さて、両国橋の側から隅田川に入った後、しばらく南下します。正面に見えてるのは首都高から千葉、茨城方面に抜ける皆さんにはおなみの両国ジャンクション。川沿いにこちらに向かって来るのが千葉県北部と茨城方面へ向かう6号線、その奥、隅田川の上で合流して来るのが東京湾沿いの千葉方面に向かう7号線。個人的には首都高で最も好きな場所の一つです。



その先で左、東に向けて分岐するのが、小名木(おなぎ)川、かつての運河です。ちなみ現状は旧中川から荒川に出て終わりですが、かつてはその先に繋がる運河がさらにあり(現在の新川)、これで旧江戸川まで抜ける事が出来ました。 ちなみにこの新川が旧江戸川に合流するのが今回の旅の出発地点、妙見島のすぐ北側になります。ただしこの新川も盲腸河川になっていて、現在は通行できませぬ。



川に入って最初の橋、萬年橋のたもとでは、艀に積んだクレーンが工事中でした。今回の旅での発見の一つが、東京の水面にはクレーンが多い、でした。

ちなみにこの運河が小名木川と呼ばれるようになったのは私が確認した範囲では幕末近くになってからで、これの掘削を請け負った民間人の名を取って小名木(おなぎ)川、というよく見る説明はかなり怪しいです。単に運河沿いにあった村の名前ですよ、それ。この辺り諸説あるんですが、ここでは割愛。



そこから隅田川を振り返る。右手の岸辺に見えてる緑地の向こう側に松尾芭蕉の家、芭蕉庵の跡地があります。この緑地の横は展望台になっており、そこにメチャクチャ怒った顔して厚着した謎の芭蕉像があります。…なんであんなの建てちゃったんだろうね。



萬年橋の奥に見えてるのは新小名木川水門。この水門は例の水位調整とは関係なく、純粋に治水用(高潮&津波対策)の水門で、台風や地震が来ない限り、通常は開いてます。

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