■アメリカ側の事情
さて、前回は5月7日朝の段階における
MO主隊(祥鳳含む)VSアメリカ機動部隊の朝の索敵合戦の内容を見ました。
今回はアメリカ側の攻撃開始までの段階を見てゆきます。
ちなみにこちらの戦いにおいて、日本側の攻撃は無い(涙)のですが、
とりあえず襲撃された日本側の動きも合わせて確認しましょう。
この日の朝の索敵機からの報告で先に動いたのはUSSレキシントンでした。
これは前回も書いたように、索敵と攻撃隊の準備は両艦で交代制になっていたためで、
USSヨークタウンが索敵、この日はUSSレキシントンが攻撃準備の当番だったわけです。
なので、最初はUSSレキシントンの部隊の状況から見てゆきます。
ついでに再度確認しておきますが、時間は全て現地時間に換算してあります。
USSレキシントンの航空攻撃に関する報告書は、最低でも3つも存在してます。
これはこの日の攻撃当番(?)がUSSレキシントンの側で、
航空攻撃全体の指揮を執っていたためでしょう。
ちなみに、これは攻撃だけでなく、艦隊防衛用戦闘機の指揮も同様で、
やはりUSSヨークタウンにはレーダーが無かったのか、という感じもしますね。
が、困ったことに、それぞれ微妙に内容に差がありにけり。
とりあえず、ここでは私が妥当であろう、と判断した数字を拾ってます。
ちなみに3種類の報告書というのは以下の三者によるものです。、
●USSレキシントン艦長
(The
Commanding Officer/アメリカ海軍の艦長の正式呼称)
●USSレキシントン航空作戦将校
(Air Operations
Officer)
●戦闘指揮官
(Fighter Director)
ちなみに戦闘指揮官(Fighter
Director)なる職務は
あまりなじみがありませんが航空攻撃全般を指揮する人で、
この時の攻撃ではUSSレキシントンに乗艦してました。
USSヨークタウンの機体も、発艦後はこの戦闘指揮官の指令によって動き、
攻撃部隊、艦隊護衛共に一元化されて指揮下に置かれていた事になります。
■USSレキシントン攻撃隊7月4日朝の動き
7:00 9機のSBD爆撃機(VBか?)を対潜、対魚雷用哨戒に、
4機のF4F戦闘機(VF)が対空警戒に発艦。
この対空警戒機は、日本側の索敵機をレーダーで
見つける前に既に発艦してるのに注意。
この点、攻撃隊出撃前も後も、まったく上空援護の機体を出さなかった
この朝の五航戦(MO機動部隊)とは対照的な部分となってる。
すでに敵主力が近海にいる、と知ってるゆえの行動だろう。
(ただしMO機動部隊が別行動中とは知らなかった)
ちなみに後にレーダーで発見された古鷹、衣笠の
索敵機迎撃に最初に向かったのがこの戦闘機。
ただし周辺は雲が多く、索敵側は逃げる場所に困らなったらしい。
それでも前回見たように1機が撃墜され、複数の機体が被弾している。
8:15 USSヨークタウンの索敵機から敵空母発見の報入る。
8:30 この前後から日本の索敵機がレーダーに捉えられ始めてるようだ。
これによってTF17は日本側に発見されたと判断される。
8:55〜9:40 MO主隊に対する攻撃部隊出撃。
ただし、同時刻にさらに4機のF4Fを対空警戒のため発艦させた記録があり、
(日本側に発見されたため、上空援護機を増やしたと思われる)
このため攻撃部隊の発艦開始はその後、もう少し遅い時刻からの可能性が高い。
といった辺りがUSSレキシントンの朝の攻撃部隊発進までの流れです。
さて、この時の攻撃部隊の構成は
航空作戦将校(Air
Operations Officer)によって提出された
Air Operations of LEXINGTON, 7-8 May, 1942 -
Report of.の数字では以下の通り。
●USSレキシントン
雷撃隊(艦攻)/VT-2 |
12機 |
急降下爆撃隊(艦爆)/VB-2 |
16機 |
偵察爆撃隊(艦爆)/VS-2 |
11機+1機 |
戦闘機隊/VF-2 |
9機 |
|
計49機 |
偵察爆撃隊の数字が11+1機となっているのは、
攻撃機11機とは別にレキシントン航空隊指揮官
(Lexington
Air Group
Commander)
自らがSBDに搭乗して出撃してるためです。
この時、艦隊護衛用には8機のF4F(朝出た4機と後から出た4機)、
対潜、対魚雷哨戒に8機のSBD(VB2機+VS6機)が残され、
艦隊周囲の警戒に当たってました。
(朝イチで出た9機のSBDの内1機が指揮官出撃用に戻った?)
