■乱流と層流翼と

さて、現実世界における流体力学の話の最後に、
主翼の慣性抵抗(圧力抵抗)の問題と、
それに対抗するべく考えられた層流翼という翼型を見て置きましょう。

航空機のように高速な物体が流体から受ける抵抗のほとんどは
慣性抵抗(圧力抵抗)だ、というのは既に説明しました。
実際は重量の大きい機体の場合、誘導抵抗も無視できないのですが、
それでも抵抗の主要成分はこれです。

慣性抵抗(圧力抵抗)は物体表面を流れる境界層が粘性抵抗力(せん断応力)
によって徐々に動圧(運動エネルギー)を喪失、最後は流れが停まって物体表面から剥離、
そのまま周囲の層流を巻き込んで乱流を引き起こすものでした。
とりあえず、この図で説明したやつですね。



さらに念のためもう一度、その物体表面に生じる境界層と
その最下部にある静止層、さらに境界層の上で
摩擦抵抗を受けない通常流れの関係も確認して置きましょう。




ただし航空機の周りの気流を考える場合、そのモデルの単純化が必要になります。
まず、高速で飛ぶ機体が通過する空間の気流は完全停止してる、
あるいは少なくとも極低速でしか動いてない、と考えます。


理由は単純で、大気流は流れ出すとあっという間に乱流になってしまうため、
そこに機体周辺の乱流を伴った航空機が突っ込むと、乱流の中の乱流という、
現代人類には取り扱い不可能なカオスな前提が生じてしまうからです。
この辺りの前提を無視すると、全てが理論倒れ、という世界になってしまい、
そして実際、後で見る層流翼なんかは少なからずそんな部分があります。

その点、静止した大気に突っ込む航空機の視点(座標)で考えるなら話は単純です。
主翼表面の境界層の外、つまり粘性抵抗の外にある通常流はすべて層流と見なせます。
すなわち機体周辺の乱流は自らが引き起こす自己責任分だけです。
気体側の視点から見れば、機体周辺以外の大気は全く動いてないよ、なんですが、
こういった視点(座標)の変換で現象を判りやすい状態にしてしまう、
というのは力学の十八番なので、そういうもんか、と思っておいてください。

ちなみに流体力学においては物体が流体内を動くのと、
逆に流体が流れて来て物体にぶつかるのは、流速が一緒なら同じ現象とみなせる、とします。
これは事実ですが、ただし流れが乱流を伴わない場合のみです。
流体が乱流になる条件下では話は全く違ってきます。
この辺り、ほとんど誰も注意してないので、気を付けてください。

さて、ここからが本題です。
航空機周辺の乱流の中でも、主翼には気流の加速という
特殊要素が加わるため、境界層の動圧(運動エネルギー)の喪失がより起きやすい、
というやっかいな欠点があります。
この主翼上面の気流の加速によって揚力が生まれてるので、これまた飛行機の宿命なんですが。

この点は完全流体の流れでもある程度、参考になるので、再度この画像を。



これはクラークY翼周囲における気流の流速を見たものでした。
青い色ほど高速である、というのを思い出してください。
主翼上面前部で気流が一気に加速され、真っ青になってるのが判ると思います。
このように通常の翼型では前縁部上面で気流の最大加速が行われます。
つまり、ここで一気に運動エネルギー(動圧)が上がってる事になります。
(逆に言えば気圧(静圧)が最低となる場所、揚力が最大になる場所もここだ)

となると、境界層が受ける粘性の抵抗(せん断応力)は

せん断応力=粘性係数(粘度)×(流速 / 境界層の厚さ)

ですから、流速が上がるこの部分で、抵抗の力(圧力)もドカンと大きくなります。
ちなみに先にも書いたように流速の低下に伴って境界層も厚くなりますが
それは数cm単位、対して流速は1m/s単位で上昇しますから、100倍近い差があり、
粘性抵抗の増大を防げるようなものではありませぬ。

よって粘性による抵抗圧力は上がる一方であり、
境界層を押し続ける力(動圧)=運動エネルギーはガンガンは消費されて行きます。
ここで機体が加速しない場合、すなわち一定速度で飛行中だと
運動エネルギーは消費される一方で、どんどん減って行くだけです。
流体に置いて力はエネルギーと等価ですから、
これは境界層を後部に押し出す力(動圧)がどんどん減って行く事を意味します。

上の写真の完全流体のシミュレーションでは、流体のエネルギー損失だけで、
粘性の抵抗(せん断力)は考慮してないはずですが、それでも主翼後端部では
主翼上面の流速が一気に落ちてるのが判ると思います。

そして粘性のある現実の流体だと、その粘性抵抗力(せん断応力)によって
境界層の流れは主翼高端部に至る前に止められてしまうのです。
境界層を押し進める動圧(運動エネルギー)が完全に失われ、
もはやそれ以上、静止層から生じる粘性抵抗を振り切れなくなるからで、
そこで境界層の流れは、もはや物体表面をそれ以上進めなくなります。
(ただしすぐに停止せず、これまた粘性の力でその上の通常流に
引きづられるため、多少は動く。その力(=エネルギー)も無くなると完全停止する)

こうなると境界層はその先の粘性抵抗を乗り終えて
主翼表面に密着して移動できませんから、
境界層の流れはそこで主翼から剥離してしまう事になるのです。

はい、既に見た乱流の発生ですね。

このように主翼の場合、その上面で流体の加速が行われるため、
通常の物体表面より境界層の剥離が起こりやすい、というかほぼ確実に起こります。
これは原理的に避けられないもので、まあ、仕方ないよね、と思われていたのですが、
1939年6月、NACAに居たヤコブス(Eastman Jacobs)が、
いや、この抵抗の発生を抑える方法があるぜ、という研究を発表します。

NACAによるレポート、NACA-WR-L-345の発表であり、
いわゆる抵抗の少ない主翼、「層流翼」の登場でした。



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