■アメリカもそれなりに頑張った



アメリカ陸軍の第一次大戦期における多用途機、DH-4。

もともとはイギリスのデ・ハビランド社が設計した機体ですが、
これをアメリカのデイトン ライト社が買い取り、アメリカ国内で生産したものです。
アメリカ国内で生産された機体の中で、唯一、戦場に持ち込まれた機種となってます。
二人乗りで、後部には銃座もあるため、爆撃機としても使われてますが、
偵察、連絡の方が主任務であったようです。

ちなみにこの機体、高熱の排気管の側にゴムの燃料管を配置したため極めて発火しやすく、
“燃える棺桶(The Flaming Coffin)”というありがたく無いニックネームを与えられてます…
ただし、実際はそれほど発火事故はなかったともされ、大戦中に失われた33機の内、
火災による損失は8機だけだったそうな。
まあ、8機も落ちてれば十分、という気もしますが…

それでもなんだかんだで3000機以上が造られ、その内1200機近くがフランスに送り込まれてます。
ついでにその製造の多くはここ、このデイトンにあったデイトン ライト社で行われたようです。
これはライト兄弟のライト社とは別会社ですが、オリバーが相談役として就任、
ライト社の工場を借りて機体製造をしている、という会社でした。

ちなみにこの機体、空軍博物館の展示機としては珍しく、由来は不明なのですが、
レプリカではなく、オリジナルのレストア機ではあるようです。



こちらはなぜか羽布を貼らずに骨組み状態で展示されてたスタンダードJ-1 練習機。
これもアメリカ製の機体で、J-4 ジェニーの補助として採用された練習機でした。
1600機とそれなりの機数が生産されてるのですが、すでに複数の会社が分散して生産する、
というシステムをアメリカは取っており、この機体もスタンダード社を含めて4社が製造してました。

まあ木製の匠の技、という構造なのが見て取れるかと。
エンジンとコクピットの間に見えてるのは燃料タンクで、この時代からこの位置なんですね。
この機体はオハイオ州の個人が所有していたのを1962年に寄贈したものだとか、



一部で有名な“空飛ぶ魚雷”ことバグ(Bug/虫)。
あくまで実験兵器のため、正式な型番とかはありません。
このため、愛称のバグがそのまま名前となってしまってます。

9年前に見た時よりも、なんか展示が大掛かりになっており、人気があるんでしょうかね(笑)。
ちなみに開発したのは、地元デイトンの発明家だったそうで、
これを例のデイトン ライト社が買い取り50機前後を製造、陸軍に納入してます。
ただし実戦投入はされてません。

言わずと知れた第一次大戦期の無人誘導爆弾であり、
要するに爆弾に翼とエンジンを付け、レールの上の台座にに乗せて発進させ、
敵地の上空でエンジンを切って落下させてドカン、というもの。
第一次大戦期のV1飛行爆弾、と考えて置けばほぼ間違いないでしょう。

ただし電気(モーター?)と圧縮空気による自動操縦装置も付いていたそうで、
見た目ほど原始的な兵器ではないようです。落下の際は主翼も分離されるそうな。
さらにエンジンの停止も単純な燃料切れではなく、タイマーで切れるようになってました。
ちなみに180ポンド、約80sの炸薬が入った爆弾だったらしいので当時としてはそれなりの破壊力でしょう。

展示のモノは完全なレプリカで、1964年にこの博物館で制作されたものだそうな。



ちなみにこの兵器、それなりに期待されてたのか、開発過程を撮影したフィルムが残ってます。
こうして見ると、意外に大型なのがわかるかと。



ちょっと見づらいですが、こんな感じにレールの上を台車に乗って滑走、
離陸するとそのまま台車から浮き上がって飛んでゆきます。
ただし、いきなり左側に傾いてるのから判るように(笑)、
真っすぐに飛ばすのにすら苦労しており、開発は順調では無かったようです…。

ちなみに陸軍はこの兵器に結構期待していたようで、戦後、1920年代まで研究を続けてました。


NEXT