■最後の日



さて、いよいよ最終日の朝がやって来ました。
ホテルの窓から南方向を見る。おお、我ながら素晴らしい晴れ男ぶり、今日も快晴だぜ、
と思ったんですが、この4カ月後の二度目の沖縄で、その自信は完膚なきまでに打ち砕かれる事になるのです…

本日午後5時過ぎの飛行機で帰るため、この日は午後3時前後までが活動限界となります。
とりあえず本日までまともに見てなかった那覇に向かい、今日はそちらで観光予定。



ちなみに東側を見ると、座喜味城が見えてました。
まあ向こうから見えていた以上、見えて当然なんですが、低地側から見ると改めて沖縄の城は高台にあるな、と思う。

この辺りは純粋に高台が戦術的に有利という点と、沖縄本島では高台を神聖視する傾向があり、
その聖地を取り込んで城を建てるのが沖縄本島文化の特徴という面があると考えております。
この点については、そもそもグスクとは何なのか、という点と併せ、この最終日に少しいろいろ考える事になりました。



この残波のロイアルなホテルから那覇までは車で1時間以上かかるようなので、本日は8時前には出発。
よって朝の散歩は無しでした。

ふと見れば車のドアに虫が。11月末でも元気に虫が活動中なんだ、と変なところで沖縄に居ることを実感。



さて、南下する前にホテルの南東に位置するこの丘へ立ち寄ります。
地図では宇座グスクとなっており、グスク?と気になっていたものの未見だった場所。
とりあえずこの後は再訪の機会も無いでしょうから、興味が無い、と顔に書いてある地雷映画を無視して立ち寄る。

今回の旅行記でも既に何度か見てるように、沖縄本島では城と書いてグスク、と読ませます。
(あくまで沖縄本島。八重山諸島などでは集落、住居の意味に近くなって別物となる)
しかし実際はグスクと呼ばれていても全てが日本語の城、城塞、有力者の居城というワケではなく、
どうみてもただの小さい丘、という場所を何度か見ました。

でもって、ここもどう見ても城塞ではなく、実態は集団墓地でした。
沖縄では祖先を神格化する(と同時に極度に畏怖する)傾向があるので、おそらくこれは聖地でしょう。
死者は死後33年で神になるという信仰が本島を中心にあったとされますから、
沖縄において死者のある場所は神聖な場所でもあるわけです。
(ただし死者を極度に恐れる、嫌う、という面もあった。矛盾ではあるが本来、信仰とはそういうものだ。
ユダヤ、キリスト、イスラムを支配する絶対神は基本的に契約とそれを破った時の厄災への恐怖で人を支配している)

グスクの「スク」は恐らく“底”のなまりで、転じて最果てといった意味を持つ言葉のような気がします。
ちなみに沖縄諸島南部で信仰される海の向こうから来る神様、
ニライカナイは八重山諸島南部ではニール「スク」とも呼ばれており(実際は別の神だとする説もあり)
これは最果ての神、あるいは海の底からくる神、といった意味だと思われます。
グスクの「グ」についは判りませんが、縄本島で死後の世界をグソーと呼びますので、何か関連がありそうです。

なので先祖の遺体を集めた神域がグスクの原型で、
この大事な場所を取り込む形で沖縄本島では城塞が造られるようになり
グスクが城の意味にも転じた、という所ではないかと思うのです。



そこからの眺め。
中央奥が我らがロイアルなホテル、手前の青い車はグスクなんて興味が無いので車内に留まった地雷映画男含有。

こうしてみるとこの一帯の一番の高台にあることが見て取れます。
高台を神聖視するのは日本本土の山岳信仰にも同じ傾向が見られますが(古くは大和の三輪山など)、
これと何らかの関係があるのかは、ちょっと判断がつきませぬ。
後で触れる御嶽(ウタキ)信仰は明らかに日本本土の古代宗教の亜流だと思いますが。

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