■普通の見学コースへの回帰

さて、そんな感じで航空宇宙館の主要展示(私認定)
との勝負が終わったわけですが、
展示面積で言ったら全体の1/8くらいしかまだ見てません。

とりあえず今回はこの博物館の特長ともいえるぶら下げ展示、
天井から吊るされている機体を全部見てしまいましょう。

ロンドンの二つの博物館、帝国戦争博物館と
RAF博物館にも吊り下げ展示はあるのですが、
数も内容もスミソニアンの航空宇宙館は圧倒的、
という感じで、これを見るだけでも結構時間がかかります。

今回は2階のテラス部分から見た各機体を紹介して行きますぜ。



今回の見学コースはこんな感じ。
二階の端にある第二次大戦部屋と海軍部屋を突破、
そのまま一気に2階回廊部を横断し、3つあるホールで
天井からぶら下げ展示になってる機体を全部見てしまいます。

ちなみに、前回からオマケコーナーで取り上げている
スミソニアン直営のオミヤゲ屋さんは1階の赤矢印の場所にあります。
正面入り口の斜め前ですね。
後で出てくる秘密の地下室(笑)の入り口もここ。




まずは博物館の西端、前回までの二つの部屋を出た真ん前にあるホール、
「庶民の間」(夕撃旅団コードネーム)から見て行きましょう。
とりあえず、歴史上重要である、とスミソニアンが主張する
旅客機、民間機を展示してるのがここで、
レシプロの双発旅客機まで天井からからぶら下げてしまった結果、
陰に隠れて見落としがちな機体も多いのがこのホールとなります。

ちなみにずいぶん傾いた印象の日差しになってますが、
実は先の第二次大戦の部屋から無人機、海軍の3つを撮影してるだけで
2時間以上かかってしまい、現在既に午後1時前となっています。
この段階でデジカメの1本目の充電池が切れる。
ええー、と思うもとりあえず2本目の充電池を投入ザマス。



まずは一番奥の機体から。

自動車屋兼大量生産マニア、ヘンリー・フォード率いるフォード社は
1926年から一時期、自社開発の航空機を造っていた事がありました。

第二次大戦期にB-24を狂ったように量産しまくり、
これを世界最大生産数を持つ4発エンジンの重爆撃機にしてしまった(笑)
あのフォードの航空機のルーツが、
このフォード トライモーター(trimorotr)なのです。
愛称はブリキのガチョウ(Tin Goose)だそうな。

当時、アメリカで造られていた機体では最大のもので、
ここに展示されてるのは1928年から運用された新型の5A型だとか。
(大恐慌前年なのに注意。つまりこの機体はその影響をモロに受ける)

その名(トリプル、トライアングル、トリオなどと同じ3を意味するTri-で始まる)
の通り機首と合わせて当時流行った3発エンジンなのですが、
主翼からぶら下げた形でのエンジン配置など、ちょっと変わったデザインです。
もっとも、このエンジン配置はオランダの
フォッカー社が開発した旅客機、F VII(7)-3m(3m=3motor、3発機の意味)
を参考にした、と言われています。

実際、フォードがスポンサーになって1925年から行なわれていた
航空機による長距離レース、
フォード国内長距離飛行耐久戦(Ford National Reliability Air Tour)
にフォッカー社はF VII(7)-3mで参戦してますから、
なんらかの影響はあったはずです。

ちなみにこの機体、そこそこ売れたらしいのですが、
大恐慌などもあり、商売としてはイマイチだったようで、
これ以降、第二次大戦までフォードは航空機に手を出しません。

ついでに、8年前に見たとき、てっきりユンカースのJu52だと思ってしまい、
この8年間、勘違いしたまま、さらには今回も帰国して
写真を見直して、あれ、主翼の位置が変だなと思うまで気が付いてませんでした…。
ちなみにJu-52は2日後のウドヴァー・ハジーセンターで登場します。



