■ジェット以外もありにけり



さて、朝鮮戦争ではジェット機と並んで、ヘリコプターも初めて本格的に運用されました。
第二次大戦時にも一部で使われていたのですが、
戦域全体で一斉に使われるようになったのは、この時代からとなります。

そんなヘリコプターのトップバッターは、シコルスキーHo5S-1。
正直、聞いたことも無いヘリなんですが、
1947年に初飛行したアメリカ初の全金属ローターを持ったヘリなんだとか。
(それまでのは鋼管羽布張りのローターだったらしい)
昔の少年漫画に出てくるヘリコプターは、なんとなくこんな形だったような気も。

ちなみにシコルスキー社による形式名はS-52だったのですが、
海軍と海兵隊では、Ho5S-1という名前にしたんだそうな。

朝鮮戦争後半から負傷者救助用に投入された機体で、
それまでの救難ヘリは負傷者を機外に縛り付けて飛ぶ、
という豪快な運用だったのに対し、
これを機内に収容できるため、現場で歓迎された、との事。

ちなみに正面の巨大なフロントガラスの向って右は開閉可能で、
ここを開けて素早く担架を押し込んでいたそうな。




初期の大ヒットヘリコプター、これまた世界中で見ることができる
シコルスキーUH-34Dシーホース。

カバみたいなご面相が特徴の機体ですが、あの鼻面の部分に、
DC-3やB-17などに使われていたのと同系統の
R1820空冷星型エンジンが入ってます。
そこからシャフトをかまして、あの位置のローターを回すという、
なかなか豪快な設計となってたり。
ヘリコプターにあるまじき高い位置のコクピットはそのためです。
でもってこの機体、一部の国で最近まで現役だったそうな。

よってR-1820エンジンは極めて長命な航空機たち、
このH-34系と旅客機DC-3&その軍用D-47に使われていたため、
1931年に生産開始されていながら、
80年以上使われ続けるという(DC-3&C-47はまだ現役機あり)
不思議なエンジンとなりました…。

展示の機体はカーキグリーンの塗装ですがこれも海兵隊の運用機。
ちなみにこれもシコルスキー社による呼称はS-58で、
H-34というのがアメリカ軍の呼称、さらに頭にUをつけてUH-34としたのが
海兵隊向けの機体、という事らしいです。
その中でもD型は輸送用との事ですが、この輸送には
完全武装の部隊を現地に送り込む強襲任務も含まれてたみたいですね。

このH-34シリーズは1955年から運用開始なのですが、
おそらく朝鮮戦争には投入されておらず、
後にベトナムから本格投入される事になったようです。



狂気の1950〜60年代を象徴するような機体、ロッキード SR-71ブラックバード。

1966年に初飛行した超音速偵察機ですが、
よく知られるようにマッハ3という、どんだけセッカチなんだという速度で飛行可能でした。

ロッキードの開発チーム、スカンクワークスの手による開発で、
実は世界で初めて、本格的なステルス対策を採用した機体でもあります。
機体全体が平べったいのは後のステルス機と同じくレーダー波を受けにくくするためで、
機首周りが平べったくなってるのも、通常、横方向から来る事になる
レーダー波を鋭角で反射しないための工夫です。
垂直尾翼が内側に曲がってるのも、レーダー波をお空の彼方に弾き返すためですね。

他にもエンジンの空気取り入れ口前の巨大なコーン(三角錐)は
超音速飛行時にあそこで衝撃波を生んで、その背後の圧縮空気を
うまくエンジンに取り込むためのものですし、
エンジンそのものも、まあ、スゴイ、という中身になってます。
ここら辺り、旅行記で解説する範疇を超えるので、これはまたいつか。

1960年代前半までは、体育会系スパイ組織、CIAが
ソ連や中国に対し、堂々と領空侵犯して写真撮影を強行しており、
この結果、アメリカの戦略偵察機の主導権を握っていました。
基本的に狂ってますからね、この時代(笑)。
よって、U-2、その後を継いだ超音速偵察機A-12まではCIAの管轄でした。

が、当時の空軍を仕切っていたのは、これまた純粋系オタンコナス、
あのカーチス・ルメイですから、これが面白くない。
このため、おそらく政治的な圧力を使って膨大な予算が動いていた
超音速偵察機の分野を空軍の管轄にしてしまいます。

この結果、空軍による運用となった初のジェット戦略偵察機がこのSR-71でした。
基本的には先代のA-12の発展型で、外見はそっくりです。

そんなこんなで、この機体、世界中を覗いて歩いてたのですが、
偵察人工衛星が十分な解像度を持つようになると、
領空侵犯の危険を冒して飛ぶ必要が無くなり、
莫大な運用予算がかかっていたと見られるこの機体も引退となるのでした。

とはいえ、展示の機体は1990年3月まで24年間も飛んでいたそうで、
その間の飛行時間は2800時間。
でもって、その最後の飛行は、この隣にあるダレス空港までで、
(当時ウドヴァー・ハジーセンターは無いがスミソニアンはここで機体を受領してた)
その時、ロサンジェルス〜ダレス空港間を1時間4分、
平均時速3418qで飛行し、これは今でもアメリカ大陸横断最速記録だそうな。

つーか、その時通過した地上一帯はは相当な衝撃波を食らったはずですが…。
駐車場中の車を揺さぶって、盗難防止ブザーを全作動させてしまうような
スペースシャトルの衝撃波にすら苦情が出ない国だから、
何とかなったんでしょうかね(笑)。

まあ、しかし平均時速3418qで1時間以上かかる国土ってのは、
なんだかんだで、やはりスゴイ話だと思います。


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