■第八章 F-16への道


■デジタル フライバイワイアの登場

すでに見たように、ヨーロッパとアメリカでそれぞれ独自に開発されていたフライバイワイア技術ですが、その後、デジタルコンピュータによるデジタル フライバイワイアが導入される事でさらなる劇的な進化を遂げます。そして単なる操縦補助装置ではなく、より高度な操縦を可能にする装置、という発想でこれらを進化させたのはアメリカでした。

アナログコンピュータとは違い、高度なプログラムの組み込みが可能で、しかも後からの修正、追加ができるデジタル フライバイワイアは、従来とは全く異なる航空機の操縦を可能にしました。例えば、ベテランのエースパイロットにしかできなかったような操作をメモリに入力しておき再現飛行をする事ができるので、単に墜落を避ける安全な飛行だけではなく、より高度な飛行が誰にでもできるようになる時代を迎える事になります。

さらにより積極的に操縦を制御し、パイロットの負担を減らす事も可能になりました。例えばペダルと操縦桿を中立に置き、一切力を掛けないとします。操縦者はそうする事で単純に真っすぐ飛ぼうとしているのですが、実際には横風などによってそうは飛べない事が多く、常に機体が真っすぐ飛ぶように飛行中は動翼のタブなどを操作しなければなりません。
が、デジタル フライバイワイアなら操縦桿からもペダルからも入力が無い場合、パイロットは真っすぐ飛ぼうとしてるのだ、とコンピュータが判断し、自動的に舵面を操作して機体を真っすぐ飛ばしてしまう事が可能です。難しいことを考えずに、単純な操作で理想的な飛行が可能になる、という事です。

この方法を押し進めると、従来、ベテランパイロットにしかできなかったような高度な飛行が誰でもできるようになり、さらに本来なら危なくて飛ばせないような機体でも、コンピュータ制御により安全に飛ばせるようになってしまいます。これが柔軟にプログラムを組めるデジタル フライ バイ ワイアの最大のメリットです。



1981年6月に初飛行したステルス機F-117。多くの技術者がこんな形状の機体はまともに飛ばないと言ったそうですが、機体の開発責任者でスカンク ワークス二代目ボスのベン・リッチは実用化のメドが立ったデジタル フライ バイ ワイアを採用、これを飛行可能にしてしまうのです。

当然、飛行中はやっちゃいけない事だらけなのですが、パイロットがそういった操縦をするとコンピュータが拒否、安定状態を維持するようにしています。ちなみにリッチはデジタル フライ バイ ワイアの熱烈な支持者で、この技術さえあれば自由の女神に曲芸飛行をさせてみせる、と豪語していたそうな。
ただし現実にはF-117は結構落ちてる殺人機なのですけどね(少なくとも5機の事故損失と2件以上の死亡事故がある。64機しか造られてないから平時の事故損失だけで全機の内8%が失われた事になり、まあ軽く狂ってるだろう。殺人機メーカー、スカンクワークスらしい仕事とも言える)。

こういったデジタル フライバイワイア技術は後に民間機やスペースシャトルにまで採用され、空の安全性の向上にも一役買って行く事になるわけです。



ちなみにYF-16のライバル、YF-17は従来通りの直結型操縦装置で、フライバイワイアなんて搭載してませんでしたが、後に海軍用に改修されたF/A-18ではこれを搭載しました。しかもF-16より後からの開発となったため、最初からデジタル フライバイワイア式を採用、これによりホーネットは世界初のデジタルフライバイワイア機となります。

■NASAのなさった事 II

そんなアメリカにおけるデジタル フライバイワイア技術の発展にはやはりNASAが絡んでました。ただし、当初は航空機用ではなく、極めて正確な操縦が要求される宇宙船用でした。すでにマーキュリー計画で一部にアナログ フライバイワイア装置が使われ、後にアポロ計画でデジタルフライバイワイアにまで進化する事になります。ここではその辺りも見て置きましょう。

ちなみに知る人ぞ知る1957年から開発の始まった宇宙飛行船、ボーイングX-20でもNASAはアナログ フライバイワイアを採用してるのですが、これはほとんど滑空試験だけで終わってしまったのでここでは取り上げないでおきます。


