■Uボート内部潜入



さて、というわけでお次はいよいよ艦内へ。
入り口で買ったチケットには12:45までにツアー集合場所に来いよ、と書いてある。
念のため、10分ほど前に船体左側の集合場所に行くも、誰も居ない。



あれ、どうなってるの、と思ってると、なんか自販機があって、
そこで皆さんチケット買ってどんどん入って行く。
え?どうなってるの、と近くに居た係員に聞くと、この時間帯のツアーは5分おきに開始になる、
自販機だと今入れる最短時間での販売なんだけど
入場窓口で買ってしまうと、ある程度時間の余裕を見て遅い時間にされてしまうのだとか。
貴様のツアーは15分後の12:45からである、と告げられる。

…なんだそれ。
9年前には窓口販売しか無かったのに…
というか、だったら全部こっちの現場売りにしてよ、と思う。



このため、ええー、そうなの、という顔をして待っていたら、
12:40のツアーがまだ人数に余裕がある、という事で
そこに紛れ込ませてもらえる事に。
で、入り口で待っていると、いかにもアメリカのオタク、Geekという雰囲気を全身全霊でまき散らしてる
メガネの若いアンちゃんがやって来る。
…え、まさかアレがツアーガイド?と思ったら、その通りなのでした。
静まり返る、ツアー参加者。

2000年代のカリフォルニアあたりのコンピューターショップでよく見たような、
いかにもギーク、という人物がシカゴにも生息してるんだ、という驚きと、やれやれ参ったな、
という二つの感覚と共に見学開始。

結果から言うと、やはりガイドさんの話は大したものでは無く(笑)、
適当な本とWIkipediaから話をつまんで来たな、という程度の内容でした。
正直言って、12ドル払って聞くような内容ではありません…。
が、艦内はそこそこ興味深いもので、まあ、見る価値はあるでしょう。
というか、ガイドとか要らねえから、好きに見学させてよ、と思う。



例の耐圧殻を切断して造られた(涙)入口から入るとまずは前部魚雷室があります。
この艦の主要兵装、魚雷発射管4門があるところ。
これまで見て来た第二次世界大戦期の米軍の潜水艦では6門でしから、
やや狭いなあ、といった印象です。

ベッドだらけなのは、士官を別にすればベッドルームが無い
潜水艦乗組員の主な寝る場所がここだったから。
ちなみにアメリカの潜水艦が80名前後の乗組員で構成されていたのに比べ、
やや小型なUボートでは乗員も少なめで、士官を含めて48名ほどでした。
ただしその分、艦内も狭いので、こっちの方が快適だったとは思えませんけども。

長期遠征のUボートの場合、8週間分前後の食料を積み込むため、ここも食料貯蔵庫とされ、
通常、前部魚雷室にはハムや乾燥肉が積まれたそうな。
ついでに食料もそれだけの量になると艦の前後バランスに影響を与える上、
急速潜航(60度近い急角度で潜る)時に雪崩を打って艦首部に落下しないように配置するのは
相当な経験が必要で、新兵だらけとなった戦争末期には
食料搭載時の指定配置図が配布されてたのだとか。

この艦、IX(9)型の魚雷搭載数は判りませんが、
主力型だったVII(7)型では長期作戦中、14本の魚雷を積んでました。
艦の大きさは大差ないので、同じ本数を積んでたとすると、
4本(前部)と2本(後部)は最初から発射管に入ったまま、
2本は例の艦外(といっても耐圧殻の中にある)魚雷庫に入ってます。
となると予備の魚雷は、6本、2本は艦尾の魚雷発射管用として、
ここには少なくとも4本の予備の魚雷を積んでいた計算です。

Uボートの場合、床下に魚雷倉庫があり、そこに2発の予備を入れてました。
なので、比較的空間に余裕はあり、アメリカ艦に比べるとベッドは広めだったようです。
ただし、残りの2発はこの室内に転がしてあったはずなので、
ここまで広々とした空間があったかは微妙ですが。
ついでに、床下には前後のトリム(釣り合い)調整の海水タンクもあり、
魚雷発射と同時に、ここに注水して前後のバランスを取り、
艦首が上がる(軽くなったので)のを避けていました



緊急時っぽい演出の照明にも切り替えらえます。
こういった演出はいいから、ゆっくり自由に見学させて欲しいのココロ。
奥の天井部に見えてるレールは魚雷発射管に魚雷を入れる時のクレーン。
巨大な魚雷はとても手作業で扱えるものでは無かったようです。

ついでに現在の展示では失われてますが、本来は発射管のハッチにローマ数字で番号が振ってあり、
右上が1番管、左上が2番管、右下が3番管、左下が最後の4番管です。

■Image credits:Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-324373

 

これが鹵獲時の状況。
よく見ると各ハッチに白い札がはってありますが、これはそれぞれの発射管のニックネーム。
英米の艦でも、主砲の各砲にニックネームを振ってたりしますので、欧米人、
自分の艦の主兵装に名前付けるの好き?
ちなみに2番管のUschiは女性名らしいので、兵器の名前に女性名を付ける、
というドイツ式の萌え兵器文化なんでしょうかね…

ドイツ潜水艦の構造は、後で見るように意外なほどアメリカ潜水艦と共通なのですが、
最大の相違点は士官、水兵共に食堂が無い事で(当然アイスクリーム製造機も無い…)
このため、水兵はこの魚雷室で、クレーンの支柱からヒモでテーブルを吊り下げて食事してたようです。
(イギリスが鹵獲して使用してたUボートのTMSグラフでそういった写真が残ってる)

ついでに魚雷は一度撃ってしまうと、魚雷管の排水、魚雷の再装填にかなりの時間がかかり、
このため4発撃ってしまったら、後は後部発射管から撃つしか無くなってしまいます。
そもそも14本前後しか持ってないので、魚雷の使用は慎重にならざるを得ず、
このため、4本同時の斉射、というのはほとんどやってないようです。

ちなみに魚雷は極めて高価な兵器でもあり、クレーマーによると、
魚雷一本で、当時のドイツでは中規模住宅が一軒買えるような値段だった、との事。
まあ、それでも貨物船を一隻沈められるなら割にあったのでしょうけども、
外れたらドイツ海軍大赤字となります。

ちなみにドイツ海軍も初期の魚雷の不調、とくに不発に悩まされており、
この辺りはアメリカ海軍、日本海軍と全く同じ状況でした。
…あまりに高価な兵器だったので、戦前に十分な実射試験ができてなかったんでしょうかね。

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