■どんどん進化してた…はず



なぜかお客さんにケツを向ける状態で展示されてたボーイングのP-12E。
アメリカ海軍のF-4Bとほぼ同じ機体で、それを陸軍が採用したのがP-12です。
1929年に採用され、最後は1941年まで運用されてました。
それだけ性能が良かった、という面も無くはないでしょうが、
予算がなくてなかなか新型機が装備されなかった、というあたりが実情でしょう。
先に書いたように、カーチスのP-6と同じ年に採用された、最後の複葉戦闘機でもあります。

記憶力のいい方は覚えてると思いますが、この機体、スミソニアンにもあったし、
タイの空軍博物館でも見た、ある意味世界の航空博物館の常連さんでもあります。
まあ、それだけ当時としては数が造られた、という事なんでしょうが。

展示のE型は、初期P-12の胴体がアルミ管(ジュラルミンの可能性あり)
に羽布張り構造だったのが全金属製に代わった機体で、ジュラルミン外皮にも
機体強度の一部も負担させるセミモノコック構造となってます。
ただし主翼は羽布張りで、さらに骨組みは木造の可能性あり。

この機体も個人からの寄贈らしいですが、
アメリカ空軍博物館が自分でレストアした機体になってます。
ちなみに1974年から1983年まで10年近くかかったそうな。



ケレット社のオートジャイロ K-2。
何度か説明してますが、オートジャイロは固定翼の代わりに回転翼を付けた飛行機です。
ヘリコプターと違って回転翼に動力は無く、前進する時の風圧で回転して上向きの揚力を得ます。
このため機首部にも前進用のプロペラが付いてるわけです。
これによって通常の航空機よりはるかに短い滑走でふわりと離陸します。
この機体の場合、回転翼が小さいのか、通常の主翼も付けて揚力を補ってますが。

1931年に着弾観測、偵察などに使えないかと陸軍がテストした機体だそうな。
残念ながら軍用に耐えずとなって採用はされなかった、との事。
ただしケレット社はめげておらず、後に1943年になってXO-60という
より大型のオートジャイロを試作しますが、これも結局採用されずに終わってます…。
こちらはスミソニアンにありましたね。

オートジャイロ、イギリス軍は正式採用して
僻地にあるレーダー基地間の連絡用とかに使ってたんですけど、
はいて捨てるほど土地があるアメリカではそんな単距離滑走のメリットは無かったのかも。
(ほとんど滑走路が要らないので、航空基地以外の連絡用には便利なのだ)

展示の機体は1931年にここ、ライトフィールドでテストされたものだそうで、
そのまま博物館に送り込まれたものでしょうか。



これも練習機、ライアンYPT-16。
地味な、しかも民間機のライアンSTAからの転用による機体ですが、
戦争直前の1940年から1200機が一気に導入されたそうな。
一見するとそこそこ近代的な機体ですが、実は主翼は未だに木製羽布張りです…。
それでもアメリカ陸軍の初等練習機としては、最初の単葉機なのだとか。



そこそこ有名だと思われるボーイング P-26A。
ピーシューター(Pea shooter)、吹き矢、の愛称が知られてますが、
(これを豆鉄砲と直訳するのはほぼ誤訳なので注意)
これは武装(2門の7.62o、または12.7o+7.62oの2門)がエンジンの中に隠れて見えないため、
隠しながらこっそり近づいて使う吹き矢を連想させたためだそうな。
あとはP-26のPに引っ掛けたダジャレでしょうね。

1932年3月に初飛行した、アメリカ陸軍初の全金属(動翼は除く)で単葉機で、
戦闘機にフラップを付けたのもこの機体が最初でしょう。
このフラップのおかげで、短い主翼で高速を得ながら、着陸時に減速しても、
十分な揚力が得られるようになりました。
この結果、時速234マイル、約375q/hと
当時の戦闘機としては最速の部類に入る性能を出してます。
先代のボーイングP-12、カーチスP6から、3〜5年で大きく進化した感じですね。

アメリカ陸軍もかなり高く評価していたようですが、なにせ金がない世界恐慌の後で(涙)、
最終的には111機の採用に終わってます。
このため、先代のP-12などが、1940年ごろまで未だ現役だったのです。

ただし過渡期の機体ではあり、単葉といっても主翼を支えるワイアが胴体から伸びてます。
さらには主脚の間にも補強が入っており、あまりスマートな設計には見えませぬ。
やけにずんぐりむっくりな胴体なのは、おそらくコクピットの視界を確保するため、
これを高い位置に置いたからだと思われます。
あと、意外に知られてませんが、この機体、爆装もできて、200ポンド爆弾(約90s)二発が積めました。

ちなみに展示の機体は完全なレプリカですが、詳細な由来は不明。


NEXT