■現場はさらに大混乱
さて、MO機動部隊司令部がそんな迷走をしてる間、
その攻撃部隊は順調に南へと飛び続けておりました。
発艦から約1時間の9時10分ごろには現場海域に到着し、
(瑞鶴艦攻部隊の飛行機隊戦闘行動調書による)
その直後の9時12分には早くも給油艦と駆逐艦を発見してました。
(翔鶴飛行機隊戦闘行動調書による。
ただし帰還後にまとめられた調書ではこう書かれてるが、
彼らの打った電信を見ると、当初、これが空母艦隊だと
思い込んでいたのは間違いない)
このため、9時20分にはMO機動部隊司令部に“敵見ゆ”の報告が入り、
続いて“敵航空部隊(空母機動部隊の事)見ゆ”の報告が続きました。
ええ、攻撃部隊の皆さんも、自分たちが見たいものを、そこに見出し、
敵空母機動部隊を見た、と思い込んでしまってたわけです…。
ただし瑞鶴の艦爆(急降下爆撃)部隊だけは後で見るように敵艦隊の発見に失敗し、
それと行動を共にしていたらしい艦戦(ゼロ戦)部隊も同じ状況にありました。
とりあえず、この報告にMO機動部隊と五航戦の司令部は
大喜びしたと思われますが、
この後、なんと45分間にわたって、攻撃開始の報告はおろか、
何の電信も入らなくなってしまう事に(笑)。
これは攻撃部隊が自分たちが接触したのが給油艦だ、
と気が付いたためだと思われます。
司令部は何がどうなったのか、ひたすら待ったようですが、
結局、第一報から45分も経った(涙)、
10時15分に今さらですか、という感じに“敵空母の位置知らせ”という問い合わせが
MO機動部隊司令部に届き、これを愕然とさせます。
とりあえず先の索敵機の報告に基づき、瑞鶴より空母の位置が返電され、
給油艦の位置から330度、25海里の場所、と知らせました。
が、これを受けとった現地の攻撃隊は、とまどったはずです。
そんな近所なら、とっくに発見できてなければおかしいのですよ。
ついでに、機体どうしの電信による通信も可能であり、
なぜ索敵小隊の機体に直接問い合わせないのだ、というか、
そもそもこの段階で索敵機2機小隊はどこに居たんだ?という疑問も出てきます。
ここら辺りについては何ら資料がないので、謎としか言いようがないのですが、
まあ、もうメチャクチャですね、とりあえず(笑)。
そんな混乱の最中、10時46分(発信は10時35分)に
MO機動部隊に最後のトドメがやって来ます。
いよいよ燃料切れで現場から引きあげる事になった例の翔鶴索敵小隊から
“我の触接せしは輸送艦の誤り 我今より反途に就く”
という、今さらなんだそりゃ、という電信が入って来たのでした(涙)…。
大チョンボ確定です。
3時間近くも何やってたんだよ、という史上まれに見る
すっとぼけた連絡に、MO機動部隊が司令部がどういった反応をしたのか、
残念ながら記録に残っておりませぬ。
が、ここまで来ると怒るよりも笑うしかないかもしれません。
ただし、先にも書いたように翔鶴飛行機隊戦闘行動調書によると
索敵機は10時ごろには間違いに気が付いていた、とされます。
その時の電信が届かなかったのか、
あるいは自分の失敗が怖くなって引き上げるギリギリまで
事実を言い出せなかったのか、どうもよく判りませぬ。
とにかく、これによって貴重な時間が失われた結果、
ここから錯誤の連鎖が始まって、
この日の日没時、多くの日本海軍パイロットを
無意味と言っていい死に追いやる事になるのです。
この段階でMO機動部隊の作戦行動の大失敗が確定したわけで、
急ぎ、西に居るホンモノのアメリカ空母機動部隊、TF17を襲撃する必要があります。
このため10時53分に攻撃部隊に帰還命令が送られた、とされますが、
翔鶴、瑞鶴の航空部隊側の記録(行動調書)によると
実際に帰投命令が届いたのは、それからさらに20分以上経った11時15分ごろでした。
攻撃部隊の発進から、すでに3時間の時間が完全に無駄に過ぎてしまったわけです。
この時の状況を、瑞鶴の制空部隊(護衛部隊の事だよ)として飛んだゼロ戦エース、
岩本徹三さんが回想録に書いてるので、少し見て置きましょう。
岩本さんの戦記は細かい日付がかなり怪しいのですが(笑)、
それでも真珠湾、インド洋、そして珊瑚海、さらにソロモンの死闘と、
まさに常に歴史の現場に居た、ホンモノのエースパイロットの数少ない生き残りなので、
その記録は興味深いものがあります。
この時期はまだゼロ戦無敵神話が生きていた、というより開戦から半年近くたったこの珊瑚海海戦まで
実は日本軍はアメリカ海軍の主力戦闘機部隊と、一度もまともに戦ってなかったのでした(笑)。
例外は、例の開戦直後のウェーク島の4機のF-4Fだけなのです。
そりゃ負けなしだよな、という感じですね。その代わり勝ってもないわけですから(笑)。
よって、この翌日、5月8日に初めて両海軍の主力戦闘機同士が、
全力で衝突することになり、日本側もアメリカ側も、
相手の戦闘機の破壊力に驚くことになります。
岩本さんの記述によれば、到着時刻になっても敵が見えず、
雲が出てきて視界は悪化しつつあった、とあります。
その後の記述からして、彼らは艦爆部隊と行動を共にしてますから、
先にも書いたように、瑞鶴の戦闘機部隊と艦爆部隊は、
最初の接触に失敗したわけです。
この結果、瑞鶴の99式艦爆(急降下爆撃機部隊)は、
ひたすら現地で索敵を続ける事になります。
岩本さんの手記だと、結局、何も発見できず、
司令部からの帰還命令を受けて反転した後、
20分近く飛んでから、雲の切れ間に
USSネオショーとUSSシムスを発見したとされます。
が、これは現場で通信ができないゼロ戦では状況が掴めないため、
そういった様子に見えただけでしょう。
実際は既に給油艦隊を発見していた翔鶴の艦爆部隊が、
帰りがけの駄賃とばかりに爆撃するのに(どうせ爆弾を捨てないと着艦できないのだ)
瑞鶴の艦爆を呼び寄せたと考えたのだと思われます。
(先にも書いたように艦爆同士ならモールス信号の電信が通じた)
ただし魚雷を水面に投下するため、低空攻撃となって
被害の出やすい97艦攻(雷撃)部隊はこの攻撃に参加せず引き上げてます。
この97艦攻部隊も、最終的に着艦前に魚雷を捨ててると思うんですが、
翔鶴の艦攻部隊には魚雷投棄の命令が出ておらず、
全機魚雷を抱えたまま着艦した、という話もあります。
(森 史郎さん著 暁の珊瑚海より)
個人的には、ちょっと信じがたいのですが…
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