ちなみにレキシントン艦長から提出された報告書では、
戦闘機が上の表より1機多い10機とされてます。
が、もう一人の報告者、戦闘指揮官からの報告書では
上の表と同じ数字になってますから、
現場に近い連中の報告として戦闘機9機説を採用します。
本来、アメリカの航空部隊は18機編成ですから、
本当は10機だと数が合うのですけども…。
でもってアメリカの報告書は機体の出撃状態を非常に細かく書いてる事があります。
今回の報告書も結構、興味深いので紹介しておきましょう。
まず全機の燃料は100オクタン ガソリン満タンで、
それぞれTBD
180gal. F4F 147gal. SBD 250gal.
(単位は米ガロン)を搭載。
やはり3人乗りで重い魚雷を抱えてゆくSBDが一番燃料を積めるようです。
武装で興味深いのはSBDで急降下爆撃隊(VB)と偵察爆撃隊(VS)で
それぞれ武装が異なっています。
急降下爆撃隊(VB)は1000ポンド(約454s)爆弾を1発装備、
対して偵察爆撃隊(VS)ではその半分の500ポンド爆弾(約227s)にする代わり、
小型の116ポンド爆弾(約53s)を2発、主翼の下にぶら下げて行きました。
この武装の違いが意味するところがよくわかりませんが…
さらに細かいところではF4Fの機銃弾の割合まで出ていて、
徹甲弾2、曳光弾1、焼夷弾1の比率だったとの事。
■Image
credits: Official U.S. Navy Photograph,
now in the collections of the
National Archives.
以前から、妙に小さい爆弾積んだSBDの写真があるなあ、と思ってたんですが、
1000ポンドと500ポンドを混在させて運用してるとは知りませんでした。
もっとも、一目で両者を見極めるのは困難です。
この写真の爆弾は小さく見えるので500ポンド爆弾のような気がしますが、
主翼下の116ポンド爆弾が無いので、もしかしたら違うかも(無責任)。
さて、ではお次はUSSヨークタウンの動きを。
こちらが索敵担当だったのは既に書いた通りですが、
その動きを追いかけると以下のようになります。
ただしUSSヨークタウンに関しては、その艦長が太平洋海軍親分、
ニミッツに対して提出した報告書、
Air
Operations of Yorktown Air Group against Japanese Forces
in the vicinity of
the LOUISIADE ARCHIPELAGO on May 7, 1942.
しか手に入らなかったので、これを基本に見てゆく事になります。
この辺り、そもそもこの日の航空作戦はUSSレキシントンが主導してるので、
最初からあまり報告書を残してない可能性もあります。
では、この日の朝のUSSヨークタウンの動きを見て置きましょうか。
■USSヨークタウン7月4日朝の動き
6:19 索敵機10機発艦
8:15 索敵機から敵空母艦隊発見の報入る
この記録を見る限り、対潜、対魚雷哨戒機のSBDはもちろん、
上空援護のためのF4F戦闘機もUSSヨークタウンは発艦させてない。
索敵でSBDを10機出してるので、対潜、対魚雷哨戒に
SBDを出せないのはわかるが、上空援護機まで出してないようだ。
ここら辺り、あくまで航空作戦はUSSレキシントンの管轄、
という割り切りがあったのか、日本側の空母運用とは
ずいぶんと異なる部分となっている。
9:44〜10:13 MO主隊に対する攻撃部隊出撃。
10:19 上空護衛の戦闘機発艦(機数不明)。
朝から飛んでいたUSSレキシントンの4機に対する交代要員か?
