■イギリスとドイツも頑張った



こちらはイギリスの傑作機、ソッピース F-1 キャメル。
これも第一次大戦を代表する機体ですが、操縦に癖があり、戦闘で死んだパイロットより、
飛行訓練で墜落して死んだ方が多かった、という説もあるそうな…。
1917年夏、アメリカ参戦後に登場した機体ですが、アメリカ軍は使ってなかったはず…
と思ったら、1918年の夏から秋にかけ、一時的にイギリス軍に編入された部隊があり、
それが使用してたのよ、との事。

ちなみに展示機は完全なレプリカで、残された図面からこの博物館で造ったもの。
その後、1974年から展示が始まってる、との事でした。



こちらも大戦を代表する機体の一つ、イギリスのアヴロ 504K。
1913年、開戦前に初飛行した機体でしたが、操縦性が良かったらしく練習機として長らく使われてます。
アメリカ陸軍は参戦後、パイロット養成学校をフランスに開くのですが、
そこで使われたのがこの504Kだったのでした。

終戦後、何機かをアメリカに持ち帰ったようですが、展示の機体はそれとは別で、
1960年代になってから、カナダ空軍の整備開発部隊が残っていたオリジナルの部品を集めて組み立てたもの。
なぜそれがこの博物館にあるのかは謎ですが、2003年から展示が開始されたそうな。



お次はドイツの地上攻撃機ハルバスタッド(Halberstadt)CL.IV(4)。
あんまり有名ではない…というか、ここまで読んで来た人は気づいてるかもしれませんが、
妙にスミソニアンの展示機とカブるんですよね、ここ。
この機体もウドヴァー・ハジーで見ましたし。

1918年にデビュー、ただし攻撃機と言っても主武装は9o機関銃で、機首の上と、
後部の木の輪がついてる座席のものだけです。当然、防弾設備なんて無し。
後は後部座席から投げる(笑)手榴弾と、22ポンド(約10s)爆弾5発まででした。
22ポンド爆弾は手で投げてたのか、主翼下に装備してたのかは判りませんが、
まともな照準装置は付いてませんから、まず当たらないでしょうね…。

ついでに低空でなら操縦性も優秀だったそうで、敵の爆撃機の迎撃、
つまりカプロニの爆撃を迎撃する、といった仕事もやったそうです。
ちなみにドイツも連合国も爆撃は機体が地上からよく見えない夜間にやってるんですが、
(つまり第二次大戦のイギリス空軍は第一次大戦の戦法のまま戦っていたのだ)
その迎撃を行う夜間戦闘機としても使われたのだとか。

展示の機体は由来が不明ながらオリジナルで、
ベルリンの交通技術博物館(museum für verkehr und technik)、
スミソニアン、そしてこの空軍博物館が共同でレストアした機体だそうで、
1984年から展示が開始されてるとの事。



これもドイツのフォッカー D.VII(7)。
第一次大戦のドイツ機はさまざまな迷彩パターンを試しており、
上のハルバスタッドといい、特徴的なものが多いですね。
これでホントに空の中に溶け込んだのかなあ、と思いますが。

1918年に5月に登場して、当時の連合国の戦闘機を圧倒してしまったのがこれです。
上昇力(=加速力)、機動性、高高度性能、速度で圧倒的な優位を保ち、
速度はスパッドS.XIII(13)には及ばなかったものの、それ以外の性能は最後まで超一線級でした。
デビュー後、数が揃ってきた1918年8月には565機の撃墜を記録してるそうな。
(ただしあくまでドイツ側パイロットの申告数らしいので、実数は半分以下だろう)

ただし登場はやや遅かった、という部分があり、終戦の11月までに1700機が造られただけで終わりました。
ついでにエンジンはいくつかの種類が採用されており、オリジナルのメルセデス製エンジンより、
BMW製のエンジンの方が高出力だったため、性能は全てそちらが上です。

ただし展示の機体はレプリカで、1996年から展示開始となったもの。


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