3000cc F-1の2年目、1967年のホンダは当初、前年にデビューしたRA273で引き続き戦いました。エンジンの軽量化などを中心にその改良が続いたのですが、この年の第三戦ベルギーでF-1の歴史を塗り替えるフォード・コスワースDFVエンジンを載せたロータスのマシンが登場し、もはやそんな小手先の工夫でどうしようも無いことが判明します。

コスワースはすでに見た1000t時代のF-2でホンダのライバルだった会社です。もともとはフォードのエンジンをレース用にチューンナップして市販する会社でした。彼らが満を持して3000cc用F-1エンジンとして開発したのがフォードの資金援助を得て開発されたV型8気筒のDFVエンジンだったのです(F-2用のエンジンと違いフォードの市販エンジンを基にしたのではなく新規開発)。これを前年のF-2でホンダにケチョケチョンンにされたコスワースはF-1に投入して来ます。

コスワースはもともとロータスチームに居たダックワース(Keith Duckworth)とコスティン(Mike Costin)が創業したものなので、当初はロータスへの独占供給でした。が、当時ル・マンを始めとするヨーロッパのレースを席巻していたフォードの野心もあり、翌1968年からは他のチームにもこのDFVエンジンは市販される事になったのです。ちなみにフォードエンジン、と書かれる事もありますし、実際シリンダーヘッドに燦然とFORDの文字が輝いてますが、フォードは資金を提供しただけで、エンジンそのものの開発にはほぼ絡んでません。それでもフォードはF-1初勝利という事で、第三戦オランダの戦いを基にカラーの広報映画まで造っちゃんですけどね。後で見るようにこの年はホンダも同じ事やってまして、映像資料に事欠かない不思議な年になってます。

そして1967年のオランダでロータスのマシン、ロータス49に積まれてデビューするといきなり優勝、周囲を驚かせたこのエンジンに中村さんは衝撃を受けます。実際は、まだ熟成が進んでおらず安定した結果を出すのはシリーズ後半に入ってからで、この年はチャンプを逃すのですが、それでも翌年からDFVの快進撃が始まる事になります。
ちなみにこのロータス49はホンダが1500t F-1 時代に苦し紛れに採用したエンジンを車体の一部、剛性を担うパーツとしてしまう、という構造を持っており、軽量化で優位に立ちます。対して、その方式を捨てたホンダが軽量化に苦しんでいたのは何とも皮肉です。

で、彼はいろいろ調査してみてDFVのパワーは380馬力前後(実際はほぼ400馬力出たらしい。ちなみにフォードの主張だと410馬力)と420馬力のホンダとそれほど遜色が無いと知り驚きます。さらに衝撃だったのはV8ゆえの小型さと軽さで、これを積んだロータス49の車重はわずかに501s、最軽量の規定ギリギリ、つまりその気になればもっと軽くできるというものでした。67年になってエンジンの軽量化などによって670s近くにまでなっていたRA273ですが、それでも30%以上重く、そしてエンジン出力ではほとんど差は無いのですから、これでは勝負になりません。この結果、彼はエンジンの改良はもう限界だから、重いシャシーを変えるしかない、と考え始めるのです。その結果生まれたのがわずか4戦のみを戦い、そしてその間にホンダに二勝目をもたらしたマシン、RA300でした。

ちなみに車番の数字が大きく飛んで300になったのは中村監督曰く「思い切ってジャンプする意気込みを示した」との事で、要するに深い意味はありません(笑)。



後で見るようにその誕生の経緯からして仕方ないのですが、全体的にキレイにまとまっておらず、ホンダのマシンなのに各部のリベットがむき出しのまま(枕頭鋲ではない)、など、個人的には美しくないなあ、という印象の車が、このRA300 です。一定の軽量化には成功するのですが。



そして一言で言えば、とにかく重すぎたのが前作RA273でした。最後までほとんどまともな戦闘力は無かったと思います。

ちなみにホンダに劣らぬ馬力を持ち、コンパクトで幅広い回転数で安定した出力を出したDFVは以後、多くのチームが採用してF-1の標準エンジンとも言える存在になり、以後1980年代までに全155勝と言う前代未聞の記録を打ち立てます。ちなみにDFVによる最後の勝利は1983年のデトロイトGPですから、ターボ全盛の時代に滅び去るまで15年近くF-1の世界に君臨していた事になります。ちなみにその後継であるDFY、DFZ & DFR(3500t)などのエンジンはその後も1980年代一杯、使われ続けました。さすがにもう勝つことはできませんでしたが…(後にベネトンやマクラーレンで勝ったのは完全新型のフォード・コスワースHBエンジン)。

デビュー翌年の1968年から1982年までの15年間がフォード・コスワースDFVエンジンの全盛期でしたが(1983年に初めてターボエンジンのBMWがブラバムでチャンプを獲った。ドライバーはネルソン・ピケ(Nelson Piquet) )。この間にDFVエンジンのマシンがドライバーズ チャンピオンを獲ったのは実に12回。残り3回は何があっても(笑)独自路線を貫くフェラーリです。この時代はフェラーリ VS DFVであり、事実上、他のエンジンの選択肢はありませんでした。つまりエンジンによるマシン性能の差はほとんど無かったのです。これはドライバーの腕がより明確に結果に直結する事を意味します。