■Photo NASA

NASAが月着陸船の技術研究用に開発した垂直離着陸する機体、月着陸研究機LLRV(Lunar Landing Research Vehicle)、通称 “Flying Bedstead(飛行するベッドの骨組み)”。ちなみに制作はベル社です。

1964年に開発されたもので、この不安定な垂直離着陸機を安全に飛ばすため、アナログコンピュータによるフライバイワイアが組み込まれていました。後に月着陸船に積まれたデジタルフライバイワイア装置を組み込んだ、飛行士の訓練用の機体、月着陸訓練機LLTV(Lunar Landing Training Vehicles)も造られています。

ただしベル社の制作なので当然、殺人機で(笑)2機のLLRVの内1機が、3機のTTTVの内2機が墜落で失われています(すなわち事故損失率71.4%。5機以上が制作された機体としは世界記録の可能性あり)。もっとも射出式脱出装置が積まれていたので、パイロットは全員、無事に済んでますが。

ちなみにLLRVの方の墜落に巻き込まれたのは人類月着陸第1号、ニール・アームストロングでした。月着陸約1年前の1968年5月に墜落事故に巻き込まれ、かろうじて脱出に成功しています。危ない所だったわけですが、それでもこの機体による操縦経験、垂直離着陸体験を持っていた事が、後に彼による人類初の月着陸を救う事になります。


■Photo NASA

その時の写真が残ってます。
地上から30m以下の高度で脱出したとされ、ご覧のようにギリギリの高度でパラシュートが開いて助かったのでした。

ちょっと余談。
アームストロングはジェミニ8号でで初めて宇宙に出るのですが、後にジェミニ11号でも予備パイロットとして登録されていました。こういった予備パイロットはその飛行に必要な知識を全て持っているため、打ち上げ後には地上で飛行中のパイロットとの無線交信を担当、これを全面的にバックアップします。こういった任務を行うパイロットのことを宇宙船連絡員、Capsule communicator 、すなわちCAPCOM、カプコンと呼びます。ゲームメーカのカプコンの由来は別の意味、カプセルコンピュータだとされてますが、アメリカ人の中にはこっちの意味だと思ってる人がいて、私も昔は宇宙との通信員の意味だと思ってました。

さらに余談ですが、アームストロングはジェミニ8号で宇宙遊泳も成功してます。こういった宇宙での船外遊泳はExtravehicular activity 、略してEVAと呼ばれ、宇宙船との命綱は「へその緒」、Umbilical cable と呼ばれます。すなわち宇宙遊泳はアンビリカル ケーブルで繋がれたエヴァなのです(ただし宇宙遊泳はアルファベット読みでイー ヴィー エーとなるが)。以上、余談おわり。  



アポロ計画では全面的にフライバイワイア装置が採用されており、しかもプログラム可能なデジタルフライバイワイアでした。
写真の月着陸船にも独自のデジタル フライバイワイア装置が搭載されており、基本的に司令船から切り離された後はほぼ自動で月面に向けて降下、着陸する事になってました。

ところがアポロ11号の人類初月着陸で思わぬ事故が発生します。
着陸船が切り離され、月面に向けて降下中、突然、エラーが発生しコンピュータが停止してしまうのです。しかも表示されたエラーコード1202は地上訓練では一度も表示された事が無いもので、地上管制室でも一体何が起きてるのか判断がつかないまま、アームストロング船長が手動操縦に切り替えて無事に着陸させ、事なきを得ます。この辺り、X-15からハンググライダーの開発、そして上で見たLLRVまで、あらゆる機体の経験を持つアームストロングすげえ、というべきところで、一歩間違えれば月着陸は失敗、最悪乗員二人も帰還不能になりかけていたのです。

ちなみにこの事故はコンピュータのメモリーへ過剰なデータが流れ込んで処理が出来なくなってしまった結果だ、と後に判明するのですが、そのデーター流入の原因は長らく不明とされていました。その後、人類月着陸から40年近く経った2007年に制作されたドキュメンタリー映画、「IN THE SHADOW OF THE MOON」の中で、11号の正パイロットだったもう一人の乗員、オルドリン(Buzz Aldrin)が犯人は自分だ、と告白しています。

