■その原理は単純だ

主翼の上面で気流の加速が行われる結果、
主翼後端まで運動エネルギー(動圧)が維持できなくなる、
よって途中で境界層が主翼表面から剥離してしまうわけだ。
その結果、乱流が発生して主翼後部で盛大に抵抗圧力が発生するぜ、
というのが主翼における慣性抵抗(圧力抵抗)の問題でした。

さて、1930年代には既に効率よく揚力を稼ぐ翼の形状は理論的に決定されておりました。
基本的には流線形の変形で、最先端部から見て、
全長(翼弦長)の30%前後の位置に流体加速の要因になる最厚部がある、という感じです。

でもってNACAを始めあちこちで翼の風洞実験を行ってみると、
どうも気流の最大加速は最厚部の前の主翼前縁部、全長の10%〜20%前後の位置で起こってました。
つまり主翼の最厚部の前で既に粘性抵抗は一気に強力になってたのです。
つまりこんな位置関係ですね。



となると、誰もが最初に思いつくことは同じです。
気流の加速の結果、粘性抵抗が上がって運動エネルギーが失われ、
主翼後端部における境界層の停止、剥離が起こるんだったら、
加速の原因である最厚部を後ろにずらし、気流の最速部分も後ろにズラせばいいんじゃない?
そうすれば、主翼後端部まで運動エネルギーが続くようになるんじゃない?
すなわち、こんな感じに。
…線がちょっとヨレてるのは愛嬌の範囲内と判断されたし。





上がもはやおなじみクラークY翼で、これの最厚部は先端から28%の位置、全体の1/3の辺りにあります。
対して下は層流翼の一つ、NACA65-410翼。
こちらの最厚部は39.9%、ほぼ40%で中心部からちょっと前という位置にあります。
この直前に最速部ができるようなら、主翼後端までの距離はずっと短いですから、
境界層の運動エネルギー(動圧)はもつんじゃないの、という事です。

おいおい、馬鹿にしてんのか、そんな単純な話…と思ってしまうところですが、
これを実際に風洞に持ち込んで実験してみたら、効果があったんですよ。
あったんですよどころか、激減してしまったという位に抵抗値が減ったのです。

これを発見したヤコブスのレポートによると、最低抵抗係数は0.0022を記録したとの事。
ただしこの人、この数値の計測条件を一切書いてないのでイマイチ参考にならんのですが、
日本で層流翼を研究していた谷一郎さんによると、層流翼では最大60%の抵抗削減が起きた、との事。

でもってヤコブスによればその効果はレイノルズ数600万以下なら保証する、
との事なので、第二次大戦期の機体の速度と主翼の翼弦長ならほぼ大丈夫でしょう。
ついでに主翼のレイノルズ数を知る場合、計算式中の長さは翼弦長を使います。

なんとまあ、良い事づくめじゃないの、という話であり、
そもそも開戦前でしたらから、NACAもそれほど厳密に情報の機密指定をやってなかったので
その後、速攻で世界中において最厚部が後ろにずれた
「層流翼」が造られまくる事になります。もちろん、日本でも(笑)。

ただし、これは乱流の発生を抑える、というのが目的ですから、
何か別の原因によって、そこに乱流が発生してしまうとチャラになります。

でもって主翼表面の凸凹、つまりリベットやネジの出っ張り、
さらに外皮の接合部の段差などでも、あっさり乱流が生まれますので、
その条件はかなり厳しいのです。
ヤコブスの報告によれば、高級車のような表面仕上げは要らん、
十分な効果は期待できる、との事ですが、実は原寸大の三次元翼では
風洞実験をやってないので、いろいろ微妙な部分が残ります。
さらにヤコブスによれば、低速時の振動は層流の維持に重要ではないけど、
それ以上の速度になるとよく判らん(笑)そうで、とにかくいろいろ怪しいのです。

ついでに、表面が平滑でないと層流翼は効果が無い、とよく言われますが
それは半分だけ真実で、実際は何が要因であれ、
そこに乱流を引き起こす原因があればもうダメです。

そもそも現実の機体では、どれだけ丁寧に境界層の層流を維持しても、
胴体との干渉抵抗や竜巻のようなプロペラ後流の影響もあり、乱流には事欠きません。
ついでに言えば、低気圧周辺の気流が荒い空域などなら、
空間そのものが乱流だらけです。
それでも境界層の層流をキチンと維持できるのか、という疑問に、
ヤコブスのレポートは全く答えてません。
(戦後までにあと二つ、層流翼に関するレポートを出してるが、最後までそのまま)

このため、ホンマに効果あったのかいな、という議論が常に付きまとうのが
この層流翼なんですが、この点については天下の大英帝国様が、
非常に判りやすい解答を出してくださっています。
すなわち皆大好きスピットファイアですね、

あれはMk.21で突然層流翼を採用するんですが、
主翼以外の部分では、エンジンがパワーアップしてプロペラの直径がわずかに大きくなった事、
このためやや重くなった事以外、その前のMk.XIV(14)と、それほど大きく変わってません。

なのでMk.21とMk.XIV(14)の性能を比べて見れば、層流翼の効果がある程度判るでしょう、
そういう事なら、イギリス空軍の試験データによって両者を比較してみましょう、というのが下の表。

先にデビューしてるはずの14の方が試験日が遅いのは、戦後のジェット戦闘機、ミーティアと
大戦期を代表する戦闘機、ムスタング、スピットの性能比較をやった時のデータだからザンス。
重量はわずかにMk.21の方が重いですが、同様にわずかにエンジン出力も上がってるので
条件はほぼ互角と思っていいでしょう。

 スピットMK.XIV(14) 試験日 1946年7月  スピットMk.21 試験日 1945年7月
 機体重量 8500ポンド 約3.85トン  機体重量 8850ポンド 約4トン
 高度 1万フィート(約3048m)  高度 1万フィート(約3048m)
 406mph  / 653.4km/h  409mph / 658.2km/h
 高度 2万フィート(約6096m)  高度 2万フィート(約6096m)
 424mph / 682.3km/h  435mph / 700km/h

まあ、わずかにMk.21の方が速いんですが、その差は5%以下でして、
ハッキリ言って誤差の内です。
少なくとも6割も主翼の抵抗が減ったとは思えぬ数字でしょう。
現実における層流翼の効果はどうも極めて微妙です。

このデータを見る限り、実験室では確かに効果があったのだ、という程度と思って
ほぼ間違いないのが層流翼、という感じでしょうかね。

という感じで、本人の予想をはるかに超えて(涙)、意外な長編連載となってしまった
この流体力学の基礎知識も、これにて終了です。
筆者も人に説明することで、改めて理解できた、という部分が結構ありましたので、
最後まで読んで頂いた皆さんに感謝します。


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