というわけで、正式に予算がついた1971年末からF-16に繋がる軽量戦闘機計画が本格的に動き出したのですが、この軽量化戦闘機世代、F-16世代から従来の戦闘機には無かった全く新しい技術が数多く投入され、以後の戦闘機の性能向上に大きく貢献します。 その一つがLERXです。ノースロップ社の小型戦闘機、F-5において偶然発見された主翼の高揚力装備で、これにより強い迎え角が苦手だったデルタ翼でも失速を防げるようになり、離着陸はもちろん、空中戦の旋回時もその限界性能が大きく拡張されます。 以後のF-16、そしてF/A-18、さらにはソ連のミグ 29やSu-27も、皆この革新的な技術の恩恵を受けて優秀な機動性を持つ戦闘機となったので、少し詳しく見て置きましょう。 ■LERXの登場 軽量戦闘機の計画に最初から参加していたノースロップ社が戦闘機業界に持ち込んだ革新的な技術がLERXです。 Leading-edge root extension(翼前縁根元延長)の略でLERX、その名の通り、デルタ翼の主翼付け根前部に付いてる延長部となります。とりあえず世界で最初にこれを装備した(偶然なのだけども)F-5Aの写真で確認して置きましょう。 この小さな出っ張りの部分がLERXです。 主翼の付け根部分が少し前に引き延ばされてるのが判ると思います。これは本来、空力的な理由で付けられたものでは無く、前縁スラットを動かすモーターや、アンテナの取り付け場所が確保できず、やむを得ずこの部分を広げて取り付けたものだった、とされています。 ちなみにF-5Aの原型となったN-156FはP-51の生みの親、シュムードが設計部門の責任者だった時に設計がなされ、この段階ですでにこの張り出しはありました。でもってシュムードはP-51がD型になる時、これと似たような主翼前縁部の延長をやってるのです(あっちは恐らく主翼の固定強度確保のためだが)。彼はこの機体の設計に直接は参加してませんが、LERXの誕生になんらかの影響を与えてるのではないか、と個人的には思っております。 F-5は非力なエンジンで高速飛行の必要があったので主翼は小さい機体でしたから離着陸時、旋回時など、強い迎え角を取る時には揚力不足からかなりの性能低下が予想されていました。ところが、完成後に飛ばしてみると計算上の限界速度でも失速せず、旋回を伴う運動性能も計算による予測値より優秀だったのです。 驚いたノースロップ社が研究した結果、このLERX部分が原因だと判明します。これが高い迎角を取った時、主翼に揚力を発生させる働きをしていたのでした。ちなみに、これをストレーキ(strake)と呼ぶこともありますが胴体周辺に付けられた単なる板状の構造と区別がつきません。なので、ここでは正確を期す意味でLERXと表記します(ただしLEX/Leading edge EXtensions 前縁延長部と記される事もあり)。 航空機は離着陸時、そして旋回時に強い揚力を維持するため高迎角の姿勢を取ります。機首を進行方向より上に向けた状態です。この時、翼も斜め上を向くことになり、これは機体周囲の気流の向き(進行方向)と主翼の向きがズレることを意味します。こうなると直線翼より縦長のデルタ翼では気流を大きく遮ってしまうので、上面の後端部までキチンと気流が流れなくなります。すなわち翼面上で気流が剥離する事になり、当然、揚力が生じなくなって後は失速しするしかありません。 なのでデルタ翼は本来、高迎角を取る離着陸時や旋回運動時に失速しやすいという危険でやっかいな特性を持つのです。 ただし同じデルタ翼でも以下の左図のように極端に縦長で、その結果、前縁部が強い後退角を取ったものは、その欠点が生じない事が知られてました(無尾翼デルタ機の主翼など)。これは迎え角を取ると前縁部のフチ沿いに上向きの強い渦が発生するからで、渦が出来るとそこに空気を吸い寄せる低圧部が出来、それによって周囲の気流が引っ張られ、気流の剥離を防ぎます。そもそも渦そのものが低圧部ですから、これも揚力を産むわけです(主翼を吸い上げる)。そして、この渦が気流によって後ろに流れて行くとすると、主翼上面全体に同様の効果が生じます。図にするとこんな感じです。 よって縦長の、強い後退角を持つデルタ翼なら低速時、旋回時に十分な揚力を確保することが可能となります。 ただしこれだけ縦長だと(横幅が狭いと)発生する揚力はかなり小さく、よほど高速でないと普通は飛べません。さらに発生した渦は機体を後方に引っ張る強い抵抗力になるため(揚力が生じると必ず抵抗力が生じる)、よほど強力なエンジンで無いと離陸すらままならなくなります。すなわち実用的とは言い難いものでした。 ところが、ここにLERX(翼前縁根元延長)というデルタ翼の救世主が全く偶然ながら発見される事になります。