■情報は滅茶苦茶だ
さて、では7日の朝の大混乱を乗り越えたというか、
そのまま転げ落ちたというか、そんな日本側が
再び大混乱に陥る7日の夕方に至る過程を検討します。
まずは再び大混乱の原因となった
日本側の索敵機情報の当てにならなさ、を見て置きましょう。
とりあえず実際のTF17の位置と、索敵機からの情報の違いを理解するため、
デボイネ島&ロッセル島と、そこからのおおよその方角を確認できるよう、
下の地図を造ってみました。
ついでに、ここまで無視して来たアメリカの別動隊、ジョマード水道待ち伏せ艦隊の
TG17.3の情報があった方が話が理解しやすいので、
ここでのみ、この部隊の行動を地図に書き込んでます。
ただし、この部隊に関するまともな一次資料が手に入らなかったので、
この航跡はあくまで大筋のモノです。
13:55以降に一式陸攻の雷撃を受けたりしてる以上、
少なくともこの前後は、もっと蛇行した航路を取っていたはず。
(ちなみに7日の一連の海戦においてTG17.3の攻撃時間だけが日米で一致しない。
アメリカ側の記録だと14:00ごろから攻撃を受けたとされるが日本側は14:30頃とする。
どちらが正しいか判断がつかず)
とりあえず、デボイネ島を基準にした場合、TF17は南東方向に居て、
方位角で表記すると、おおよそ110度から150度以内となります。
そこから12:50時点の位置までの距離は約240qでした。
(空母にとっては至近距離と言っていい)。
もう一つの基準点、ロッセル島から見ると南南東、
おおよそ190度から130度の方位で、
同じく12:50の位置までの距離だと約80qという所ですね。
この朝、最初にTF17を発見した古鷹の水偵からの第一報(8:20発)は
デボイネより152度(南南西) 150海里(280q)に敵機動部隊らしきもの発見であり、でした。
次いで衣笠の水偵より(8:30発)ロッセル島の170度(ほぼ真南)82海里(152q)に
空母らしき艦含む敵艦隊発見、という内容になってます。
両者の位置は50q以上ずれてますし、
どちらも数十qほど実際の位置より近すぎますが、
それでもこの日の通報の中では比較的正確な部類と言っていい数字でした。
ちなみにMO機動部隊はこの情報から、
西の敵空母機動部隊(TF17)までの距離は約250海里と推定します。
これはちょっと遠すぎるものの(この辺りわざと遠い数字にした可能性もあるが)、
それでもこの日に行われた推測の中ではもっとも正確な数字でした。
参考までに30分のズレがあるものの、両者の位置を関係を実際の座標で確認すると、
TF17の朝7:30の座標が南緯13.9度、東経154.24度、
MO機動部隊の朝8:00の座標が南緯13.8度、東経158度(航跡図からの読み取り)
なので、その距離は約406q、約220海里という所でした。
その後の両者の距離関係は以下の地図のような状態になって行きます。
白と赤の線が例の空母必殺の間合い、240海里(444.5q)の範囲を示したものとなります。
白の線がTF17の存在を初めて知った9:00ごろの位置から測ったもの、
赤の線がMO機動部隊が最も東に位置していた10:45ごろの位置から測ったものです。
9:00の段階で既に両艦隊は完全に240海里以内の距離にあり、
その後も東向きの風に合わせ、揃って東に向かったため、
MO機動部隊がもっとも東に到達した10:45でも、両者はまだその間合の内でした。
すなわち両者とも最後まで気が付かなかったものの、
この日はほぼ常に240海里以下の距離を維持したまま移動を続けていたのです。
日本側は距離を正しく把握してませんでしたが、その存在は知っており、
(MO機動部隊司令部は正しい距離を知っててスットボケた可能性もあるのだが)
対してアメリカ側は東に敵がい居る、という事すらまだ知らなかったのです。
9:00の段階ですぐさま南に向かった攻撃隊を呼び戻し、
本来の任務であるポートモレスビー攻略部隊の援護に向かっていたら、
日本側の一方的な勝利に終わっていただろう、という推測は、
この状況とこの地図を見てもらえればよく理解できると思います。
ちなみに、240海里は日本海軍が基準とする必殺の間合いなんですが、
どうも珊瑚海海戦時のアメリカ側の攻撃距離を見ると、
こちらはもう少し短い可能性があります。
ツラギと祥鳳、それぞれの攻撃時は380q以下、約200海里以下の距離まで
接近してからその攻撃隊を出してるのです。
よってこちらは200海里前後が必殺の間合いとされていた可能性があります。
(ただし8日の海戦はもう少し長距離から攻撃隊を出したが)
そして先に書いたようにTF17の指揮官、フレッチャーは
日本の五航戦はおそらく北西方向に居ると考えており、これを一時的に避けるため、
アメリカの空母機動部隊は午後13:30ごろから南下を始めてました。
対して、ほぼ同時刻に朝出した攻撃隊の収容を終えたMO機動部隊は
高速で北西に向かい始めます。
よってMO機動隊が北西に向かえば向かうだけ、
ひたすら南進するアメリカのTF17に接近する事になって行くのです。
