■それでも日本とは色々あったのだ



お次は中華民国軍が揚子江(長江)で対日戦中に使った機雷。
水中にこれを設置して置いて、船が接触する、あるいは接近するとドカンとやるもの。
中国戦線の場合、川と言っても日本とは大きさがケタ違いで、
上海まで川をさかのぼって駆逐艦や旧式とはいえ出雲などの装甲巡洋艦まで入ってました。
よって大河も立派な戦場なのです。
といってもこんな小さな機雷があるわけなく、1/20程度か、それ以上に小型化した模型ですね。



こちらは南京大虐殺の展示。

私はこれをキチンと調べた事がないので、ウカツな事は言えませんが、
あらゆる戦争で、一般市民を対象にした残虐行為が発生しなかった事は無く、
同時に、兵による残虐行為で殺せる人数には限度があります。
恐らくその中間辺りに真実はあると思いますが、詳しく調べる気にはなれないので、
詳細は謎としておきます。
ちなみにこの博物館の主張する犠牲者は30万人でした。

少し変な話をするなら、我ら犠牲者中国人、という記述になってますが、
この時期の台湾はすでに40年近く日本領で、日本国籍を持ち、公用語として日本語を話してたわけで
どう考えても日本人ですから、立場としては加害者側ですよ、皆さん(笑)。



これも各地の博物館で見る、必勝の文字がある日の丸の寄せ書き。

先に見た1941年12月から始まった第二次長沙作戦の時の戦利品とされてます。
左に南京入城(1937年11月)、右に保定入城(1937年9月)とあるので、
かなりのベテランの兵隊さんのモノだと思います。
下には判読が困難ながら、玲水部隊 管理部 板橋正次 という名前も見えてますが、
ざっと調べてみた限りでは詳細不明。

戦闘で亡くなられたのか、撤収時に紛失したものかは判りませんが、
戦史叢書によると、この作戦では1591名の戦死が確認されてますから、
戦死されてる方の可能性が高いと思われます。
(ちなみに中国側はその30倍以上、5万人以上の日本軍を戦死させたと発表してる。
勝ち戦ではあったものの、あまり褒められた戦果報告では無いだろう)



で、ようやく開戦段階の展示まで時間を逆走してやって来ました(笑)。
盧溝橋事件の再現ジオラマで、これをきっかけに日中は戦争状態に入るわけです。
事件そのものは偶発的要素が強いのですが、これを利用して日中戦争が始まってしまうのでした。

この辺りは現地の日本陸軍の暴走、という面が大きいのですが、
近年の中国側からの著作を見ると、中国側は中国側で好戦的な連中がこの騒ぎに便乗した、
という面があるようで、人間って複雑な生き物なのね、と思ったり。



日中開戦時の両軍兵力比較。
いや、日本空軍って何?という疑問はとりあえず置いときましょう。
赤が日本軍で青が中華民国軍、数字の単位は陸軍が兵員数、海軍は総トン数、
空軍(笑)は機体数での比較。

人口で圧倒してる日本より、兵員の総数の数が少ないってのはどうもよくわからんところですが、
(1940年ごろで日本の人口は約7000万人。中国はすでに4億人を超えてる)
まあ国民党も中国全土を完全に把握していたわけではないんでしょうね。


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