他の記事で取り上げる事はまずない機体だと思うので、
ちょっとだけ細かく見ておきましょう。
この時代はまだ金属性の機体は発展途上で、
外側の板は単なる飾りというか壁に過ぎないため、
とにかく頑丈な鋼管の骨組みに、可能な限り薄い金属板(通常はジュラルミン)を
外皮として貼り付けてゆく、という構造になっています。

なので、薄い板にも曲がりにくい強度を持たせるため、
トタン板構造、あるいはダンボール構造
とでも言うべき、交互に凸凹に折り曲げた波板が使われています。

ジュラルミンの波板、というとユンカースが有名ですが、
アメリカのフォードでも使っていたのでした。

ついでによく見るとコクピットの横から、
3本のワイアが後方に延びてるの、わかるでしょうか。
さらによく見ると(笑)コクピットの横で、
それぞれが時計の針のようなパーツの両脇に繋がっています。

この時計の針のようなパーツが角(Horn)と呼ばれるもので、
銀色の大きい角が水平尾翼の昇降舵を動かすエレベーターホーン、、
よりエンジン位置に近い青い小さな角が垂直尾翼の方向舵を動かすラダーホーンです。
その名の通り、それぞれの部分にここから繋がっていて、
コクピットの操縦桿やラダーペダルを動かすと、
これが連動してワイアを引っ張り、それぞれの舵を動かします。

長いケーブルを機内で取り回すのは大変だったのかもしれませんが、
豪快といえば豪快な設計です(笑)。
まあ、カラスがつついた程度では切れないでしょうが、
冬季など、氷結の可能性はゼロではないように思うんですが…。

ついでにエンジンの入れ物、ナセルをも使った、
意外に凝った構造の足回りも見ておいてください。




お次は1933年運用開始のボーイング247。
現在の旅客機帝国ボーイング社の基礎を造った機体です。
ちなみに、この機体もなんで名前が247という数字なのかよくわかりません(笑)。
80機前後しか造られてないはずなので、貴重な現存機の一つでしょう。

上のトライモーターから7年しか違わないんですが、
なにせ急速に技術が進化していた時代ですから、完全に新世代の機体となってます。
全体の構造は機体外板までが全体を支えるセミモノコック構造で、しかも全ジュラルミンの金属機となってます。
もう重い鋼のパイプで骨組みを組んで、その上に単なる外壁である
布やら薄いジュラルミンの板をはる、鋼管構造の機体の時代ではなくなったわけです。

ついでに極めて簡単に説明してしまうと、大きな四角い箱を作るのに、
細いパイプで枠組みを組み、布などを張って形にするのが鋼管布張り構造、
対して十分な強度を持つ金属の板を組み合わせて箱を組んでしまうもの、
つまり各面が直接全体の構造を支えているのがモノコック構造です。
どっちが強度的に優れているか、といえば後者になるわけです。
ただし、普通にやったらえらく重量が増えますから、
これが可能になったのは、軽くて頑丈なアルミの合金、
ジュラルミンが登場した後になります。

さらには引き込み式の主脚(タイヤは半分はみ出すが…)、
スーパーチャージャー式のエンジンで、当時のあらゆる旅客機より、
50%以上高速、というのが売りだったようです。
ちなみにこの時期のボーイングは空力設計の優秀さから、
速度の優位を武器に商売をしていた印象が強いです。

ただし1933年の機体ながら、247にはフラップがついてません。
これは離着陸速度は62マイル(99.2q)まで落とせたので
フラップは必要ないと判断されたから、との事らしいです。

アメリカにおいては、このボーイング247と、これまた1933年に運用開始となった
ダグラスDC-1によって、現在の旅客機交通のルーツと考えられている感じです。

展示の機体は1934年に製造された247のD型の1号機。
ただし、これは民間航空の旅客機としては使われず、
個人が購入して当時開催されていたイギリス-オーストラリア間の
長距離航空レースに参加した機体だそうな。
機体後部にある地球のマークは、それに関連するものらしいです。


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