ではお次はいよいよ水城の現存土塁周辺を歩いてみましょう。まずは手前の道路、千年以上前からここにある街道を渡らねばなりませぬ。



東門をぶち抜いているのは日田(ひた)街道。ただし江戸期に整備された街道です。博多湾にあった朝廷の施設、鴻臚館(翌日訪問します)からの道は西門をと通過していたので、本来はそちらが主要道路だった可能性高し。ただし左遷扱いでここに送り込まれたサンダー天神様こと菅原道真閣下はこの東門から大宰府に入ったと伝えられているそうな。



とりあず水城の横はこの博多側の道と…



こちらの太宰府側の道があり、大分雰囲気が異なります。今回はこちらの広々とした太宰府側を歩いてみましょう。



これは水城をブチぶいて設置されていた巨大な木造の水道管、木樋(もくひ)の復元模型らしいです。先にも述べたように博多側ほどの規模では無いですが大宰府側にも水堀があり(ただし全面的にあったのかは一部だけだったのかは未だに確証が無いらしい)、両者は巨大な木製の水道管で直結されていたようです。今の所、計四か所に設置されていたのが確認されてるそうな。

ただし後で見るようにここは御笠川がぶち抜いてるので、そこからいくらでも堀に水を流し込めたはずで、なんで両堀を連結して水を流したのかはよく判りませぬ。基本的には大宰府側から博多側に流していたと考えられてるとか。

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