この度、読者の方から問い合わせをいただいた件で、それは以前にF-22への道で説明したはず…と思ったら、実はやってなかった事に気が付いたので、改めて番外編としてちょっと記事にすることにしました。 大型ジェット戦闘機では、空気取り入れ用ダクトが長くなってしまうため特殊な対策が必要となる、というお話なんですが、この点を説明するには、まず機体表面に生じる乱流境界層の理解が必要なので、そこから少し見て置きましょう。 ■境界層の乱流化と空気取り入れ口 飛行中の機体表面には境界層という低速の流れの層が必ず生れます。これが一定の距離を移動すると乱流境界層と呼ばれる状態に遷移し、機体表面に10ckm前後の幅で乱流の層を生み出します。これを空気取り入れ口からダクト内部に取り込んでしまうと、盛大な振動を引き起こし、場合によってはダクト周辺を破壊してしまうのです。まずはこの点を少し説明しましょう。 この図では物体の表面(壁)を流れる流体を横から見てる状態と思ってください。 流れの一番底には壁に貼りついた静止層があり、その粘性抵抗によって、気流の速度が落ちて発生するのが境界層と呼ばれる部分です。 境界層内部では下側に向かうにつれて静止層に引きずられて流速は低化し、逆に最上部に向かうと通常流れの高速な気流に引きずられ、徐々に速度が速くなってゆきます。この状態の流れを「層流」と呼びます。上から下に速度ごとに別れた層を成すからです。 こういった層流境界層の流速は通常より落ちるため、時間当たりの流量は減ります。よって空気取り入れ口を設ける場合、境界層部分を避けた方が無難でしょう。ただし、なんの対策がなくても致命的な欠陥にはなりません。ちょっと性能が落ちるだけです。 問題は層流は粘性抵抗に引きずられて減速している以上、最終的に運動エネルギーを失ってどこかで必ず流れは停まる、という点です。そうなると速度層ごとの流れを維持できずに乱流化します。どの程度まで層流が維持できるかは接触面の滑らかさ(摩擦)、圧力勾配、さらにはレイノルズ数や流体の速度などが複雑に絡んでくるのですが、とりあえず航空機の場合、一定の距離以上、機体表面を流れた境界層は層流を維持できずに乱流境界層になる、と思ってください(表面が滑らかなら乱流境界層に遷移しにくい、というのに注意。これは乱流化を避け、抵抗値を低くする層流翼の必要条件でもある)。 一定距離の機体表面を流れた気流、そして高速化した気流で乱流境界層は発生します。逆に言えば、機首部や主翼前縁部など気流が短距離で到達できる場所、そして低速な機体ならそれほど問題にはなりません。 この乱流化した境界層は、機体の外側に出っ張った部分にぶつかると振動問題を引き起こします。アンテナくらいならそれほど深刻な問題にはなりませんが、空気取り入れ口などでは、中に入り込んだ乱流境界層が激しい振動を発生させ、最悪破壊に至るため、その対策は必須です。このため、 ●機首部、主翼中心部より前以外では乱流境界層を避けれる位置、機体から少し浮いた場所に空気取り入れ口の開口部を設置する必要がある という事になります。通常、乱流化した境界層は層流の境界層より厚みを増すので、一般論として機体表面から10p以上の隙間が必要と思ってください。 そしてこの乱流境界層の流れがしばらく続くと、最後は機体表面から剥離し、上の通常流れ、主流を巻き込んで完全な乱流となってしまうのです。こうなると盛大な機体への抵抗力になるため、これを避けるために研究されたのが第二次大戦期の技術的な迷走、層流翼でした(層流翼そのものは可能なのだが、当時の技術での製造、運用は無理だった)。ただしこの記事では機体の抵抗値の増加は問題としませんので、これは無視します。今回はあくまで振動問題を取り上げるのです。 この辺りの問題を最初に徹底的に解決したのが第二次大戦期の傑作機、P-51ムスタングのB型以降に搭載された冷却空気取り入れ口でした(中にはラジエターとオイルクーラー、さらに過給器の中間冷却器(インタークーラー)が入ってる)。 この点、イギリスのハリケーンなんかもそれ以前から開口部を浮き上がらせてますが、構造からして先に述べた単に境界層を避け速い気流の主流を取り入れを狙っただけのもので、おそらく乱流化対策までは手が回ってません(そもそも真ん前にエンジン用の吸気口が飛び出てる)。まあ、どっちにしろ、そこまで速度も出なかったんですが…。 第二次大戦期の機体、P-51ムスタングのB型以降で使用された冷却用空気取り入れ口(それ以前のアリソンエンジン ムスタング&アパッチは全く構造が異なるので注意)。 