■ニュートン閣下の基礎知識

ニュートン殿下がその力学理論を最初に発表した本、1687年に出た
自然論理の数学的諸原理/Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica
(自然“哲学”という訳で紹介される事が多いが普通に考えて論理だろう)
通称プリンシピアの冒頭で、彼は定義を8つ、系が5つ、
そしてあまりに有名な運動の3法則を取り上げています。



ニュートン力学と微分積分があると、それまで実際に撃ってそれを計測して
その性能を求めていた砲弾の弾道とか、射程距離とか、最適な打ち上げ角度とかを、
計算で求めることができる事となりました。
これが18世紀以降のヨーロッパにおける
軍事技術大発展の原動力の一つとなって行きます。

写真は18世紀の大砲の飛距離図らしいですが、既にニュートン力学による
計算値で求めたと思われる弾道が描かれ、
さらに空気抵抗でエネルギーを失って、最後に一気に落下する軌道までかかれてますから、
なかなか近代的なものだと思われます。

でもって以下、余談です。
ナポレオンは士官学校で砲兵科を卒業してるはずなんですが、
彼の時代、すでに砲兵にとってニュートン力学と微積分は必須でした。
が、ボナパルトのダンナは1年というムチャクチャな短期在学で卒業、
さらに成績もケツから数えた方が速い、というような状態でしたから(58人中42位とされる)、
どうも、ここら辺りをキチンと理解していたとは思いかねます…。




ただしニュートン閣下はこのプリンシピアの冒頭にある
定義の説明の最後で致命的なミスをやっています。

補足説明の中で、時間と空間は独立した存在で、
かつ常に絶対性を持ち、誰がどこで見ても同じ量となる、としたのです。
つまり、どこに居ても、誰が見ても1時間は同じ1時間だし、1mは同じ1mだ、という事です。
そしてこの前提の下に、ニュートン力学は、構築されてゆきます。

ニュートン力学の土台であるこの部分の考察は、
そんなの常識、という感じに意外と簡単にで終わってしまい(笑)、
厳密は証明は与えられてません。
実際、我々も日常生活ではそう感じてしまいますから、
なるほどそうかもね、と思ってしまいます。
が、残念ながら、これは正しくなかったのでした。

この間違いに世界で最初に気が付いたのは、
おそらくオーストリアの科学者、エルンスト・マッハ(Ernst Mach)で、
1883年の著書、マッハ力学(Die Mechanik In Ihrer Entwicklung)の中で、
その理論的な矛盾を初めて指摘しています。

本来、時間は運動の変化で測られる相対的なものなのだから(後で説明します)
運動から独立した絶対的な時間の流れ、なんてものはありえない、
というのが彼の指摘の主旨でした。

ちなみに、このマッハは音速のマッハ数に名を残すマッハさんですが、
この人は実に多才な人で、どういうわけだか
ロシア革命にまで影響を与えてます(笑)。
ちなみに、その影響を受けたのがレーニンの反対派だったため、
例によって(笑)レーニンが“論文”を書いてこれを非難してます。

この論文のオリジナルは見た事がないのですが、
要約を見る限りは、いかにもレーニンらしい感情論で、
科学的でも論理的でもなく、何の反論にもなってません。
まあ、いつものことですが…。

が、マッハの指摘は一部で注目を集めたものの、
あくまで思考実験であり、物理実験ではその正しさを確認できませんでした。
つまり理屈はその通りだけど、現実にはニュートン力学で
世界は矛盾無く説明できちゃうんだからええやん、という感じで
それ以上の突っ込みは入らなかったのでした。

が、ニュートンの大前提を突き崩す発見は既に行われていたのです。
それがイギリスのマックスウェルが1864年に発表した方程式、電磁力を数式化した
いわゆるマクスウェルの方程式です。
これを解いて見ると、妙な事になったのでした。
(この方程式は連立編微分方程式なので厳密な理解は私の限界を超えます…)

当初はそれほど注目されなかったのですが、
この方程式が正しいこと、有用な事が確認されると、にわかに注目を集めます。
ついでに、この計算で求められる電磁波の速度と光速がほぼ同一だったため、
ここで初めて光も電磁波じゃないの、という事になったのです。

で、この方程式から電磁波の速度を求めると、
それを発する側、受け取る側どちらの速度にも関係なく、
電磁波の速度は常に一定になるのが判明します。

これは止まってる人間から見ても、
その上を時速1000qで飛んでる人間から見ても
通過する電磁波は常に同じ速度に見える、という事です。
普通に考えると、そんなバカな、という感じですね。
が、それ以外の面ではマックスウェルの方程式は間違いなく成立し、
間違いなく正しい、と考えられました。
となると、この点のみが問題として残ったわけです。

実はこれ、後の光速度不変の法則なんですが、この段階では、
なんじゃそりゃ、という事で誰もがこれを額面通りには受け取らず、
この矛盾を回避するため、さまざまな数学的テクニックを駆使した、
複雑怪奇な理論が次々に登場します。
(ただし複雑怪奇な理論が正しくない、という先入観は危険。
後の量子論なんて、屁理屈のオンパレードにしか見えないが正しかった)

おそらく、この辺りの問題に物理学の世界で注目が集まりだしたのが、
上で説明したマッハの本の出版とほぼ同時期だと思われます。
(発表そのものはマックスウェルの方が20年近く先)

が、最終的に時間と空間は観測条件によって変わる相対的なものなのだ、
という点に人類が気が付いたのは、20世紀に入ってからで、
それも1904年ごろまでかかって、ただ一人の青年のみが気づいていたことになります。

はい、もうわかりましたね。
この単純ながら誰も気が付かなかった事実にたどり着いたのは、
スイス特許庁の職員という(笑)、世界を変えてしまった物理学者の肩書きとしては
極めて異例な立場に居たアインシュタイン(Albert Einstein)青年、
論文発表当時26歳だけでした。
ちなみに、マッハと同じドイツ語文化圏内で育ったアインシュタインは、
大学生時代にマッハ力学をひたすら読んでいたそうな。

最終的にアインシュタインは驚くほど単純な数学的テクニックを使い
(足し算、引き算、割り算、掛け算、ピタゴラスの定理だけで理解できる)
1905年に最初の特殊相対性理論に関する論文
(Zur Elektrodynamik bewegter Körper)
を発表、あっさりとこれを証明してしまったのです。
(ちなみに特殊相対性理論は複数の論文に分かれるが、
この最初の論文でニュートンの定義を否定、マクスウェルの式の正しさを証明した。
有名なE=MCCは次の論文で登場する)

ニュートン力学の大前提、時間と空間(長さ)は絶対不変である、
は正しくなかったのでした。
よって、その大前提を土台に組み上げられている
ニュートン力学は、根底から崩壊する事になるのです。

が、それはあくまで光速に近いベラボーな速度に達した場合、
あるいは原子内部のような極小の世界、
そして宇宙誕生直後やブラックホール内部という特殊な空間の場合であり、
日常生活では問題なくニュートン力学は成立します。

…なぜそうなるのかは、誰にもわかりませんが(笑)。

そして現代の兵器の多くも、ニュートン力学に基づいて設計されてるのです。
例外は核兵器、GPS、レーザーコンパス位じゃないでしょうか。


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