■実はいろいろあったのよ
さて、前回は5月7日の午前中の大混戦の内、
日本側の索敵の大失敗から、攻撃部隊の発進までを見ました。
で、その攻撃部隊が現地に到着し、混乱に一層拍車がかかるまでの
約2時間の間に、実は日米ともに結構いろいろな事が起こっておりました。
このあたりを少しだけ詳しく見て置きます。
まず、MO機動部隊の司令部での大混乱から。
攻撃部隊を発進させ終わった8時10分以降、
索敵機から敵の攻撃部隊発艦の報告が全く入って来なかったため、
(そりゃ給油艦から飛行機が飛び立つわけがないからね)
こりゃ奇襲成功だ、勝った勝ったよ、この作戦、
といったノリだったようですが、間もなく雲行きが怪しくなってきます。
とりあえず、またも7日午前中の攻撃開始位置地図で、
その位置関係を確認しておきます。
最初の兆しは、8時30分に受け取った電信でした。
この作戦の主役、ポートモレスビー攻略部隊の護衛をしていたMO主隊が
敵艦上機5機をデボイネからわずか45海里(約83q)北東の位置で
発見した、という報告です。
MO機動部隊から見て、これは600q近く北西の位置となります。
そもそも、さらに南に居るアメリカ艦隊からだとさらに遠いのです。
何度も書いてるように、通常の空母の攻撃距離の一つの目安が
240海里(約445q)ですから、これは遠すぎます。
(ちなみに空母艦隊決戦初心者イギリス海軍は
100海里/約185qを一つの目安としてた。
もっとも、連中の雷撃機は複葉羽布貼りのソードフィッシュなので、
そりゃまあそうか、という感じではある。
あの連中相手なら、日本海軍でも勝てたろうなあ…)
そんな距離を艦載機が飛んで行ゆく、なんて事は普通は考えられず、
何かがおかしい、これは誤報ではないか、
という考えがMO機動部隊の司令部に生じたと思われます。
が、その直後、8時40分に第二報が入ります。
今度は艦上戦闘機35機を見た、というのです。
(ただしこっちはホントに誤報だ。
この時間ではアメリカ機動部隊からは索敵機の10機しか飛び立ってない)
トドメとなったのが8時50分、衣笠機による敵機動部隊発見の報であり、
その位置はデボイネの152度(南南東)150海里(278q)の位置、というものでした。
言うまでもなく、彼らが攻撃に向かってる南の空母機動部隊(自称)とは
700q以上離れており、すなわち別の艦隊なのは明白です。
よほど人間の体の頂点にある機関が優れない人でない限り、
この段階でこの作戦は負けだと、気が付かないとなりませぬ(笑)。
この作戦における日本側の勝利条件は、ポートモレスビー攻略部隊を
無事にポートモレスビーに送り届ける、なのですから、
その必殺の間合いに敵空母が踏み込んだ段階で勝負ありました。
さらにMO機動部隊の全力と言っていい攻撃部隊が
全く別の部隊、南の空母機動部隊(本人談)の
攻撃に飛んで行ってしまった状態だったわけです。
ここでMO機動部隊の取れる選択肢は二つでしょう。
一つ目は、とにかく攻撃部隊を呼び戻し、
急ぎ西に向かい、ポートモレスビー上陸部隊を守るため、
新たに発見された敵機動部隊を撃つ、です。
実はこの段階では、まだ日本のMO機動部隊は発見されませんでしたし、
この優位を日本側はキチンと認識してました。
つまり、アメリカ空母機動部隊の位置は把握しているのに、
こちらの位置はまだ知られてません。
ここまで来ても、まだ最後のチャンスが日本側にはあったわけです。
衣笠機が報告してきた位置が正しいなら、MO機動部隊からの距離は350q前後、
既に完全に必殺の間合いに入ってますし、相手はまだこちらの存在に気が付いてない。
やるなら今です。
もう一つの選択肢は、すでに攻撃隊を発進させてしまったのだから、
先に南の空母機動部隊(自称)を撃破して、
その後、新たに発見された西の空母機動部隊2号を撃破しよう、というもの。
この段階で、MO機動部隊司令部は、
アメリカの空母機動部隊は2手に分かれてる、
と完全に誤った判断を下していたわけです。
(MO主隊も同じような判断をしたが、
これはMO機動部隊からの誤報が原因だから彼らのミスではない)
結局、MO機動部隊司令部の決断は、後者、今のまま作戦続行となります。
どちらとも勝負しなきゃなんだから、
南の敵を先に片づけてしまおう、と考えていたようです。
このあたり、どうせ今から西に向かっても間に合わん、
という判断もあったように見えますが、
要するに惰性で、現状を維持する、という決断です。
これは攻略部隊の連中が全滅しても俺たちの知ったことか、
という判断でもあり、この人たちはこの作戦の目的を
果たしてキチンと理解していたのだろうか、と考えてしまう所です。
ちなみにこの決断は意外に早く、衣笠機からの入電を見た直後と言っていい
午前9時(日本時間7時)付で、MO作戦全体の責任者、
南洋部隊(第四艦隊)司令長官(つまり井上成美さんだ)宛に
我々は南に居る敵を全力で攻撃中である、という報告を打電してます。
…これは大ウソですね(笑)。
この時間では攻撃隊は敵に向かってる最中で、
攻撃どころか、まだ接触すらしてません。
攻撃中、という既成事実を造ってしまえ、作戦変更なんて面倒だ、
という臭いがプンプンします。