最高速で700km/hを超える機体の胴体後部に設置されたため、機体表面を延々と流れて来た境界層は完全に乱流境界層に遷移してますから、その対策は必須となります。 より高速となったB型以降のマーリンエンジン搭載ムスタングの場合、それに加えて境界層の一部が剥離して乱流化していたことが後の風洞実験で確かめられています。このため空気取り入れ口を機体表面から以前より大きく浮き上がらせ、さらに開口部の厚みを薄くして剥離して機体下方を流れる乱流を避け、最後は少しでも気流のキレイな位置に置くため、開口部を大きく前方に突き出す、などの工夫がなされています(B型以前のアリソンエンジン搭載ムスタングの場合、冷却系の装置がここまで大きく無く速度も劣ったため、そこまで問題化しなかった)。 ただし近代戦闘機では、機体表面の滑らかさ等が大きく向上してるので、空気取り入れ口までの段階で境界層の剥離と完全な乱流化が起きる事はまず無く、通常は乱流境界層対策、すなわち最大10p程度の厚みを持って流れる境界層の中の乱流対策だけが問題となって来ます。 とりあえずムスタングとほぼ同じ構造になっているのがF-16のエンジン用空気取り入れ口で、これも機体表面を流れて来る乱流境界層を避けるために空気取り入れ口を胴体から浮き上がらせて設置しています。この辺り、流体力学的にはより洗練された形状になっていますが、基本的な構造はムスタングの冷却用空気取り入れ口と同じと考えていいでしょう。 ■境界層と層流と乱流と君と僕と銀河の明日と ムスタングの場合、重量物である冷却系は運動性能に悪影響を与えない重心点近くに配置されました。これはほぼ機体ど真ん中、先端から4.5m前後の場所なのですが、ここでは境界層は完全に乱流に遷移し、それどころか境界層の剥離まで発生していた、という事になります。 となると空気取り入れ口からエンジンに繋がるダクトに4メートル以上の長さがあったらどうなるか。当然、ダクト内で境界層が乱流化する可能性があるわけです。 高速気流の乱流境界層は強力で、これが高速回転するジェットエンジンの吸気ファンにぶつかった場合、ファンブレードが破壊される(それを吸い込んだエンジンも当然破壊される)可能性があります。そこまで行かなくても盛大な振動になり、機体とエンジンの故障に繋がりかねません。 ところが戦後のジェット機は大型化が進んだ結果、空気取り入れ口からエンジンの吸気ファンを繋ぐダクトが数メートルもの長さになってしまいました。すなわちダクト内で境界層の乱流への遷移が発生しうる状況に置かれているのです。 F-16の空気取り入れ口の位置が前輪が取り付けられる限界ギリギリの、可能な限り後方に置かれている理由の一つが多分、これです。 上の矢印の位置にエンジンの吸気ファンがあるのですが、空気取り入れ口からの距離は約4.5m。ムスタングの時代の常識だとすでに盛大な乱流化が始まる長さですから、F-16ではダクト内部の表面を滑らかに仕上げ、層流を維持できるようにする対策がなされています。後でF-35の所でも触れますが、おそらく現代でもこの辺りの長さが境界層を乱流化させない限界なようです。 F-16の空気取り入れ口写真を持ってないので、ほぼ同じ構造の航空自衛隊のF-2で。 御覧のようにダクト内部を角の無い丸みを帯びた構造とし、継ぎ目もほとんどない滑らかな表面です。これによって気流の粘性抵抗を落とし、層流を維持して境界層が乱流化しない工夫がされています(同じ目的の層流翼と同じ対策をやっているわけである)。 一般にジェット戦闘機の空気取り入れ口の中が滑らか仕上げになっている理由が、この乱流化防止なのです。 当然、層流が維持されていても最低限の境界層が発生してしまい時間当たりの吸入量は落ちます。 が、マッハ0.5辺りを超えてくればその厚さはせいぜい数p程度であり、さらにここから先はエンジンの強烈な吸気ファン(コンプレッサー)で強引に吸引してしまうので、その影響はほとんど無視できるようです。 ちなみにF-16も縦幅を潰した開口部になってますが、これは下方を流れる乱流避けの対策ではなく、超音速飛行時に衝撃波壁の背後にキレイに収まる構造にしたためだと思います(機首部で生じる衝撃波の壁の背後に入って超音速気流を避ける&衝撃波背後の高温、高圧部の圧縮空気を美味しくいただく)。 ただし、これは小型なF-16だから可能だった工夫であり、これ以上の長さとなる大型な機体ではさらなる対策が必要となるのです。 |