この結果、両者の距離は午後14:00ごろから、
危険なまでに急接近しつつある、という状況に置かれてゆきます。
この点を、アメリカ側のTF17は当然、全く把握してませんでした。
午前中は東に索敵機を飛ばさずに居た上に、
14::00過ぎから嵐のような天候の中に突っ込んでしまって、
索敵機が飛ばせなくなってしまっていたからです。
当初、攻撃部隊を収容後、空母の艦載機が手一杯なので
巡洋艦の水上機を出そうと考えてたようですが、
強風により発進、そして帰還時の着水が危険なため、これを見送ったようです。
となるとこの段階でもまだ索敵機が接触していた日本側が
一方的に有利ではないか、と思ってしまいますが、
実はMO機動部隊も最後の最後まで、この位置関係を把握できてませんでした(笑)。
索敵機からの情報があまりにメチャクチャだったからです。
というか、そもそもホントに索敵機はTF17に接触していたのか、
という、この日の朝と同じ疑問があったりします(涙)…。
ちなみに私が調べた限りでは、戦史叢書の記述を含め、
日米を通じ、戦後75年を超えるこの年まで、
誰もこの日の午後の日本側の索敵の混乱に気づいてません。
そもそも戦史叢書は、アメリカのTG17.3の行動を把握したうえで書かれたとは思えない
支離滅裂な内容で、あれが日本の事実上の公刊戦史なのか、と思うと
税金ドロボーの文字が私の頭の中で輪になって踊っております。
(そもそもアメリカ側の記録をモリソン戦史しか読んでないのでは?)
ホントに太平洋戦争の海戦って、一度もまともに研究されてないんですよ。
なぜかは知りませんけども。
この辺り、MO機動部隊が索敵機から受け取ったと主張してる
全ての電信を見てみると、その辺りの混乱がよくわかると思います。
ただし発信者の記載が無いので、どれがどの偵察機によるものかは不明。
さらに司令部が受け取った時間なのか、打電された時間なのかも記述無しだったりします。
それでも内容を見るだけで、その大混乱がよくわかりますから、見て置きましょう。
とりあえずもう一度、同じ地図を再掲載しておくので
以下で紹介する各電文の内容と突き合わせてください。
ではMO機動部隊の戦闘詳報に出てる索敵機からの電文を全て並べてみましょう。
クドイですが、時間は現地時間に換算してます。
ちなみに<>内の記述は電信文の内容ではなく、
MO機動部隊側によって書き込まれた注記です。
-----------------------------
9:15 敵機動部隊の位置 デボイネよりの方位145度 165海里(305.6q)
10:30 ロッセル島南西90海里(166.7q) サラトガ型一 不詳一 計航空母艦二隻
-この後2時間近く入電の記録なし。ほんとかな、と思うが確認の手段が無い-
12:20 デボイネより方位170度 85海里(157.5q)針(路)300度(速度)16ノット
12:30 敵の兵力は戦艦一 巡洋艦二 駆逐艦三なり 速力18ノット
12:40 デボイネより方位175度78海里(144.5q)針路310度 速力20ノット
<戦艦を含む敵の一隊>
13:15 敵航母の位置 「デボイネ」の205度 115海里(213q)
<11:30の五航戦よりの距離400海里(740.8q) 敵は暫時西方に移動しつつあり>
13:45 敵兵力 戦艦二または巡洋艦二駆逐艦四なり
針路275度25ノット 空母は伴わず
13:50 デボイネの213度 100海里(185.2q)針路315度(速度)20ノット
14:00 デボイネの215度100海里
14:07 敵は反転せり
-この前後からTF17はスコールに入って視界ゼロとなる。
当然、日本側も観測できなかったはずだ-
14:45 敵の航行序列 駆逐艦二 大巡二 駆逐艦一 母艦一
14:50 敵針(路) 120度 之より(以下判読できず)
-海上で視界ゼロ、という状況の中にある艦隊をどうやって
上空から観察したのか全く不明。
彼らは一体、何を見ていたのだろう-
-----------------------------
9:15の入電は、時間的に見て古鷹か衣笠の水偵からと思われ、
それなりに正確な情報です。
おそらく実際の位置との誤差は30〜40q前後じゃないでしょうか。
航空機でなら、なんとか自力で修正が効く数字です。
が、その次の10:30の入電から位置情報がおかしくなってゆきます。
正確な方位角の数字が無いのですが、そもそも
ロッセル島の西南だと9:15の位置からTF17は西に移動してる事になります。
攻撃準備中の空母が風下の西に向かうなんて、そんなムチャな…。
MO機動部隊でも、これは誤報だろうと考えたと思いますが…
この後、2時間近く入電はなかった、というか少なくとも記録は残ってません。
そして、その間に、最初に比較的正確な情報を送り続けた
古鷹、衣笠の索敵機は接触を後続に引き継いでデボイネに向かってしまうのです。
でもって、その次に来た12:20の入電、
接触を引き継いだ機体からの報告が混乱を助長します。
デボイネの170度となると、9:15の145度から
やはり大きく西に動いた事になるのです。
こうなると、MO機動部隊司令部にも混乱が始まります。