10:30ごろ 直前にスコールを通過。
その後、索敵に出ていたSBDが次々に帰還。
ところがUSSヨークタウン搭載の機体は
敵味方識別装置(IFF)をまだ搭載して無かった。
このため、対空警戒中のUSSレキシントンでは、
次々にレーダーに現れたこれらの機体が敵機か否か判別ができず、
次々と護衛戦闘機を確認と迎撃に向かわせる大混乱となる。
さらにスコールのため雲が多く、その識別はかなり困難だったらしい。
この辺り、作戦後に提出された報告書で、
全ての機体にIFFを早急に積まねばならぬと
(must
have I.F.F. as quickly as
possible)
かなり強い文面で警告されてるので、現場では相当な混乱があったようだ。
日本側の索敵機の接触が維持されのは、この辺りの混乱に乗じた、
という面もあったのかもしれない。
11:00 USSヨークタウンの戦闘機隊(VF42)が艦隊から15海里(約28q)
の地点で日本のカワニシを撃墜と報告。
これが事実なら、古鷹の2号索敵機はこの段階で撃墜された可能性が高い。
といった、感じでですね。
この後は攻撃部隊の帰還まで、F4FとSBDが交代で警戒に上がってます。
で、この時のヨークタウン側の攻撃部隊の構成は以下の通り。
数字は艦長報告書によります。
●USSヨークタウン
雷撃隊(艦攻)/VT-5 |
10機 |
急降下爆撃隊(艦爆)/VB-5 |
7機 |
偵察爆撃隊(艦爆)/VS-5 |
17機 |
戦闘機隊/VF-42 |
8機 |
|
計42機 |
意外というか、あれ?という部分その1は急降下爆撃部隊(VB)が7機しかいない事。
これは朝の索敵に10機持っていかれた結果ですが、
そうなると朝の索敵は偵察爆撃隊(VS)ではなく、急降下爆撃隊(VB)が出ていた、という事に。
そういうのもありなのか報告書の記述間違いなのかはっきりしませんが、
ここら辺りの運用は意外に柔軟だった可能性があります。
この出撃に戦闘機が8機しか出てない、という事は
9機が残った事になり、USSレキシントンの8機と合わせ17機、
すなわち艦隊の持つ全戦闘機の半分を艦隊上空護衛用に残したわけです。
日本側の空襲を警戒してるのが伺えますが、
この朝の攻撃では、五航戦の翔鶴、瑞鶴も攻撃部隊(制空隊)に出した
ゼロ戦は18機でしたから、この位が標準、という何か基準があったんでしょうか。
ついでに興味深いのはこっちの報告書にはTBDが搭載した
魚雷の走行深度設定が載っていて、潜航深度10フィート、3.05mだったそうな。
さらにUSSヨークタウンの攻撃隊の場合、
SBDは全て1000ポンド(約454s)爆弾1発装備で出撃してるようで、
必ずしも偵察爆撃部隊(VS)が小さな爆弾搭載、というわけでもないのですかね。
こうして30分以上の時間差を持って出撃した両空母の攻撃部隊は、
当初、USSヨークタウン索敵機の報告した地点に向かいました。
が、その後で大チョンボが判明し
(ただし前回書いたように、ホントは正しく発見していた疑惑在り)、
急遽、陸軍機の発見した艦隊へと目標が変更された、というのは既に書いた通り。
が、両者の位置は極めて近距離だったため、ほとんど問題は生じなかったようです。
といった辺りがアメリカ側の動きですね。
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