彼によると本来着陸時は着陸用レーダーから月面の地形データだけを読み込むのですが、司令船を捕らえるドッキング用の上空レーダーも同時に作動させてしまったのだとか。これは万が一、着陸中止になった場合、素早く司令船とドッキングして帰還するための用心だったようですが、マニュアルには無い処置で、彼の独断によるものでした。
この結果、当時の貧弱なメモリ容量しかないコンピュータに想定の倍近いデーターが流れ込み、処理不能となって先のエラーが発生、コンピュータの停止を生じたのだそうな。すなわちあと一歩で月着陸は失敗に終わっていた可能性もあったわけです。あれだけ訓練に訓練を重ねた、エリート中のエリートパイロットが、土壇場でこんな無茶をする、というのは安全管理の側面から参考にするべき部分が多いような気がします。

ただしこの辺り、長らく原因は謎とされていましたが、NASAの内部ではおそらくオルドリンが犯人と判っていたフシがあります。その後、これだけ致命的なトラブルなのに12号以下の機体もスケジュール通りに飛んでおり、おそらく人為的なミスで機械的な欠陥では無いと、知っていたと思われるからです。パイロット同士ではお互いにかばい合う、という文化がNASAの宇宙飛行士にもあるので、罪を問わない代わりに正直に告白させていた可能性は高いと思われます。

■アームストロングのなさった事

さて、その人類月着陸一号、アームストロングは1969年7月の月面着陸成功後、宇宙飛行士からの引退を表明します。その後、NASAの先進技術研究所(Office of Advanced Research and Technology)の副長官補佐( Deputy Associate Administrator )というほとんど名誉職に近い役職に就任するのですが、間もなく1971年には退役してしまいます。

が、このわずかな就任期間中に、彼は研究所に対しフライバイワイア装置の研究、特に彼がアポロ計画においていろんな意味で世話になったデジタル フライバイワイア装置の研究を進言するのです。こうして彼の全面的なバックアップを受け、NASAはデジタルフライバイワイアの研究に入るのですが、そこで使われたのが海軍の戦闘機F-8C、いわゆるNASA802号でした。ちなみに、この機体も海軍出身のアームストロングが口をきいて海軍からNASAが譲り受けたものらしいです。


■Photo NASA

一見するとただのF-8に見えますが、中身は完全に造りかえられデジタルフライバイワイア機となっていたNASA 802号機。改造に時間がかかったため、初飛行はすでにアームストロングがNASAを去った1972年5月となりましたが、以後、13年近くに渡ってNASAの研究機として活躍する事になります。ちなみにF-16がアナログとはいえフライバイワイアを採用したのは、開発責任者のヒルカーがこの機体の存在を知っていたからで、彼は当初、デジタル フライバイワイアの搭載を考えたのですが、まだ技術的に時期尚早と判断して、YF-16ではアナログ式を選択しました。

ちなみにF-16に採用されるサイドスティック式の操縦桿、パイロットの手元の小さなスティック型の操縦桿の運用試験も後にNASAがこの機体で行ったようです(あれはフライバイワイアでないと動かせないので試験できる機体が他に無かった)。

 

この機体、最初はこれまたアームストロングが手配したらしいアポロ宇宙船のフライバイワイア装置がそのまま搭載されるという豪快な設計になってました。上のコクピット後部にあるのが装置の本体、下の元ガンベイに積み込まれてるのが情報入力などの補助装置です。当然、後には汎用のCPUを使ったより高度なコンピュータに置き換えられる事になります。



アポロ計画用フライバイワイア装置の入力、表示装置部。上の写真でも下のガンベイの真ん中にこれが見えており、なるほどアポロのコンピュータをそのまま積んでいたのね、と判ります。

こうして戦闘機の操縦を根本から変えてしまったこのフライ・バイ・ワイアは機体性能における最重要項目の一つとなり、以後はそのプログラムの製作が機体開発の最重要課題になって行きます。
ある意味、機体設計以上に、ノウハウの蓄積、設計経験の有無が問われる部分であり、F-2の開発に当たりF-16のフライ・バイ・ワイアプログラムの提供が拒否されたのは、当たり前と言えば当たり前の話だったわけです(ただしこれにはそれ以前にイスラエルがF-16のフライバイワイアプログラムが中国に流出する原因を造ってしまったらしく、日本はその迷惑をこうむった、という面があったようだ)。


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