辺り、この段階では運はアメリカ側にあった、という感じでしょうか。
ただし、発見は同時でも、その情報の正確さはやや差が出ました。

ちなみにスミス機からの無線報告は雑音が多く、受信した艦隊側では、
何度か内容を問い返して確認してるそうな。
やはりスコールの雷雲が無線に影響を及ぼしてる気がしますね。

ここで、それぞれの報告を見ておきましょう。
菅野機がまず8:22の段階で知らせた敵の位置は日本の機動部隊から
方位205度(南南東)、(距離)235海里(約435q)、
その針路は170度に向かって速力は16ノット、というものでした。
とりあえず、必殺の間合いギリギリの距離だ、という事になります。
(実際はもう少し近距離だったのだが)

対してアメリカ側のスミス機の報告はpoint Zed から方位6度、
距離120海里(約222.2q)でした。
Zed地点とは、周囲に明確な測定起点となるような島が無いため、
TF17が海上に設定した基準点で、南緯14度、東経156度の交差点を指します。
(戦闘指揮官(Fighter Director)の報告書では、東経13度、東経153度になっているが、
これでは西過ぎて、滅茶苦茶な位置になってしまう。前日の座標か何かの間違いだろう)

それぞれの報告位置を地図に描き込むと以下の通り。



それぞれの発見位置は索敵機発艦から攻撃隊出撃までの中間点辺りのはずなので、
一目で、アメリカ側の発見報告位置が大きくずれてるのがわかります。 
ただし、後で見るように、この後、フレッチャー率いるTF17司令部は、
ミラクルとしか言いようがない(笑)計算で、これを最低限の誤差に収めてしまうのです。

まず、日本側の菅野機の報告位置は、実際より20q前後遠かったのですが、
方位はドンピシャであり、航法担当者がよほど優秀だったのでしょう。
なんの目印もない400qの海上を進出して距離が10〜20qずれてるだけなら、
これは誤差の範囲であり、理想的な索敵報告だったと言えます。

ちなみに菅野機からの報告で、五航戦司令部が割り出した敵の予測位置は
南緯14度47分、東経154度45分でした。
その30分前、8:00のアメリカ側記録ではTF17の位置は南緯14度25分、東経154度31分。
計算してみると、その差は約30qですが、その後30分移動したことを考えると
恐らく誤差は15q以下で、ほぼ完全に位置を把握していた、と言っていいでしょう。

対して、アメリカ側は、この日の索敵でも、あまり正確性がありませんでした。
そもそもなんの目印もない海上の一点を索敵基準点にする、というのは、
あまり賢い運用ではなく、なんで普通に索敵機の発進位置を
基準点にしなかったのか、この辺りはどうもよくわからない部分です。
(辺りに島があるなら、その座標位置は絶対だから7日のMO主隊の索敵機のように、
これを基準点として索敵を開始するという方法もある)

実際、無理があったようで、上で見るように
この日スミス機によるの第一報は大幅に位置がずれてました。
実際の方角はZed地点から6度では無くほぼ真北の0〜1度でしたし、
距離も30海里以上、約60q近く、実際の位置より短いものになってます。
ところが、なぜかは全くわからないのですが(笑)フレッチャー率いるTF17司令部は
8:30頃の日本側の空母機動部隊の推定位置を、
南緯11度51分、東経156度04分とかなり正確に判断しているのです。

そもそも緯度1分の距離=1海里なんですから、120海里しか距離がないなら、
その位置は13度−2度(120分)=南緯11度ちょうどの辺り、という計算になります。
なんで彼らがそこから、さらに51分も北だと判断したのか、どうもよくわかりませぬ…。
ひょっとして、本当のZed地点はもう少し北だった?

ちなみに40分後、9:10の段階の五航戦の位置は記録によると
北緯11度32分、東経156度06分なので、
アメリカ側の推測位置から21qしかずれてません。
40分の移動時間を考慮しても誤差は40q以下と思われ、
当初の報告にあったまるで見当違い、という位置からはかなり修正されてました。

このTF17司令部の判断が、アメリカ側の攻撃部隊を救うことになるのですが、
それでも何の目標もない雲の多い海域で、40q前後の誤差をカバーするのは、
この時期のアメリカ艦載機部隊にはかなり困難な条件だったようです。
このためTF17の攻撃隊の一部が、日本の空母機動部隊に到達するのに失敗する事になります。

ついでながら両機動部隊司令官とも、
前日、索敵機の報告にはいろいろエライ目にあわされてるので
おそらく多少、慎重になっていたと思われますが、
それでも日米ともに、この敵発見の第一報を受けて、攻撃隊の発進を決定するのでした。
両者とも、持てる限りの全力攻撃でしたが、
この時の投入兵力で微妙にアメリカ側のツメの甘さが出てしまい、
これがこの日の海戦の結果をかなり左右する事になります。


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