■ジェットの力だ100万パワー



さて、今回は朝鮮戦争以降、すなわちジェット時代の軍用機の皆さんを見て行きます。
ここら辺りの機体は入り口右手に固まって置いてあり、
重いジェット機をぶら下げ展示にはしてないので(空軍博物館はやってたが…)、
他のジャンルよりは、まとめて見学しやすくなってます。



まずは練習機、ロッキード T-33A。
T-Birdの愛称で呼ばれてる機体で、1948年3月に初飛行した、
アメリカ初のジェット練習機でした。
アメリカ空軍では連絡機、実験用機などとしても使われていたようです。

T-33は元々、航空宇宙本館で見たP-80戦闘機から発展した練習機です。
ところが元祖のP-80があっという間に時代遅れになってバイバイとなったのに対し、
この機体は6500機とジェット機練習機としては記録的な生産数を達成、
さらには1980年代まで、世界中で使われていた息の長い機体です。
この結果、世界中の航空博物館でお馴染みの機体となっていますね。

展示の機体はワシントンD.C.近郊の
アンドリュー空軍基地に配備されていたもので、
1987年にスミソニアンに寄贈された機体だそうな。

やけにピカピカなので、なにかの記念機か?とも思ったのですが、
別にそういったわけでもなく、ジュラルミン無塗装の機体を見た関係者が
辛抱たまらん、と欲望のままにピカピカに磨きあげちゃったみたいです。

こういったピカピカの金属仕上げのモノをアメリカではchrome、
クロームと呼んで(本来はメッキパーツの意味)好まれる傾向があり
アメ車やハーレーのバイクなんかにピカピカ装飾はよく使われてます。
が、カラスじゃあるまいし、という感じで、
この美的センス、どうも私には理解できませぬ…。

そういえば、Googleのブラウザの名前もchromeですが
ピカピカしてる、という意味なのか、メッキに過ぎないよ、という意味なのか。



お次はこれもお馴染みF-86Aセイバー。

1947年10月に初飛行した朝鮮戦争時のアメリカ空軍主力戦闘機ですが、
これまた世界中で長く使われたため、アチコチで見る事ができる機体となってます。
この機体のおかげで、アメリカは朝鮮戦争の間中、
航空優勢を敵に渡すことなく戦争を展開できました。

もっとも、戦術攻撃機、地上部隊と連携して戦う機体を持たない
アメリカ空軍はこの優位をうまく活用できないで終わるのですが…。
そして、その欠陥はベトナム戦争でも完治しませんでした。

その反省が後にA-10の開発に繋がった…と思ってしまいますが大間違いで(笑)、
A-10は純粋に予算確保のため、金のために作った機体でした。
陸軍の心配なんて、空軍上層部は一度たりとも、微塵もした事がありません(涙)。

この空軍の頼りなさが、後の陸軍による攻撃ヘリ開発に繋がるのです。



ちなみに展示の機体は初期のA型で、アメリカ以外ではほとんど見れないタイプ。

F-86は高速飛行時におきる水平尾翼の効き低下、
すなわち昇降舵のコントロール不能化対策として、
オールフライングテイルと呼ばれる一枚板式、全面駆動の尾翼を採用しました。
後のジェット機の多くでも採用される事になるタイプの水平尾翼です。
ただし初期のA型ではこれが無く、ご覧のような通常の2分割水平尾翼、
尾翼の後ろ半分だけが可動なる従来型の尾翼となってました。

セイバーのサブタイプの判別は結構難しいのですが、
これは、A型を明確に見分けられるポイントの一つです。

で、右奥に見えてるのが同世代のライバル機、ソ連のMig-15ですが、
こうして見るとF-86の方が一周り大きい、というのがわかるでしょうか。
両者には空戦時の平均的な重量で700kg〜1t前後の差があります。

さて、ちょっと脱線しますよ(笑)。

この結果、機動性という戦闘機の重要な要素において
軽量なMig-15が優位であり、実際、性能的にも優れてました。
ここら辺りは、ジョン・ボイドがエネルギー機動理論で予測した通りで、
同じようなエンジン出力なら(両者とも最大約26kN前後)
消費した力学的エネルギーをより早く取り戻せる軽量な機体が勝つ、となります。

ところが、上に書いたように実際の戦闘ではF-86が常に優位に戦いを進め、
最後まで航空優勢を明け渡すことがありませんでした。
これは中国&ソ連のMig15部隊が北の朝鮮国境沿いでしか
活動しなかった、という面も原因の一つですが、
実際の空中戦でもアメリカ側のパイロットは特に不利を感じておらず、
むしろ戦後の試験でMig-15の性能の優秀さに驚いたりしています。
なんで、この機体で連中はあんなレベルだったのだ、という疑問です。

この疑問に取り組んだのも、またボイドでした(笑)。
理論どおりの性能が出てるのに優位に立てない戦闘機。
後にYF-16とYF-17の競作でも、性能数値的に優秀なYF-17が
パイロットから支持されず、YF-16にコンペで敗北して彼を驚かせます。

ここに至ってボイドは機体よりもパイロットに注目しました。
その結果、産み出されるのが、より早い決断と行動で勝つ、
というOODA(ウーダ)ループなわけです。

ここでさらに脱線すると(笑)
「F-22への道」を連載中、数人のプログラマー屋さんから、
OODAループはコンピュータプログラム化が可能と思うか、
といった感じの似たような質問をもらいました。
皆さん“Orient”段階、方向性の決定の難解さを指摘しており、
これをどうやって分解して処理するか、というのが問題になっていたようです。
が、ここら辺りは、すでに前例がいくつもあったりします。

