■大チョンボ後のMO機動部隊
さて、今度は日本側の主力打撃であるMO機動部隊と
アメリカ側のTF17の位置関係を航跡図で追いかけてみましょうか。
何度も書いてるようにこの日の南緯12度〜14度の珊瑚海では
風は東方向から吹いてました。
対して既に位置が判明していたTF17は北西におり、
艦上機の収容と発艦のためには東へ、
敵を捉えるには西に向かわねばならない、という
サイレント映画のコメディのごとき板挟み状態となったのがMO機動部隊です。
そして実際、その航跡は蛇行に蛇行を重ねて行く事になります。
とりあえず、下の地図のMO機動部隊の航跡は
翔鶴索敵機の空母発見の誤報入電後、
攻撃隊発艦のため、7:40ごろに東に変針した辺りから記入しております。
8:10頃までにUSSネオショー艦隊への攻撃隊の発艦を終了するのですが
(ちなみに合戦図の記録だと8:15終了)
その後も第一戦速(20ノット)のやや高速を維持したまま東に向かい続けてました。
(ただし故障して引き返した99式艦爆1機の緊急収容を
8:25頃に行っており(合戦図による)この時も強速(16ノット)まで減速した。
着艦時はあまり風速が高速すぎると問題があるのか?)
この時、既に9時前の段階でMO主隊から、連中から見て北西の位置に
敵空母機動部隊発見の報を受けていた、というのは既に見た通り。
この段階ではまだ南に居るのも別の敵空母機動部隊と信じていたとはいえ、
東向けの針路を続けては、どんどん西のTF17から遠ざかる事になるわけです。
この間、第一戦速(20ノット)という高速を維持したのは
敵からの空襲の可能性が捨てきれなかったからですが、
だったら北に向かってはいかが、と私なんかは思うんですけどねえ…。
攻撃隊が戻るまでに反転、南下すればその収容にも何の問題もないんですから。
結局、西の空母部隊の存在を知ってから、さらに1時間40分以上、
20ノット(37km/h)のやや高速で東に向かっていた、というのは覚えて置いてください
この結果、北西のTF17から60q近くも遠ざかってしまった事が(つまり往復で120kmだ)
後からジワジワと効いてきて、この日の夕方の大チョンボ
II世につながります。
でもって10時45分に翔鶴索敵機による衝撃の告白、
ごめん空母じゃなくて輸送艦だったヨ、テヘ(一部意訳)の
電信を受け取ってアゴも外れんばかりに驚いたMO機動部隊司令部は
ようやくその直後に北西、すなわちTF17の方向にに反転します。
が、すでに10:30ごろから索敵機の帰還が始まっていたため、
反転直後にまた少し東に向かったりして、その航路は蛇行してるのが見て取れます。
とりあえず11:15ごろ索敵機の収容が一段落すると、ようやく第三戦速、
28ノット(約52km/h)まで速度を上げ北西を目指すのでした。
ちなみに、この時間帯に祥鳳が600q以上北西の海でタコ殴りにされてたわけです。
ここでもう一度、同じ地図を。
ようやく北西に反転してTF17に向かったわけですが、約1時後、
12時20分ごろから別の索敵機隊の収容が始まり、
その直後に今度は攻撃隊が帰って来てしまって、この収容も始まります。
すなわち、また南東に向けて反転する事になるのです。
この辺りの記録は航空部隊の戦闘行動調書の着艦時間と、
合戦図の航跡図に書き込まれた時間に15分前後のズレがあって、
やや怪しい部分はあったりするんんですが、
それでも、とりあえず12時15分頃に南東に変針した後、
1時間ちかく南東に向かって逆戻りする事になってしまったようです。
この12:15ごろからの南東への逆戻りの途中、
2回も小さな回転運動が入ってるのが見て取れますが
(小さな輪っかの部分)
これは索敵機、瑞鶴、翔鶴の各攻撃隊がまとまって帰還せず、
いくつかの集団に分かれて帰ってきたためです。
このため次の集団が戻ってくるまで少しでも距離を取り返そうと
細かい北西方向への反転を繰り返したと見られます。
一つあたりの回転は15分前後となっており、
ホントに細かい時間調整だな、という感じです。
東に向かって1時間40分も無意味な航行をしてなきゃねえ…。
とりあえず攻撃を行った艦爆部隊と、行わなかった艦攻部隊で
その帰還開始時間がずれてしまった結果、
到着時間に差が出来てしまったのがここら辺りの要因でしょう。
結局、13:30ごろ全ての機体の収容を完了、
ようやく本気で北西に向かう事になるわけです。
(ちなみに、この辺りの戦史叢書の記述はメチャクチャなので要注意)
これでようやく、本腰を入れてTF17に向かう事になったわけですが、
ここからは索敵機からの位置情報が重要になってきます。
既に祥鳳を沈め、攻撃隊の収容に入っていたTF17には
日本側の索敵機が引き続き貼り付いていており、
その位置情報を逐次打電してました。ここまで良しとします。
ところが、この情報の内容が、またメチャクチャだったのでした(笑)。
というか、後で見るように、ホントにTF17に接触してたの?