実際、この15年間に誕生したチャンピオン ドライバーは全部で11人も居ます。この内、複数回チャンプを獲ったのは3人、最高は3回のイギリス人、“サー” ジャッキー・スチュワート(Sir John Young "Jackie" Stewart)、後はニキ・ラウダ(Andreas Nikolaus "Niki" Lauda)とエマーソン・フィッティパルディ(Emerson Fittipaldi)が2回。そして2年連続でチャンプを獲ったドライバーは一人も存在しません。

 ドライバー  エンジン   チャンピオン獲得回数
 ジャッキー・スチュワート  DFV  3回(連続無し)
 ニキ・ラウダ  フェラーリ  2回(連続無し)
 エマーソン・フィッティパルディ  DFV  2回(連続無し)

その後、ターボ全盛期、さらにターボ禁止から3500t時代に入ると各エンジンの性能差が勝敗に大きな影響を及ぼすようになり、これは優れたエンジンとマシンを得たドライバーがより有利になる、という状況を生み出します。そしてこの傾向は、年々、強まりつつあるのです。

実際、2019年現在までの直近15年間におけるドライバーズ チャンピオンは全部で6人、同じ15年間でもDFVエンジン時代の約半分になってしまいました。すなわち同じドライバーが複数回王者になる傾向が強く、しかも連続する傾向があります。この辺りを表にすると以下の通り。

 ドライバー  エンジン  チャンピオン獲得回数
 ルイス・ハミルトン  メルセデス  6回(2008+2014〜15(連続)+2017〜19(3連続))
 セバスチャン・ベッテル  ルノー  4回(2010〜13(4連続))
 フェルナンド・アロンソ  ルノー  2回(2005〜06(2連続))

15年に渡るタイトルの8割を占める12回分の王座をたった3人のドライバー、ハミルトン(Lewis Carl Davidson Hamilton)、ベッテル(Sebastian Vettel)、アロンソ(Fernando Alonso Díaz)が占める、という異常な状況が生じています。またハミルトンの2008年の優勝を別にすると、後は全て連続優勝なのにも注意。上で見たDFVエンジン全盛時代には絶対に考えられなかった事態です。

これは結局、パワーのあるエンジンがあり、さらにそれを活かせるチームに居た、つまり“アタリを引いた”ドライバーが一方的な優位に立っている事を示します。実際、4年連続チャンプと言う驚異的な記録を残してるベッテルですら、“アタリ”のチームを逃した後は、6年にもわたって一度もタイトルを獲れてません。これはもう、ドライバーの腕は関係ない世界の一歩手前でしょう。

アタリのチーム(マシン)を得たドライバーが強い、というのは1960年代からもあるにはありましたが、ここまで露骨になったのは21世紀に入ってから、特にミハエル・シューマッハ(Michael Schumache)がフェラーリで2000年から2004年まで5年連続チャンプを獲った辺りからです(私がF-1を見なくなったのもこの辺り。そして2019年に復活)。そんな彼ですら1994、95年に連続してチャンプを獲った後、4年ほど“アタリ”を引けず、チャンプになれませんでした。そして再び“アタリ”を引けなくなった2005年以降は二度と王座を獲れずに引退に追い込まれます(後に復帰するがが3年間に一度も優勝できず散々な結果で再度引退。ちなみに彼の計7回のドライバーズ タイトルは2019年現在最高記録)。同じドライバーが一年経っただけで劇的に能力が落ちるとは考えられませんから、これはもうアタリ、ハズレだけの世界です。

80年代や90年代にもホンダエンジンとマクラーレン、あるいはルノーエンジンとウィリアムズが強すぎる時代がありましたが、3年以上に渡り特定のドライバーだけが勝つ、という事はありませんでした。
DFVの時代が終わった直後の1983年から1999年の間まで最もタイトルを獲ったドライバー、あのプロストでも4回の王座のみ、2年連続でチャンプになったドライバーはプロスト以外にも数人出ましたが、それでも3年連続は一人も居ません(シューマッハでも1990年代は2年連続まで)。これが2000年以降は、ガラリと状況が変わったのです。

まず4回以上タイトルを獲ったドライバーがシューマッハ、ベッテル、ハミルトンと3人もおり、3人とも3年連続チャンプをあっさり達成してます。シューマッハに至っては5年連続、ベッテルも4年連続記録ですから、そんなレースが面白いかと言われると、個人的には疑問だったりするわけで。F-1クラスになるとドライバー同士の腕の差がそんなにあるわけがなく、この偏向ぶりはやはり異常です。

この辺りは車の規格を決める主催者側のルール造りがここ20年間ほど死ぬほど下手になった、という部分があるような気がします。何とかして欲しいところですね。そしてこうして比べるとDFV全盛時代に3度もチャンプを獲ったスチュワートすげえな、という感じでして、他のドライバーと大差ないマシンで獲った彼の三度のチャンプは、21世紀の皆さんとは別格でしょう(後にラウダもターボ全盛期の1984年にもう一度チャンプになって三回目の王座についてるが、これはマクラーレン・ポルシェの強さだった面が大きい)。

といった感じで脱線終了、本題に戻ってDFVエンジンの脅威にさらされて産まれたホンダの二代目3000t F-1、RA300を見て行きましょう。
 


NEXT