まずOODAループの基になったボイドの「想像と破壊」理論は、
1990年代から登場した、自分で試行して、その結果を収集し、
その累積の分析によって、自らの行動を決定する自己学習型プログラム、
“生命”型の人工知能(AI)の考え方と、とてもよく似ています。

特にサンタフェ研究所の複雑系コンピュータ学者の皆さんによる
非線形の推論を行なうプログラムなんて、基本の考え方はほぼそのまんまです。
最近、日本でも少し注目されてる強化学習(Reinforcement Learning)の
人工知能プログラムなんかも、それに近い印象を受けます。

その手の自己学習AIは、If “A”〜then “B”式の流れ、
Aの時にはBという行動をせよ、という従来のプログラムとは異なり、
Aと言う前提に対し、正解である行動、Bをプログラム内に用意しません。
プログラムが自分で正しいと思われる行動を探し出すのが特徴です。

なんだか異常に思われますが、世の中、明快な正解のある事象ほうが珍しいですし、
将棋などのゲームでは正解は存在しても、
有限時間内にそれを探り当てるのは極めて困難です。
むしろ適当な行動を任意に正解としてしまうと、致命的なミスとなる可能性もあります。

よって明快な正解、という前提をあきらめてしまうわけです。

対して、次々と試行(Try)を行い、試行結果(Feed back)を蓄積して行き、
その蓄積された膨大な試行結果(Feed back)の分析を行ないます。
そしてそこから
“問題に対して最も適応性が高いと思われる選択肢を選ぶ”
つまり確率的に正解と思われる行動を取るのが、人工知能学習型AIとなります。
(ここら辺りはアメリカ本土の石油パイプライン管理AIなどに応用されてたはず)

この試行結果を蓄積し、分析、分解して新たな情報に再構築する、
つまり“最も適応性が高いと思われる選択肢”を自らの中から生み出す、
という流れは、まさにボイドが言う概念化そのものです。

さらに分析、分解からの情報の再構築を単純な確率の流れに頼らず、
“触媒”のような、選択肢の再結晶の高速化をもたらす要素を埋め込めば、
複雑系に対応した進化型プログラムとなるわけです。
これもボイドの示す、方向付けの中の各要素が情報の再結晶化の
触媒の働きをする、というのと同じ考え方です。

なので、ここら辺りは、むしろプログラマ屋さんの領域だと思ってたんですが(笑)、
日本じゃ人工知能の学習プログラムって流行ってないんでしょうか…。

とりあえずボイドのOODAループの初出が1976年。
ロスアラモス研究所の連中が原爆に飽きてサンタフェに新たな研究所を作り、
コンピュータを使った複雑系の研究に乗り出すのが
1980年代に入ってからですから、明らかにボイドが先を行ってます。
が、両者の資料を読み比べて見ると、その考え方は驚くほどよく似てるのです。

もし私の説明でOODAループがよくわからん、という場合は、
ネット上でサンタフェ研究所の、複雑系に基づくコンピュータ理論の資料が
いくつも公開されてますから、それを見る事をお勧めします。

特に“カオスの縁”の産みの親、情報工学者の
Christopher Langtonの話などは参考になるはずですし、
彼の組んだプログラムは非常に興味深いものが多いと思います。
(ちなみに誤解されやすいが、カオスの縁はカオスの一部ではなく
安定とカオスの中間にある、生物が存在可能な、
混沌でもなく、硬直もしない独立した一定情報量の世界を指す)

そういやLangtonも、遅咲きの異能の人なんですよね。



とういうわけで、朝鮮戦争でF-86のライバルとなったのが
1947年12月に初飛行した、このソ連のジェット戦闘機Mig-15ファゴットでした。
展示の機体はMig-15 Bと書かれてましたが、
そんな機体は聞いたことがないので、改良型のMig-15 Bisの事でしょう。

ちなみに機体は中国の殲撃-2/Ji-2である、との注意書きもありましたが、
Mig-15時代には中国もまだ無断コピーする工業力が無かったので(笑)、
中国共産党軍が使ったMig-15は基本的にソ連製です。
ただ、当時派遣されていたソ連の技術者が中国で複座型を組み立てていますが、
後の無断コピーの海を考えれば(笑)、ごく少数の生産に終わってます。

F-86から2ヶ月遅れで初飛行、両者ともドイツからもたらされた後退翼を持ち、
イギリスの技術を基に発展したターボジェットエンジンを搭載しているという、
まさに好敵手、という感じの機体となっています。
ただし、F-86は長細い軸流圧縮、Mig-15はマンジュウ型の遠心圧縮のエンジンで、
Mig-15のほうが全長が短い理由の一つがこれです。

とはいえ主翼上の仕切り板(後退翼面上の気流が外に向けて流れるのを防ぐ)、
水平尾翼の位置などを見るとMig-15は空力面で
かなり苦労してそうだなあ、という感じを受けますね。

ちなみにこの機体は空軍からの寄贈ですが、来歴は不明。
中国共産党軍の機体と特定されていて、これだけキレイな状態を維持してるとなると、
アメリカ空軍博物館にあったMig-15と同じく、
パイロットが乗ったまま台湾や韓国に亡命して来たものかもしれません。


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