そして12:40の入電ではさらに西に移動してしまってます。
実はこの時間帯は確かにTF17も攻撃隊を迎えに行くため、
一時的に西に向かってるのですが、それでも位置が違いすぎます。
単なる航法ミスで座標が少しずれた、というレベルではないのです。
一体全体、何がどうなってるのだ?という異様な感じを受けますが、
ここで例の別動隊、ジョマード水道出口に向かってた
駆逐艦と巡洋艦によるTG17.3の航跡を確認すると、
この辺りの謎が大筋で見えてきます。
先に書いたように、RG17.3の航跡に関してはイマイチ正確性に欠けるのですが、
それでも大筋の位置の参考にはなるでしょう。
で、12:20、12:40ごろにデボイネのほぼ真南方向に居た艦隊、というのは、
どう見てもTG17.3であろう、と考えられるわけです。
この辺り、MO機動部隊がどう理解していたかはよく判りませぬ。
<>書きの内容を見ると事態を把握していたように見えますが、
これが後刻、追記されたものではない、という証拠は何もないからです。
そしてトドメが13:15の入電で、敵はワープでもしたのか、
という感じで、わずか35分の間にデボイネから見て40度も西に進んでしまいます。
そして、どう考えてもデボイネの213度で200qの距離にいる艦隊となると、
明らかにTG17.3しかありえないのですが艦隊には空母が居ると断言してます。
これ、この朝と同じ種類の誤報でしょう。
これまた“自分が見たいものを見た”誤認の可能性が高いのですが、
ここまでくると、MO機動隊司令部も、だんだんワケがわからなくなって来たようで、
どうも思ったより敵は西にいる、と信じ始めてしまいます。
というか、ここまでの情報で合理的な推測をするのは人間には不可能でしょう(笑)。
今回はさすがにMO機動部隊司令部に同情しますね…。
この結果、彼らは9:00の段階の予測を訂正、14:00の段階で、
敵ははるか西、430海里(796.3q)の地点に居て人類の英知を超えた速度で西に移動中だヨ!
といったほとんど投げやりな結論を出してます。
(5時間で180海里だから時速66.7qという恐るべき高速で、
風向きとは逆の西に向かってた、という事を意味する)
この点、今回ばかりは彼らに罪は無く、
とにかく日本海軍の索敵機は当てにならん、
という事を痛切に感じるほかありませぬ。
もはや笑うしかなかったでしょうね、こうなると…
とりあえず、この段階でMO機動部隊は敵は東風の中なのに、
昼前からずっと西に向かってる、なんでか知らんけど、
という不思議な結論が出たわけです。
ただし、上の電文では一度も敵の針路の情報が出てきません。
西に向かっている、というのは報告される座標がどんどん西に向かっている、
という点から出て来た推測かと思われます。
ところが、ここからさらに索敵機の暴走が始まるのです。
14:07の電文がそれで、敵は反転セリ、と書かれてます。
ただしMO主隊の戦闘詳報を見ると、東に反転と書かれてるので、
実際の電文には“東に”の情報が入っていた可能性があります。
これによって、敵はこちらに向かってくるぞ、という事になり、
日本側は全軍がこの情報に基づいて行動を開始します。
が、再度、TF17の航跡図を見るとこうです。
14:00前後は、どう見ても、ひたすら南に向かってただけですね(笑)。
東に反転どころか、そもそも西に向かってないのです。
そして14:00前後に反転と言えるほどの針路変更は全く行ってません。
何が一体どうなってるんだ、と思いますが…
ちなみにここでTG17.3の動きを見ると、まさにその時間に大きく変針、
南に向かっており、この報告も実はTG17.3のものだった可能性が高いです。
ただし、この変針は日本の攻撃部隊(ラエから来たゼロ戦とラバウルの一式陸攻)
と接触したからだと思われます。
だったら、友軍から攻撃されて敵艦が針路を変えた、と報告がありそうなものですが…
さらにこの前後からTF17は暴風の下にあり、視界ゼロを報告してます。
それなのに、日本側の索敵機は14:50に針路120度(東南東)を報告してます。
一体全体、連中は何を見てたんだ?という疑問も残ります。
どうも、日本海軍全体として、索敵のまともな訓練をやってないのではないか、
その正確性はほぼ個人の才覚に依存してたのでは?という気がしてきます。
とりあえず、索敵機はほとんどがTG17.3に張り付いてしまった可能性が高く、
その結果、恐ろしく錯綜した情報の中で決断を迫られたMO機動部隊司令部は
朝の失敗を取り返さねば、というプレッシャーもあってか、
いろいろと暴走した決断を下してゆく事になります。
この段階で彼らは400海里(740.8q)も西に位置する敵が、ようやく東に反転した、
と思い込んで北西に急行してます。
が、実際のTF17は危険なまでの近距離に居たわけです。
それは240海里以下の距離で
彼らの前を横切るように南に向かっていました。
するとどうなるか。
その辺りは、また次回。
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