途中で来た方向を振り返る。例の展示施設はどうみてもコンクリート製の壕であり、いずれ唐と新羅の連合軍が攻めて来た際の前線司令部になるのだと思われます。その上の東屋が土塁の最高地点ですから、その巨大さが判るかと。意外と絵になる風景。



途中でどう見ても罠と思われる小路があり。これは入ってみましょう。そういう性格なのだ。



お墓がありました。あれ、私有地なのかここ。



一帯は一部だけ獣道のごとく草が刈られており、そこが遊歩道となっているようです。土塁がちょっと低く感じるのはここもちょっとした高さがあるから。



でもってその先で唐突に歩道が終わる。目の前に見えてるのは高速道路、九州縦貫道路でしょう。ちなみに直ぐ下を国道3号線が通り、さらに西鉄の線路もここを通過します。なんでそんなに集中するの、と言うとこのすぐ先が御笠川で、この川の周囲は水城が途切れているから。

水城は一度ここで切断されてしまうのです。この御笠川一帯には元々何もなかった事が発掘で確認されています。じゃあ防御態勢はどうなっていたのか、というのは現在でも謎の一つ。ちなみに出典不明ながら菅原道真は水城の手前までは船で来て付近で上陸、東門から大宰府に向かったという話があるそうな。この話が事実なら水城から先は船で入れなかった事になります。

そこらあたりから川の水を一部せき止め、一帯を水没させてたんじゃないかなあ、と思うんですが確証はなし。でもって目下の問題は目の前を走る国道3号を渡る場所がどこにも無いのです。さらに歩道は左右に分岐してるのになんの案内も無し。仕方ないのでとりあえず右に進んでみる。

ちなみにこの先、西門跡と思われる箇所ではJR線と一般道路が通っています。今回は見れなかったんですけどね…

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