上の写真でF-5のデルタ翼を見ると、後退角が強いデルタ、弱いデルタ、両者を合体させた以下のような形状になってるのが判るでしょう。 すなわちこの図のように後退角の強いデルタ翼を普通のデルタ翼の前にくっつけた2段デルタ翼になります。前方に置かれた後退角の強い部分がLERXです。 ここで後退角の強い主翼前部では渦が生じ揚力を稼ぎます。そして渦は後部に流れて行きますから、主翼後部でも揚力が生じます。それでいて、主翼全体に比べればわずかな面積ですから、その抵抗力の増加は限られます。 しかも渦が生じるのは強い迎え角を取った時だけですから、普通の水平飛行時にはほとんど抵抗増加を生じません。これがLERXが大きな迎え角を取った時にだけ大きな揚力を得られるようになった秘密でした(ただし当然、高い迎え角を取った時の抵抗値は大きくなる)。 あきれるほど簡単な原理ですがF-5が偶然、その形状を採用するまで誰もこれに気が付かなかったのです。そして、その効果は絶大でした。 ちなみに発生する渦の中は低圧部ですから、気圧の低下で水蒸気雲(厳密には細かい水滴で水蒸気では無いが)が生じやすくなります(圧力低下による気温の低下が原因だと思うので、相当強力な低圧が産まれてる事になる)。 ■Photo : U.S. Air Force photo/Senior Airman Patrick P. Evenson こんな感じですね。LERXから生じてる水蒸気の後端部を見ると渦になってるのが見て取れると思います。 離着陸時だけでなく旋回時も高迎え角(進行方向と機首の向きが異なる)状態になるので、このようにLERXから強烈な渦が出ます。これが主翼の後部を通って機体後方に流れてるのも見て置いてください。これによって主翼上面の気流がキチンと後ろまで引っ張られて流れ、さらに渦そのものも一定の揚力(吸い上げる力)になってるはずです。 ついでにこの渦が尾翼部まで続いてるのにも注目。これによって胴体後部まで気流が途切れず、高い迎え角を取ると垂直尾翼の方向舵の効きが悪くなる(上向きの胴体が尾翼への気流を遮る)現象を防ぐ効果も生じてます。ちなみに垂直尾翼が1枚のF-16では渦がキレイに左右に回り込んでますが、これが2枚のF/A-18だと渦が尾翼を直撃、振動などの問題を引き起こし、これの解決に予想以上の時間がかかってしまいました。 ただし後ろに流れる低圧の渦は機体を後方に強烈に吸い寄せるので強い抵抗力にもなります。旋回時にはただでさえ推力を食うので、強烈な旋回をやる場合、写真のようにアフターバーナーの点火(排気口から火が見えてる)が必須となります。当然、燃料消費はすさまじいものとなって行きますから、使いどころを選ばないと燃料切れになります。この点、軽量な機体ならかかる力(機体質量×旋回時の加速度)は小さく、すなわち必要なエンジン推力も小さくなるので、燃料切れを気にせず、より長く強烈な旋回を重ねる事ができます。軽いってのは本当に重要なんですよ。 ちなみにこの強い後退角のデルタ翼前縁部の渦を発見したのはあのエリアルール2号の産みの親、NACAのジョーンズ(Robert T.Jones)で、1946年ごろに最初のレポートを出してます。エリアルールのとこでも少し触れましたが、ジョーンズさん、すごい人なんです(ただしドイツのデルタ野郎、リピッシュも独自にこの効果に気が付いていた。ちなみに彼の主張するデルタ翼は離着陸時に失速しない、というのはこの高後退角の、無尾翼デルタを調べた時の話なので要注意。尾翼付きの緩やかなデルタ翼の失速なんて彼は考えた事も無かったと思う)。 ノースロップ社はこの技術をF-5A型の発展改良型であるE型、さらにはN-156(F-5の原型)に続き自社開発していた次の軽量戦闘機、P-530 通称コブラにも採用します。そしてコブラの発展型となったのが軽量戦闘機計画のYF-17でしたから、当然、これにも取り入れる事にもなるわけです。 さらにこのLERXは後の世代の戦闘機に次々と採用されて行きます。どうもノースロップ、これの特許取って無かった可能性があります…。
ちなみにノースロップはYF-17でLERX部を高迎え角時の空気取り入れ対策に利用する、というよくまあそんな事を思いついたな、という設計をやってます。F-14やF-15では斜めに切り取った空気取り入れ口で対処していたこれです。 F-16の場合は機首部を空気取り入れ口の上に被せることで対策としています。これで気流の流れを曲げ、さらに機首部の衝撃波背後の高温、高圧の空気を取り込みます。これはF-8をルーツとする設計なんですが、よくできた工夫でしょう。ちなみにF-86Dなども似たような設計ですが、あれは高迎え角で空中戦なんてやりませんし、そもそも音速機でもないので、ほとんどメリットは無かったと思います。 |