最悪、最低の決断でしょう。やる気がない、とすら言えます。
ただし、その後なんらMO機動部部隊からの報告がないのに焦った
南洋部隊(第四艦隊)司令部(旗艦 鹿島でラバウルに居た)から
10時になって、MO作戦中の全部隊に対して以下の命令の電信が飛びます。
“各隊はデボイネの145度、165海里にある敵を攻撃せよ”
つまり、古鷹、衣笠発見した艦隊が敵本隊だ、これを叩け、という命令です。
(ただしMO機動部隊の詳報では機動部隊司令部に届いたのは10時45分とする。
光速で飛ぶ無電が暗号解読を含めても45分かかるとは思えない。
実際、攻撃隊からの無電は最大でも15分前後の時間差で司令部に届けられた。
そして、これは翔鶴索敵機がゴメン、間違い、と連絡してきた時間、
すなわちMO機動部隊が目標を変更可能になった時間と一致する。
出来すぎだろう(笑)。この時間もたぶん、ウソだ。真に最低な連中である)
命令のあて名は作戦中の全部隊ですが
事実上は、何の手も打って来ないMO機動部隊に宛てたものでしょう。
さすがの井上成美司令長官も忍耐の限界に来て
暗に攻撃先の変更を求めたのだと思われます。
ポートモレスビー攻略部隊が進撃を阻まれたら、
その段階で、この作戦は戦略的に敗北なのですから。
この時、五航戦、あるいはその上のMO機動部隊から
どういった返事が司令本部になされたのか記録が見つからなかったのですが、
おそらく、実際には10時20分ごろまでにこれを受け取り、
しばらく無視してたのではないかと思われます。
ある意味、すごい軍隊だなあ、と言う他ありませぬ。
事実上の命令無視です。
この点に関しては、井上さんが気の毒、と言っていいでしょう。
井上さんの場合、本人が実戦指揮官向きでない、という面があったにしろ、
周囲の連中も底抜けにスカタン、
という気の毒な面があった気がしますね、どうも…。
参考までに、8時50分に衣笠の敵空母機動部隊発見の報を受けた段階で、
彼らがすぐさま、MO作戦の真の目的を思い出し、
全飛行隊を呼び戻していたら、どうなっていたかを検討してみます。
(日本軍の無電はお粗末だったが、
艦攻なら電信(モールス信号)で母艦と通信できた。
この点は艦爆も同じ。無線が使いものにならない
艦戦(ゼロ戦)だけはどうしようもないが、
侵攻中は艦爆か艦攻に誘導されてるから、
連中が帰れば、これも一緒に帰ってくることになる)
まず、8時50分の入電の段階で、発進から40分以上経ってるので、
戻って来て着艦するまで最低でも、さらに1時間かかります。
とりあえず、余裕を見て着艦終了が10時過ぎ、としましょう。
ただし、困った事にこの時間でもまだ東風でした。
着艦中そちらに航行し続ける必要があるため、
さらに50q以上は東に進んでしまう事になるはずです。
が、それでもまだまだ、空母決戦における必殺の間合の中ですし、
どっちにしろ、給油、兵装の再装備で発艦まで
1時間半以上はかかるため、問題にはなりませぬ。
その間に西に向かえば、十分距離は取り戻せます。
(危険なので普通は爆弾、魚雷は捨ててから着艦する。よって再装備となる)
とりあえず、収容後、2時間で再装備を終えて発艦完了とするなら、12時。
(艦爆、艦攻を2波攻撃で別々に送り出すならこの位でなんとかなるはず。
少なくともツラギ空襲の時、アメリカ側はやってるんだから日本だってできるだろう)
ここから目標のTF17までは1時間ちょっとの距離ですから、
目標到達はおそらく1時過ぎ。
これは祥鳳を沈めたTF17の攻撃部隊がまさに帰還を開始するタイミングで、
その後、1時間近くにわたってTF17は大混雑であり、
その最中に奇襲攻撃が成立することになります。
(レーダーで捉えられるだろうが、攻撃部隊収容中では打つ手がないのだ)
となると、結局、祥鳳は救えなかったでしょうが、この段階で、
一方的に敵を叩けた可能性は高いと思われます。
何度も書きますが、日本側のMO機動部隊はまだ見つかってません。
反撃の恐れは全くないのです。
なので日本側は、この最後のチャンスも自らの意思で放棄した事になります。
南側の艦隊を空母機動部隊と勘違いしていた、という面もありますが、
彼らの目的がポートモレスビー攻略部隊の護衛だ、
という戦争の基本中の基本を忘れなければ取れた行動です。
MO機動部隊は、それを放棄して、惰性で動きました。
この点、あらゆる非難を向けてよいでしょう。
勝利の女神は、積極的に攻撃する人間に対してのみ、
常にチャンスを与えてくれるのだ、というのが、なんとなく見えますね。
逆に言えば積極的に事態を打開しよう、という考えが無い場合、
決してチャンスはつかめないようにできてるのだ、
と珊瑚海海戦の日本海軍を調べると思い知らされます…。
後でも検討しますが、この海戦を通じて、アメリカにほとんど
勝利のチャンスは無かったのです。
それを戦略的勝利、戦術的引き分けに持ち込んでしまったのは、
ひとえにフレッチャーの“やる気”と、常に全力投入を求めた
太平洋方面の海軍責任者、ニミッツの指導力だったと考えざるを得ませぬ。
そしてこの構図は、ミッドウェイ海戦でも繰り返される事になります。
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