という疑問すら残ります。
この内、MO主隊の青葉(2号機)、加古(1号機)から1機ずつ出ていた水偵は
戦闘機からの迎撃を避けてるうちに11:30ごろこれを見失い、
その後、デボイネの水上機基地に帰還したとされます。
(加古機は先に書いたように目標に向かう途中、
TF17の攻撃部隊と接触、不時着を強いられてるから
現地までたどり着いていたのは青葉機だけのはず。
あるいはこちらも戦闘の結果針路を見失い、そもそも接触に失敗してる?)
ちなみに、青葉の1号機と加古の2号機の水偵が
この後もまだMO主隊に残っていましたが、
その行動記録がキチンと残っておらず、よくわかりませぬ。
この辺り、15時近くになってから加古の2号機がTG17.3らしき艦隊と接触、
という記述がMO主隊の戦闘詳報にいきなり出てきたりします。
もうちょっとキチンと記録は残していただきたかったです。
この結果、12時前後にTF17に接触を続けて居たのは、
水上機基地建設部隊、いわゆる援護部隊に同行していた水上機母艦、
神川丸と聖川丸から出ていた水偵と
ラバウルから飛んできた陸攻だけだと思われます。
ただし午後遅くになってからツラギから出撃した97式大艇も加わったようです。
(入れ替わる形でラバウルからの一式陸攻が引き上げたらしい)
一方、ラバウルから索敵に出ていた別の陸攻が11:30の段階で、
例の巡洋艦と駆逐艦からなる別働艦隊、TG17.3を発見を通報、
これがこの時間帯に各部隊の司令部に知らされます。
この結果、新たな艦隊出現か、あるいは最初の艦隊の位置測定が間違っていたのか、
という事で、日本側には一時的な混乱があったと見られます。
この艦隊がTF17とは別物、と判断されてキチンと情報が整理されるのは
どうも午後3時ごろと、かなり遅くなってからのようです。
それでも、この段階では既に南洋部隊(第四艦隊)司令部から、
朝にMO主隊が見つけた空母機動部隊、
すなわち正しくTF17を攻撃せよ、という命令が出ており、
これに従って各部隊は行動する事になったのは幸運だったと言えます。
ちなみにこの段階でも、MO主隊はMO機動部隊が何処に居るか
いまだわからず、えらく困った、という記述が戦闘詳報にありにけり…。
一方、日本とほぼ同時刻、13時15分ごろまでに攻撃隊の収容を終わっていた
アメリカのTF17は、すぐさま第二次攻撃の準備に入ってました。
最終的に約1時間後、14:20ごろには早くも攻撃準備完了が終わったのですが、
司令官であるフレッチャーは、まだ2隻の日本空母が健在である以上、
ただの輸送艦隊に攻撃隊を向けてしまうのは危険だと判断、
MO主隊への第二次攻撃は中止とします。
そしてこの前後からTF17は断続的なスコールが降る天候の海域に入ってしまい、
しばらく視界ゼロ、という状況が続いて索敵機も飛ばせなくなります。
その後、14:50分になって、ようやく上空警戒機のため
8機のF4FをUSSレキシントンから発進させてますから、
おそらく14:00前後から1時間近く、TF17は強い雨雲の中に居たと思われます。
この点は、後で重要な意味を持つので、覚えておいてください。
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